ナウトピアのつくり方

「奪う」経済から「贈る」経済へ ガンディーの信託主義

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いろんな人がこれまで考えた政治制度の中で、私が一番、「これだ!」って今の所思うのは、ガンディーの信託主義だ。それは外面的見る限り、資本主義のまま。

というのも、富者から財産をとりあげたり、彼らに重税を課すこともそれ自体、強制であり、暴力だって考えられる。どちらかというと貧者の側に立つ私には、痛快に感じられるけれど、この痛快さの裏に嫉妬や復讐心がうごめいているのは、否めない。そういうことはもちろん、非暴力主義者のガンディーが良しとするものではなかった。

それに、彼らが富者になっているのも、それなりの理由あってのことだって考えられる。単に運が良かったり、不正をしているからってこともあるかもしれないけれど、そんな場合、一時的に大金が手に入っても、長続きするもんじゃない。ずっと富み栄え続けている人たちは、先見の明があって時流を読むことができたり、資金管理や経営能力に長けていたり、人を動かす能力があったりするからだって考えられる。とすれば、彼らの元にお金が集中しているのは、決して悪いことではない。

問題はむしろ、自分の掌中にあるお金や力を、自分のものとみなす「所有」の概念にあるんじゃないかというのが、ガンディーのアイデアだ。

そこで出てくるのが、お金、権限、能力にいたるまで、すべて自分が「所有」しているのではなく、万人のために最大限生かせるよう「信託」されていると考えよという「信託主義」のアイデアだ。

「あなたがたはゴミ一粒、紙切れ一枚浪費してはならないし、同様に、一秒なりとも自分の時間を無駄にしてはならない。というのもそれはわたしたちのものではないからだ。それは国民皆のものである。私たちはその使用を託された被信託人である」

この考えによると、たくさんお金を持っている人、才能、能力に恵まれた人、技術、教養を身につけた人ほど、それをしっかり管理し、みんなのために生かし、社会貢献する重い責任を担っていることになる。

私たちがふつう、そうした広い意味での「資本」を活用して、どれだけ多くのものを、自分のために「得る」ことができるかをまずは考えるのとは対照的。どれだけ多くのものを、多くの人に「贈れる」か、というのを問題にするわけだ。

つまり、外面的には資本主義のままだけど、全体を眺める視点は全然変わってる。それにつれ、「奪う」経済から、「贈る」経済へと内から変容すると言ってもいいかもしれない。

すべてのものは皆のものと思っている点で、社会主義にとても近い。とはいえ、そう思っているだけで、実際に皆で富を共有したり再分配しない点は、違う。

「心の社会主義」って呼べるかもしれない。

「そんなのいい気分になってるだけじゃないの?」「単なる主観主義、精神主義なんじゃないの?」と言いたい気にもなる。

でも実際に社会主義制度をとって、皆の富を実際、共有して管理したり再分配する場合、それをやるのもまた人間だってことを考えると、神のような中立的、公平な視点からできるのかなって思えるし。逆に、もしそんな視点があるとすれば、それはすべての人の中にある「良心」の中にある。だったら、それにまかせておくのが、一番じゃないの? と考えられる。

信託主義では、一人一人が、自分の良心の声に従いながら、社会主義をやるというもの。個々人の良心が統治する社会主義といってもいかも。

それはまた、生産性を高めてくれる才能や能力は結局のところ個人の中にしか宿らないこと、これを最大に発揮するには最大の自由が必要で、なるだけ個人の裁量に任せた方がいいってこととも相性がいい。つまり、トップダウンの制度はどうしても、こうした自由を制限してしまう可能性があるからね。計画経済のように生産過程や手段までコントロールせず、生産の全過程を個人の自発性に委ねて社会的に強制しない。そんなところはあくまで個人主義。といっても、私益、エゴのための個人主義ではなく、全体のため。「個人的非所有主義」ともいわれるとか(アジット・K・スグプタ『ガンディーの経済学』作品社)

私のように、どこにも所属せずに、フリーで、しかも複業しながら、なんとか生活しようとしてる人にも、指針になる考え方だといえるかも。

本を書いたり、講演したり、イベントのオーガナイズをやったり、自宅の空き部屋を貸したり、手芸をやったり、農業をかじったり、最近はツアーガイドみたいなことをして、「私って何屋さんなんだろう?」って思うこともしばしば。でも、誰でもふつう、多面的な能力、才能、適性を持ってるはず。それらをみんな生かして、他の人たちのために還元しようとしたら、複数の仕事が同時進行し始めるのは、自然な成り行きだって言えるかも。

また、「こんなレベルのもので、お金をもらったりして、いいんだろうか?」とすっかり自信を失ってしまうこともある。でもそれは、競争主義のマインドセットがすっかり染みついて、とれなくなってしまっているから。できる範囲でやればいい。自分の持ってる能力やリソースは皆のもの。とにかく生かして、かたちにして、贈る責任があるんだって、考えることにしてる。

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