ナウトピアのつくり方

人生も手作り!

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世の中には、人生を一から手作りしてる人もいれば、与えられた既存の型に自分の方を合わせて生きてく人がいる。

「手作りする」というのは、必要な「物」を自分で作ることにとどもらない。新しい仕事やライフスタイルをつくったりすることも含む。何か新しい生活を作ってるって、自分では意図していないこともある。自分で本当にやりたいこと、納得できることだけしようとするうちに、いつのまにやら、他の誰もやっていない、ちょっと変わった生き方が、結果としてついてきたよ・・・なんてことも。

与えられたレールの上を自動的に進んでいく人生で満足できる人には、この手のこだわりはない。良い学校を出て、良い企業の社員になって、幸福な家庭を築いて・・・とかね。

それでうまくいくのなら、別に問題はない。でも、今の私たちのように変動が激しい世に生きていると、既成の人生の型は古すぎて、役に立たないこともしばしば。人間の意識の方がずっと先に進んでいたりするから、ジャスト・フィットして、しっくりくる型が見つかる方がまれだったりする。

中間的な段階として、中間に、迷ったり、紆余曲折はするけれど、手作りはしない人というのもいる。自分にフィットする人生の選択肢がないから、ひきこもる。何かはじめても、どうも違うようだと進路変更。学校や食や、配偶者まで、転々ととっかえひっかえを繰り返すなどなど。

とはいえ、それはめぐまれてるほうかな?

経済的にも不安定で、競争が激しい。

一生懸命努力して、自分の方では出来合いの型の方に完璧にあわせたつもりなのに、受け入れてもらえないので嘆く人もいる。

つまり、「人生を手作り」するのをやめると、状況のせいにする。仕方ないとあきらめたり、犠牲者に自分を仕立てあげて嘆く。そんな誘惑がごまんとある。そこがちょっと問題かなって思うんだ。

というわけで、人生に関しても、私は断然、「手作り」派だ。自分の世界は全て、自分次第。自分の手の中から、手作りして、出て来るって考えたら、同じ現実は、動かしがたい「事実」というより、ものづくりの「素材」だ。嘆いてる暇があったら、手を動かすべし。

私のパートナーのとしさんは、アーティストだけど、彼によると、ものづくりに向いてる人は、何かを見たときに、完成形としては見ないのだそうだ。目の前にあるものを、これが「好きだ」あれが「きらいだ」とか、「いい」とか「悪い」とか、即座にジャッジメントしたりしない。「そんなことするのは、受け身の消費者だけださ」とのこと。その代わり、「ここから、どんなおもしろいものができるだろう」とか、「どうすれば生かせるだろう」と見るのだそうだ。もっといえば、それが「何」かすら、括弧にくくって見る。これから何にでもなり得るから。

とはいえ、そんな私も、人を嘆き、世を嘆き、自分を犠牲者に仕立てたくなることは、しょっちゅうある。そのたびに、人生全体が、編みかけのもののように自分の手の中にあって、そこから編み上げられ、織り上げられていく様子をイメージするようにしている。

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