草の根活動の紹介

追分の声の襞の一つ一つにこめられた江差の風土、漁村、港町の暮らし、先達の 苦労や思いを守る

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江差追分会館 | 江差市

その土地で歌いつがれてきた民謡を聞くと、土地の自然や風土、何を生業にするどんな人々が住んでいて、何を感じ、考えながら暮らしてきたか、その苦悩や喜びが、ひびきやリズム、歌詞のすみずみに織りこまれているのに気づく。たとえばかつて鰊漁と北前船の交易で栄えた北海道南部の港町江差で歌いつがれている追分もそのような民謡の一つで、その声の揺れ一つ一つに、日の光をあびてさまざまな色に輝きながら、その時々に、穏やかだったり高らかにうねる海の波のイメージが結びつき、またその波のうねりに望郷や別れ、働く喜びや苦しみといった人々の思いが歌いこまれているのに気づかされる。下のような証言をきくと、歌を歌い継いでいく人々自身、歌を暮らしと密着したものとしてとらえていることがわかる。江差追分の名手である漁師の青坂満は子供時代を振り返って次のように語っている。

漁師はいつも舟に身体をあずけてひとりで沖に出てゆく。時化でも来れば命がけの危険にさらされる。まして今のように、安全設備などない時代だから櫂一本だけが頼りだ。

東風(やませ)が吹き出してくると時化模様になる。沖が荒れて港に帰れなくなるのだ。沖に出ている船は次々と急いで港に帰ってくるが、親父の船は暗くなってもまだ見えない。そんな時、おっつかあは島の上にあがって荒れる沖をいつまでも眺めている。沖にぽつんとガス灯の明かりが揺れて、我慢できなくなるとそれが親父の舟に見えるのかふきすさぶ風に向かって「おどぅ~、おどぅ~」と声を振り絞って沖にさけぶ。

「どこにいるんだば、おどぅー」。闇に叫んでもきこえるわけもないのに──。
「なにして、あったらに怒鳴るんだべなー」
子ども心にそう思った。おっかぁの叫び声を聞いていると、さびしく、悲しくなってくる。
「おどぅー、おどぅー」の叫び声が、風に乗って追分のように聞こえた。
追分の節のなかにはこんな声があるように満は思った。
やさしくて、悲しくて、だからおれは追分が好きなんだな──。
(松村隆『たば風に唄う 江差追分青坂満』より)

命がけの漁師の生活と、それを支える家族の思いを語る一節は、江差弁の語り口がもたらす効果とあいまって、豊かな生活で呆けた、賃金労働で暮らす都市生活者には足元にも及ばない圧倒的なリアリティで迫ってくる。今の追分民謡には、漁師のほかにも町の職人や色町で歌われてた唄も総合されている。いずれにしろ、その味わいは、そうしたさまざまな生活の持つリアリティに深く根ざしてこそ生まれたことを感じさせられる。これに匹敵する状況にねざしたリアリティを持つ歌を、都市生活者は持ってるだろうか? 理想的、抽象的な構築物をつくりあげる西洋音楽クラシックにしろ、世界共通のコマーシャル的、均質な響きを響かせるポップスにしろ、カプセルのように自分自身のなかに閉じこもっていて、かつての民謡のように、ざらざらとした土や雨風、ありのままの暮らしが広がる外の世界に向かって開かれていかない。

江差追分は、師匠が自分の家で授業料もとらずに教える道場で唄いつがれてきた。が、それが長く師匠やその家族の負担になってきた。この問題を解決しようと合同練習場をつくろうとしたのが追分会館のはじまり。江差追分全国大会の舞台になるほか、祭の櫓展示などもあり、江差追分を生み、育んできた町の歴史と文化の情報発信地にもなっている。

参考資料
松村隆『たば風に唄う 江差追分青坂満』北海道新聞社

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