草の根活動の紹介

人の流れが蘇らせるまちの息吹

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ふらの演劇工房 | 富良野市

1981年から2001年まで放映された連続テレビドラマ「北の国から」は、富良野の自然、人と暮らしの価値を引き出し、全国の人々に知らしめ、政治や経済になしえない圧倒的な文化の力で過疎の町を蘇らせた。その反響で富良野は、対抗文化的で自立した生活に共感する全国の演劇青年たちの一種のメッカとなり、富良野に住んで演劇を学びたいという彼らの期待にこたえて1984年、「北の国から」の脚本家、倉本聰が設立したのが富良野塾だ。2年間の授業料は一切とらず、農作業しながら共同生活を送り、生活費を稼ぎながら脚本、演劇を学ぶコミューン風の塾で、2010年の閉塾までに375名がここに学び働き、そこから全国、世界各地へ演劇公演に出かけて行った。卒業した塾生の中、40数名が富良野に定住している。田舎暮らしにあこがれて全国の主に都市部から移り住む人々がもたらす影響力や、従来の住人にはない形で、土地を新鮮な目でとらえ直す視点は、今日の北海道を形成してきた重要な要素の一つで、ここにはじまったものではない。が、このドラマの影響と富良野塾の存在は、この波が組織的、持続的になされる窓口となり、人の流れが確実にまちを変えていった。

この流れを一過性のものに終わらせず、まちづくりにつなげようと富良野市は2000年、劇場、「富良野演劇工場」を設立。しかしその運営は、富良野が育ててきた演劇人が中心となり、演劇好きの市民ボランティア等がささえる全国初の認定NPO法人「ふらの演劇工房」。作ったのは市でありながら、企画には行政は関わらず、文化関係者が文化関係者による企画という近年増えてきたものの、地方都市にはまだまれな運営方式は、初年度から実効性を発揮。質の高い企画と安定した黒字経営にこぎつけた。その背景にはボランティアの活躍と、たぐいまれな組織力、市民に劇場企画運営の醍醐味を学んでもらう「市民プロジューサー育成事業」に代表されるような市民連携の強さがある。が、秘訣は自分たちが心底楽しんでいると、それにつられて自然と人は集まってくるという「天の岩戸方式」。高圧的なイディオロギーが背後にあるわけではない、草の根的な努力の積み重ねだという。

「目標は富良野を演劇の町にすること。すでに市民の演劇を見る目は他の町よりずっと肥えています!」と、演劇工房事務局長と工場長を兼ねる太田竜介氏。演劇と富良野の物語の今後のストーリー展開が楽しみである。

参考資料:
北海道ふるさと新書『富良野市 もうひとつの「北の国から」』北海道新聞社
2003年

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