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手づくりから社会を変えるナウトピア的アプローチ その2 脱専門家主義

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ガンディーのチャルカ運動の現代版といえば、トラヴィス・メニノルフの織物ワークショップのことが思い出される。一月以上の間、バークレー美術館の一角が即席織物工房になり、誰でもタダで参加しては、そこにプールしてある材料や道具を使って、織物を教わったり、実際、ものづくりして持って帰れるというもの。

とても楽しかったけれど、慣れるまでちょっと時間がかかった。というのも、あまりにカオティックだったから。組織だったレクチャーもなにもなく、偶然出くわしたできる人が、できない人に伝授しながら、いつも誰かしら織物してる。誰もが先生、誰もが生徒。完全に平等な関係がそこにある。例えば、私はそこで、トラヴィスに直接習って、彼が作った簡易機織り機で、生まれて初めて機織りをした。結構うまくいって、よろこぶのもつかの間、その15分後くらいには、今度は、私が、次に来た地元の小学生に機織りを教える羽目に。トラヴィスを呼ぼうとしても、彼は他の人の指導をしていてつかまらない。「え〜っ私、つい15分前に生まれて初めて機織りしたばかりなのよ。もう先生として教えなきゃいけないなんてあんまりだ・・・」と思いながら、いつのまにか、楽しく一緒に機織りしていた。

しかし、そんなふうに、「専門家ではないのに、資格もないのに、なぜ私が・・・」と思う発想そのものが、このワークショップで克服しようと試みられてたものだったのだ。

ヘレナ・ノーバーク=ホッジさんが報告する1970年代くらいまでのラダックなどその代表例だけど、貨幣経済が本格化する前の、衣食住に必要なほとんどのものを自分たちでまかなう自給自足的なコミュニティには、そもそも専門家はいなかったという。得意不得意はあるけれど、生きていくのに必要なことは、誰にでもできたという。しかもその際使うのは、地元のどこにでも転がっているような素材。それで、どうやって食べ物や着る物や家を作れるか、誰でも知ってた。私が話をきいた北海道の田舎のお年寄りも、「じいちゃんはなんでもできた。ソリも、雪靴も、自分でつくったもんだ。当時はみんなそうだよ」といっていた。つまり、希少性のあるものが暮らしに持ち込まれる余地がなかった。他の人にはアクセスできない必要な素材を独占したり、他の人にはできないことを独占的にできる専門家や機械や、その方法を独占的に教える機関、学校もなかった。暮らしに必要な知識や技術は、生活の中で自然に身につけていく。人生がいわば学校。すべてのまなびは状況内在的になされていたからだ。

いい加減に思えるけど、実はとても高度。 限られた地元資源をうまく管理して、持続可能に使い回すとても賢い知恵の集大成だから。そこで育つ子供達は自分でも意識しないうちに、暮らしの中で、手伝いしながら、遊びながら、これらの知恵や技をみにつけてきた。

しかしそうしたそれが途絶える。義務教育が始まって学校に行かなきゃいけなくなったから。家や畑で、暮らしながら学ぶ時間はなくなってしまった。学校では地域に根ざした衣食住のまかないかたは教わらない。つまり、「必要なものは買いなさい、消費者になりなさい。あらゆるものは、そのやり方を専門的に学び、生産手段を独占した人たちにまかせなさい!」というわけだ。

資本主義のロジックである
なんでも無理くり希少なものにする→一部の人(その道の専門家)が発信源を独占できるようにする→他の人は大人しくそれを買う消費者になる。
という道筋が、学校教育のプロセスの中でしっかり引かれていったのだ。

このロジックの一番怖いところは、お金がないと何にもできない人が大量生産されてしまうこと。学校にいっていたせいで、衣食住に必要なことをまったく学べないまま大きくなったものの、仕事にありつけず、お金にありつけない人には、家も服も食べ物もありつけなくなってしまう。ほとんどの文化圏で、自給自足的な経済の崩壊と、貧困問題の出現は同時に進んでいる。

もちろんその道の専門家になったら、衣食住の知識習うけど、もはやそれは地域の資源、エネルギーを持続可能に使い回す知恵に根ざしたものではない。たとえば農業だったら、大型機械、化学肥料、農薬を使うというように、行政や大企業に依存した、地域性無視した大規模でトップダウン式の方法であることが多い。それはしばしば全国一律に手に入るエネルギー、資源、商品に依存した生産方法によるもので、安定供給されはしても、浪費的で、汚染や搾取の構造を内在させた、持続不可能なものだ。

人にできないことを独占的に発信できる人にすべて任せる、「専門家」主義に関して、でも一番やっかいだと思われるのは、それ以外の人をおまかせ体質にして、無力にするのとパラレルに進むことだろう。

そんなことを考えるにつれ、
「専門家でないのに、私なんかが、教えられっこない」と思うこと自体、問題だったってことも見えてくる!

つまり、組織だったカリキュラムもなく、誰が先生で誰が生徒かもさだかでないトラヴィスの織物工房は、自給的な社会での学びの場を再現したもの。行き当たりばったりに教えあい、たくさん失敗もしながらも、全体としてエンパワーされていく、おまかせ体質も脱却していくというのが、味噌だったのだ!