ナウトピア人名録

人を幸せにするテロリズム? 洋子さんと仲間たち

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私の友達、洋子さんとその仲間たちが、面白い仕事を思いついた。

彼女たちの本拠地、岩見沢市は、北海道の地方の例にもれず、「50代まではお兄さん、お姉さん」と呼ばれるほどの、高齢化がかなり進んでいる。しかも子供達は仕事の都合上、札幌その他の都市部に住んでいる独居老人が多い。「お兄さん、お姉さん」や、もっと若い人たちは、なんとなく、彼らのことがちょっと気がかり・・・なんて頭の片隅で思いながら、日々過ごしてたりする。

そんな洋子さんに私は、子供時代、アメリカにいた頃、近所の教会を本拠に子供達が合唱団をつくって、クリスマスの日に、一人暮らしのお年寄りの家にいきなり押しかけて歌を歌う風習があって、それに参加して楽しかったこと、お菓子をたくさんもらってご機嫌だったことなどをある日何気なく話したことがある。それを聞いた洋子さん、なにやらピンときたらしく、「子供でなく、おばさんでも、私たちやる」と、近所の仲間と「レインボー・エンジェル」というグループを結成。

「子供でなくてもやる」以外にも、くわえた修正は、クリスマスではなくて、誕生日にサプライズパーティを仕掛けること。また、そんな風習もまったくないところに、いきなり見ず知らずの大人が大勢押しかけるとこわがられるかもしれないので、まずは知り合いの独居老人から、知り合いの知り合いを相手にすることにしたこと。

また、はじめはもっぱら歌を歌っていたけれども、だんだんカスタマイズして、相手のことを前もって調査しておき、一番よろこんでくれそうなことをパーティーの中に組みこむことにしたこと。例えば、音楽が好きな人だったら音楽をたくさん取りこんで・・・といった具合。

また、レインボーエンジェルのメンバー自身の特技もその際、生かせるようにパーティをデザインする。たとえばメンバーの中に、京子さんという手紙を書くのが大好きなメンバーがいるのだけど、彼女はたとえば、相手の子供に前もって連絡。子供が親に伝えたいことを電話などで聞いておいて、それをもとに手紙を代筆して、パーティの中で読み上げることにした。パーティ自体がサプライズでいきなりはじまるのと同じように、手紙の朗読も、誰から来たのかと言った説明など、前置きなくいきなりはじまる。でもだんだん読み進むにつれて、それが息子や娘からの言葉だったってことがわかり、最後に、「〜より」と差出人の名前が読まれる頃には、ほとんどの人が涙ぐんでるのだそう。

「感謝」のセラピー効果をライフワークにする洋子さんがパーティ中に仕掛けるのは、「ありがとうシャワー」。みんなで「ありがとう」という言葉をシャワーのように相手に浴びせるというもの。「生まれてくれてありがとう!」「生きててくれてありがとう」。その都度のご相手は、メンバーの多くにとって初対面だったりするのに、一体何に「ありがとう」というの?・・・なんて質問はご無用。生きててくれていることは、確かなのだから! これもドラマチックな効果をあげ、「何十年も生きてきたけれど、その中で最高の誕生日でした」などと言われたこともあるとか。

このサプライズバースディパーティ・プロジェクトは始まって一年ちょっとだけど、目覚しい効果をあげ、前回はパーティをしてもらった人が、次は、仕掛け人メンバーに加わってるなんてこともあったり。そこまでいかなくても、いろんなかたちで、お返ししてくれようとする。このパーティが旋風さながら通過した後には、人がつながり、コミュニティが姿をあらわしはじめる。「独居老人が孤独だなんて、冗談じゃない!」みたいなとんでもないムーブメントになってきた。実際、純度の高いよろこびほど、膨張力のあるものはない。

パーティのプランをたて、仕掛ける方も、これほど面白い仕事はないのだという。サプライズでなければならないので、探偵さながら、気づかれないよう、秘密のうちに相手について調査しなければならない。これが何となく「たくらみ」を凝らしているような、遊び心をくすぐる。

と同時に、パーティのデザインは、それこそ、クリエィティビティを試される場。といってもパーティは一過性のイベントなので、「作品」づくりのように、後にのこらない。「自分の」作品といった、エゴとも無縁で、すべては、当人に「贈り」よろこばせるため。才能が文字通りギフトとして使われるわけだから、本当にそこには、無私のよろこびがあるばかり。

ゲリラ的にパーティを仕掛けるこのプロジェクトの話を聞いた時、私が思い出したのは、TAZ (Temporary Autonomous Zone 一時的自律領域)という概念を思いつき、本も書いたアメリカの詩人、ハキム・ベイのこと。彼によると、戦争が、テロリズムになり、いつ、どこがいきなり戦場になるかわからなくなった時代、その反対のこと、人と人をつなぎ、しあわせにすることも、同じ手口で行われる必要があると言い、それを「詩的テロリズム」と呼んだ。もしかしたらこれも詩的テロリズムの一種かも。本家アメリカでTAZといえば、おしゃれな若い人たちが、パンクミュージックを背景に踊りまくっているイメージがあるけれど、日本では、田舎の独居老人の間で吹き荒れる。

そんな中、メンバーの一人が勤めていた会社がなくなり、失業してしまうという出来事があった。彼女はシングルマザーで男の子を育てている最中でもある。大変ですね、心中察します・・・みたいに話しかけると、本人はいつものように、ニコニコしていて、「全然、不安、感じないの」とのこと。日々、こんなことして暮らしてると、「ハッピー」が板について離れなくなるのかしら? 逆に周りの方が、彼女がその後、生計を立てる方法について、考え始めた次第。自然ななりゆきで、このサプライズパーティープロジェクトをビジネスにしようという案が出てきた。

例えば、年を重ねながら一人で暮らしている親のことが気になるけれど、忙しくてなかなか会いにいけない。そういう人にクライアントになってもらい、しかるべき謝礼をいただく。また、ハッピーな現場をともにしてくれた人たち、特にその人のためにパーティを開いた人から、寄付もつのれるかもしれない。

といっても、「会社」といった縦割りの硬い組織にする気は毛頭ない。初志をともにするコアメンバーはしっかり残しながら、実戦部隊としては、オープンエンド。映画ごとにチームを新たにつくるハリウッド・システムのように、その都度その都度、クライアントやご相手にあわせて、新たにチームを組み直す。メンバー一人一人がやりたいこと、持ち前の才能をギフト「贈り物」として発揮できる自己実現の場をつくるというのも彼女たちが大きく掲げるテーマ。

というわけで、私自身も仲間に加わることにした。パーティの実行部隊というより、このプロジェクト全体の意味について理論的に考え、それをみんなに知らしめるPR部隊として。この文章も、その活動の一環で書かれたものともいえるかも。

といっても、私自身はみんなに貢献してるっていうより、このプランを聞いてもらったインスピレーション、ひらめきを追っかけて、明るみにしていくっていうとっておきのよろこびを味わってるだけなのだけど。(つづく)

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