ローカリゼーション

生きる力をつけるためのみんなの寺小屋構想

  • LINEで送る

義務教育が始まって、広い社会階層の子供達に、広い視野教養を身につけた、社会的に活躍するチャンスが与えられたのは、確かなことです。

ただ、自分の住む土地を深く知り、そこの自然に寄り添いながら、衣食住を自分たちで持続可能にまかなうライフスタイルの継承という点では、かなり破壊的な影響を及ぼしてきたのも事実です。

昔の子供達は、今の子供達が学校に言っている間に、そうした知識やノウハウを身近な大人たちから、自然に学び、身につけてきました。

でも、学校に行くことで、そうした学びの場が失われてしまいました。他方、学校で習うのは、西欧近代的な価値観、功利主義に基づいた、ものの操作能力を高めるためのもの。その土地の日々の暮らしに関わるとは到底言えない抽象的な知識や、遠くの国のことばかり。

そんな学校に適応すればするほど、自立した暮らしをする能力はなくなってしまいます。かくして、モノやサービスを買って、受け身で生きるしか選択肢のない、理想的な消費者が量産されていきます。また、そのためのお金を稼ぐために、勤め口を探して、都市へと出て行くしかなくなってしまいました。

出て行く先は、グローバル資本主義の弱肉強食の競争社会。
そこでは、みんながみんな、仕事にありつけるとは限らない。とりあえず勝ち組に入って豊かさを満喫しても、踏みつける弱者あって成り立つ繁栄なこともしばしばです。

そこで仕事にありつけない人、ありつけても、こきつかわれて、身体も家族関係もズタズタズタ、こんな世界、これ以上いれない・・と思っても、それまでの学校教育の中で、お金に依存しないで生活する知恵や技術は教わってこなかったし、土地も、助け合える仲間もいなければ、宙ぶらりんの状態。どこにも行くところはありません。
こうして貧困者も生まれてきました。

もし、昔の伝統社会でみんなやってきたように、土地の自然のめぐみのなかで、持続可能に衣食住をまかなう知恵をつけていれば? また、それを教えてくれたり協力して行える仲間もまたいるとすれば? そこまで現金収入に依存しなくても生きていけますし、勤め口が見つからなくても、食べるのに困ったりするようなことはありません。自立して暮らせる能力と、一緒に助け合ってそれをやれるコミュニティの中にいることは、ベーシックインカムのようなもの。これさえあれば、何があっても、少なくとも食いはぐれることはない安心感を与えてくれます。しかも、ベーシックインカムそのもののように、行政システムにたよらないで、自分たちの力で、生活必要最低ラインをクリアするわけですから、まさに絶対安心の境地です。

そんなふうに、お金に頼らず生きてく力を身に付けることができる学校、そこでの学びそのものが、助け合いのコミュニティづくりの場でもあるような学校があれば、いいのではないでしょうか?

そこで子供達は、昔の伝統文化の中で次世代が自然に身につけていった、土地の自然の知識、その恵みの活かし方、そこからどうやって食べ物や家や服を作る方法が学ぶ。といっても伝統にがんじがらめになるのではなく、世界中の持続可能なコミュニティ、エコビレッジ、代替エネルギー、ローカルフードの実践でつちかわれたノウハウのうち、地域の状況に適したものを学び、実践する、そんな学校です。大規模農場、フードチェーンや原発に代表されるような大きなシステムに頼らなくても、自分のイニシアティブと、顔の見える範囲の協力関係で、生きてく術を身につけていくのです。

その上で、自分はどうしても資本主義の舞台で競争に揉まれながら、活躍してみたいという人は、そちらに参加すればいい。でも、そっちで失敗しても、ちゃんと生きていけることを知っているので、自分で納得のいかない仕事などに手を染めることもなくなるでしょう。

また、しばらくたって、ちょっとそれに疲れて、お金に依存しない自立した暮らしに戻りたいなと思った時にも、そのためのノウハウ、力も、身につけているので、大丈夫。一緒に助け合って生きていける仲間を見つけたり、つくっていくこともできるでしょう。

つまり自分で生き方を選べるチョイスがあり、自由に人生の舵取りをすることができます。
そんな自由な人生をはじめるスタートポイント。私たちの寺小屋はそんな場所として構想されました。

世界中に広がる代替コミュニティ、エコヴィレッジなどは、そんな役割を果たしていると思うのだけど、それがもっとたくさんあって、世界中どこにいても、グローバル資本主義の世界からの駆け込み寺、いつでもそこから抜けて新しく人生を始めれる避難所として入っていけるといいですね。私たちの寺小屋構想もその一つのささやかなこころみといえるかもしれません。

「ちがい」の垣根を超えて、人をつなげる

とはいえ、この寺小屋で学べるのは、衣食住を自分たちでまかなう方法だけにとどまるものではありません。

この寺小屋構想を思いついたのんちゃんこと飛澤紀子さんは福島出身。3.11のときの避難所での体験がその原点にあるといいます。地震で家が半壊、全壊した人たちばかりが集まるその場所は、陰鬱な雰囲気が漂っていましたが、一箇所、お年寄りの笑い声がするところがありました。当時幼稚園に通っていた彼女の娘と、3歳の息子が、物資乏しい中にも、たまたまそこにあった紙を使って、折り紙を教えていたのです。折り紙を教えるなんて、普段なら、ささやかなことにすぎません。でも、初対面の知らない人たちばかり、年代も全く違うお年寄りの中に子供達が入っていくことで、人と人をよそよそしくしていた壁が一挙に崩れ去り、そこからさざなみのように、明るい顔が避難所全体に広がっていくきっかけになったのでした。翌日、今度は、やっぱりたまたまそこにあった糸を使って、お年寄りの方が、子供達にあやとりを教えて、一緒に夢中になっていたとのこと。無力感にうちひしがれていた人たちが、自信をとりもどし、活気づき、顔を輝かしはじめた。

教え合い、学び合うことの持つ、人を力づける力。年齢や境遇などのあらゆる「ちがい」の垣根を超えて人をつなげる力。そこでは人の助けになることが嬉しくてたまらず、与えることが受け取ることと区別がつかなくなる・・・何にもものがない、希望も見えない、そんな状況だったからこそ、そのすごい力を身にしみて感じることになったとか。

そんなふうに、自然にはじまる教え、学び合う場、そこから人がつながり、力づけられ、暖かなコミュニティが広がって行く。そうした学び合いのコミュニティの受け皿をつくりたいというのが、彼女のこの寺小屋を構想のはじまりにあります。

この寺小屋は、年齢、境遇など一切不問、誰でも参加することができます。同い年の似たような子供達が集められる学校では、競争的な雰囲気になることがしばしばですが、多様な年齢、境遇の人たちが集まれば集まるほど、お互いにできることが違ったりして、自然と助け合い、学び合う状況が生まれます。とくに、身体の自由がきかないお年寄りや障害を持った人たちが参加してくれれば、効果絶大。子供はもちろん大人も、自分とは違う前提、状況の中にある人たちを思いやり、理解し、寛容さをつちかえるいい学びの場になるでしょう。

この寺小屋は、学校というより学びのコミュニティです。誰が教師、生徒といった役割も決まっていません。教えることのもつ力づけを誰もが得れるよう、誰もが教師になることができます。何かみんなに伝えたい、教えたいことがある人は、自己申請で、教室をはじめれるし、それを教わりたい人は、誰でも参加できます。大人が先生、子供が生徒とは限らない。子供だからこそ、教えられることもあるはずですから。

自給的な畑ももち、建物も自分たちで少しずつ改造して行く予定です。そのプロセスが、衣食住の基礎を自分たちでまかなう生活力をつけるレッスンになります。

この寺小屋を作る予定の北海道夕張郡長沼町は、農業が主要産業の地域。自分の家で食べるものは、自分で作るだけでなく、味噌や醤油は自分の家で仕込む家がほとんど。昔ながらの自給的なライフスタイル、オールラウンドな生きる力、スキルを身につけるという「百姓」的な生き方がまだかろうじて残っているところです。農業に機械が導入される昭和40年代まで、収穫などは、子供も含め、コミュニティ全体が助け合って総動員されるお祭り行事だったそうです。その頃、子供時代を過ごされたお年寄りをはじめ、この手の生きる力、みんなで助け合う暮らしについての教え手には事欠きません。これを次の世代に受け継いで行くことが、できるはず。今なら、間に合います。でも、ぐずぐずしてはいられません。

そこではみんながみんなの親。子供を放っておいても、誰かしらがその子の面倒を見てくれる。子育て支援の場ともなる予定です。子育てベテランの親から、子育ての経験や方法を実地でシェアしてもらう学びの場にもなることでしょう。

不登校の子供達の居場所づくりにもなります。

もちろん、義務教育の学校に普段通っている子達も、さまざまなかたちで参加することができます。

まず、共働きの親の子が、放課後に寄る学童保育の場にもなります。農業を基幹産業とする長沼町は、自分の家で仕事をする農家がこれまでほとんどだったことから、両親とも外でお勤めする親にとっては、子供を預けれる場所が少なく、子育てしにくい側面もあります。場所の魅力に惹かれて、最近は若い人たちの人気の移住先にもなっていますが、学校が終わって、子供を預けることができるところが見つけられないという理由から、出て行く人もいるほど。このような状況の中、この寺小屋は、貴重な役割を果たすことになると見込まれます。

ウィークエンドには、普段働いている人たち、学校に通っている子供達も参加できるワークショップや催しもやっていければと思っています。

場所として、のんちゃんの家の隣にある築70年の古民家の寄贈がありましたが、大規模な改修工事が必要です。そのために、みなさんの寄付をお願いしたい次第です。