ナウトピアのつくり方

平和のために日々できること 2

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先ほど、平和をランプにたとえ、ランプのスイッチを押せば、ランプシェードの形の違いはどうでもよくなり、あるのは一緒に部屋を明るくしている共同作業あるばかり。平和に生きるって、違いを超えて、光を溶け合わせる、この共同作業の部分に注目して生きてくことなんじゃないかってお話をした。

でも、ここで明かりをつけるって、なんのたとえ?具体的にどうすることなの?と思われるかも。

私がやっているのは、ほんのちょっとした瞑想。誰かに腹を立てたり、妬ましく思ったりしたときでもいいし、逆にその人が好きでたまらないのだけど、一緒にいれなくて寂しいとか、その人のことがとても好きなのだけど、その人は自分のことを意に介してもいないように見えてつらい・・・など何でもいい。とにかく人との間に隔たりを感じた時、その人を心の中に招待してみる。要するに、その人の姿を心に思い浮かべるわけだけど、もちろんそのとき、心の中はその人をめぐる怒りや妬ましさや悲しさや疑惑や懸念が雲のようにうっそうと渦巻いてる。

そんな気持ちになるのも、それぞれ、もっともな理由があってのことで、その正しさを証明しようとすれば、いくらでもできる。「あの人は間違ってる、なぜなら・・・」とか、「あの人を助けてあげなければ、なぜなら・・・」などなど。

その人の周りに渦巻くこうした感情の雲を、別に否定する必要はない。否定しようとするとますます暴れることがあるからね。ただただ、静かにちょっと距離を置いて見つめて見る。そうするとだんだんこの雲を度外視して見れるようになってくる。

と同時に、その人と私が、どんなときにも、どこにいても、生きてる限り(いや死んでても!)一つにつながり、溶け合ってる様子を感じようって努力して見る。たとえ、今、どんなことが進行中でも、魂として、生命として、一つの光に溶け合いながら、つながってる。

そういう確信が湧いてきたら、できるだけじっくり、その感覚を味わってみる。

この一体感をたっぷり味わった後で、もう一度、先ほどの雲の方を眺めると、とにかく大笑い。二人の間であったトラブルや、疑惑や懸念は、いまや子供の可愛らしいお芝居、笑い話みたいに見えてくるから不思議。色からものの輪郭が浮いて見える、カンディンスキーのガラス絵にも似てるかも。

あたりが明るくなると、投影されている映画のフィルムも光って見えなくなるのに似てる。

もちろん、人間関係のトラブルの中には、しっかり責任追求しなきゃいけないようなことが絡んでいることもある。そんな場合も、それまでよりも冷静に対処できる。

とくに、どっちが悪いかを「裁く」より、関係全体を「癒す」ために、何が必要なのかも見えてくる。

そんなふうに、誰かとの間に少しでも、わだかまり、壁を感じ始めた途端に、それが光に溶けて、一体感を感じられるまで、その人のことを考え続けるってことをやってる。毎日必ず1〜2回はやっているかな?

面倒なようだけど、実際にやって見ると楽しいし、幸せな気分になってくる。一体感っていっても、私の空想の中。といっても、不思議なシンクロニシティがたくさん起こるようになるので、あながち空想とばかりいえないかもしれない。

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