草の根活動の紹介

「炭鉱の記憶」を地域の資源に

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NPO法人炭鉱の記憶推進事業団 | 岩見沢市

北海道の石炭生産は、1879(明治12)年の官営幌内炭鉱(三笠市)に始まる。1882(明治15)年には、石炭搬出のため全国で三番目となる幌内鉄道(小樽市手宮~三笠市幌内)が開通し、北海道開拓の先導役となった。その後、続々と開発された炭鉱によって、空知地域は国内有数の産炭地域となり、わが国経済の発展に貢献してきた。しかし、1960年代のエネルギー革命によって、地域の基盤産業であった石炭産業は一気に衰退した。

現在、空知産炭地域の人口は最盛期の1/5にまで減少し、高齢化率は40%を超えている。このような急激な地域変動に対して、当初は公共事業による地域振興を図ったが、ほとんど成果を生まず、各自治体ともに苦しい地域経営を続けている。

このような中で、1998~1999年の北海道空知支庁の調査を契機に、従来は「負の遺産」としされてきた炭鉱遺産を、地域の固有性の表現と価値の源泉として捉え活用しようとする地域政策がスタートした。地域に残る炭鉱遺産は、立坑やズリ山など有形物だけではなく、ナンコ料理など食習慣、炭山祭りや盆踊りのようなイベント、語り部の記憶などの無形物まで広く定義され、「炭鉱の記憶」と総称され今日ではすっかり定着している。

当初は、空知支庁のイニシアティブで始まった取り組みだが、次第に市民側の動きが活発化し、2003年以降は市民側が行政に積極的な働きかけを行うようになった。2006年の夕張市財政破綻を契機にNPO法人炭鉱の記憶推進事業団が設立され、市民側の動きが本格化した。2008年度には、NPOの全面的な協力によって地域再生のマスタープランである「そらち産炭地域活性化戦略」(空知支庁)が策定され、この戦略に沿って2009年には岩見沢市に地域内外を結ぶ拠点として「そらち炭鉱の記憶マネージメントセンター」が開設された。

わずか100年の短期間で、絶頂と没落を経験した北海道の空知産炭地域には、様々な人々の「思い」と、教訓や示唆に富んだ「場」が存在する。そのような「場」を活性化することによって、地域再生への新たな動きとして定着させるための活動が精力的に展開されている。特に、そのテーマとして「アート」に着目しており、2004年には住友赤平立坑(赤平市)で、2009年には北炭幌内布引立坑跡(三笠市)で札幌市立大学の教員・学生の協力を得てアートインスタレーションが開催された。また、歴史的なつながりの深い地域と連携する動きも本格化しつつあり、2010年からは小樽・室蘭とともに「炭鉄港2010 北の近代三都物語」というキャンペーンも展開している。

地域内と地域外、過去と未来、形のある遺産と形のない記憶を結び、沈滞した地域に新たな動きを起こす取り組みは、ますます活発化している。

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