ナウトピアのつくり方

仕事のナウトピア

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ナウトピアとは?
ナウトピアとは、いま、ここにあるユートピア。理想世界を、「いつか、どこか」に、想定しながら、自分が現にいる唯一の場所、今ここを、「まだまだ」「ダメだダメだ」と、否定し続けるのがユートピアンだとすれば、ナウトピアンはその反対で、自分の見たい世界を、今、ここで、生きようとする。その中で生まれる新しい世界がナウトピアだ。

仕事でユートピアをやるとは、たとえば、幸せになる「ため」に仕事をしていたはずが、一旦仕事がはじまると、やればやるほど幸せから遠ざかり、そのための暇もなくなり、しまいには一体何が幸せなのかもわからなくなるというもの。ただ、現行の雇用関係の多くがこれを強いるものだというのは確か。でも、可能な限り、少しずつでも、そこから抜け出て、「今、ここ」で、幸せを感じることができる働き方をする。すると、ナウトピアの仕事が始まる。好きなことを仕事にする、仕事と遊びの区別がつかなくなる境地を目指すと、ひとまず、言ってもいい。

そのものになることの衝撃
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そんな話をすると、「そんなことで食べていけるの?」という話になる。この問いに対してナウトピアンが用意している答えは、「今、ここ」で味わわれる幸せそのものは、周囲に伝染せざるを得ないというものだ。

ナウトピアのインスピレーションになったものに、ちょっと古いけれど、ベトナム反戦運動のフラワーチルドレンの存在がある。「戦争反対!」を声高に、怒りをこめて唱えるばかりの平和運動ばかりがある中、彼らは、音楽を奏で、歌い、踊りながら、道ゆく人に無差別に、花やおもちゃを配りながら歩くデモをした。つまり、全身まるごと、平和そのものになろうとしたんだね。それ自体、攻撃的になってもいいから、平和の「ため」にデモするんじゃなくて! そんな彼らを一目見れば、言葉の通じぬ人も、異星人でも、そのメッセージは瞬時に伝わるし、「踊る阿呆に見る阿呆・・」じゃないけど、つられて参加したくなる。そんな彼らが、銃を構えて警備する警察の銃口にまで花をさしていく写真が残っている。それは、暴力が広がる世界の中、平和の領土が広がっているんだっていう、誰でも一目見ればわかる希望のメッセージとして世界中に広がった。私の前著では、こんな具合に、社会運動にみられるナウトピアの衝撃について語ったものだけど、今回は、仕事にこれをあてはめてみたい。幸せのために働いているはずが、やればやるほど幸せから遠ざかっていくようにみえる人達の只中で、幸せそのもの、ゆたかさそのもの仕事にする。暴力的に平和を唱える人達のただ中で、平和そのものになるのと同じような衝撃が、そこに走ると思うんだ。

働く幸せの波及効果
12565421_954041368005559_2742745764180459736_n私はここ4年ほど、札幌にも拠点を残しながら、そこから車で1時間半ほどかかる夕張郡の田舎に少しずつ移住を進めているところ。ゆたかな自然と、美しい田園風景、ふんだんな自然資源、安い生活費のおかげで、好きな仕事を自分のペースでやりたい人たちのちょっとしたメッカになってる。そこで仕事が楽しくって仕方がないようなパン屋さん、陶芸家、家具職人と知り合った。

彼らは本当に自分が好きなことを、好きなペースでやっているに過ぎないのだけど、その商売が結構繁盛してる。最初は、なぜわざわざ長距離ドライブして、都会から器ひとつ、パンひとつみんな買いに来るんだろうと最初は不思議だった。確かに丁寧な手仕事だけど、チョイスが豊かな都会だったら、同じくらいの出来のものを簡単に手に入れることができるはず。でもしばらくすると、彼らの世界を一緒に呼吸したくて来ていることに気づいた。

たとえばあるベーカリーは、森を背景にした見晴らしのいい丘に建っていてる。隣に広がる小麦畑からの風を感じながら門をくぐると、果樹や野菜畑が可愛らしく配置された庭が広がり、ブラックベリーの蔓がからまるアーチをくぐり店に入る。石窯から出たばかりの美味しそうなパンがならんでる。ゆったり、自然と共に、無理のないペースで大好きな仕事を楽しむ。店主のまゆみさんが、仕事と暮らしの中で育む、今、ここを、自分を大切にしながら、そこにどっしり住み着く(やりたくないけど、お金のためだし、仕方がないかなと思いながら働く人が、いつも「早く終わらないかな」と思いながら、心そこになく、中腰気味、今、そこにいるのを楽しんでいないのと、対照的だという意味で)。その幸せは、すみかや工房、店のたたずまい、そこにある調度品や道具、スタッフの表情など、すべての細部に宿って、滲み出てる。その全体を味わうために、本当にたくさんの人がやってきて、開店1時間後には、完売なんてこともよくあるほど。

そこでは、パンや器や本や接客サービスが取引され、それにお金が払われているように見える。けれど、より本質的には、仕事を取り巻くその人の世界の全体、「今、ここ」ナウトピアが分かち合われていると思うんだ。それは、幸せのためにやっているのではなくて、幸せそのものなので、瞬時に分かち合われる。この体験全体の記念として、感謝の印として、ものを買っていくのである。その様子はたとえば、一種の聖地巡礼、お参りをするのに似てる。

ナウトピアの仕事は、作り手を離れた後も、触れる人に感化を及ぼしていくことがある。たとえば、表面ばかりつくろってあるハリボテの製品や、すぐに壊れてしまう粗悪品を手にすると、「これはやっつけ仕事の所産。今、ここにいない人、お金のために身売りするように働く人の手になるものなのだな。自分を大切にしていないので、仕事の受け手も、大切にしていない」と感じるのと対照的で、心がこもり気配りが行きとどいた職人的な仕事を手にするよろこびは、単に質の高さを楽しむだけじゃない。作り手が、「今、ここ」に幸せに住み着き丁寧に仕事しながら生きてる様を彷彿とさせるから。それを手にする人もその世界へと引きこまれ、ゆたかな気持ちで満たされる。使い手も、それを手にしたり、口にしたりする時間を、大切に味わいたくなる。自分の「今、ここ」を大切にする気持ちは、伝染力を持つからだ。

というわけで、どんな仕事をするにせよ、その仕事を通して、その人が、どれだけ、「今、ここ」で働く幸せそのものが、そこにいる人から、その人を取り巻く場所やもの、工房や店や製品へと広がっていく。ものが飽和し、むき出しの物欲を持つ人は少なくなった一方、嘘やごまかしのない、本物の仕事が醸し出すゆたかさに飢えてる人は潜在的にたくさんいるこの時代。そんな世界を育み、分かち合うことこそ、仕事でも成功をおさめる秘訣なのではないかと思うようになった。

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