ナウトピアのつくり方

学校とお店と社交場を兼ねたワークショップを地域で共有 平和のために日々できること 4

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平和について私たちが日々できること。心の問題も大切だけど、その物質的な基礎も、欠かせない。生きるに欠かせない衣食住の物資が、平等に行き渡っていて、誰も食うに困らない必要がある。

フードチェーンや大型発電所のような大規模なシステムで量産してから、分配するシステムは、輸送距離が長くなり、エネルギー消費も高まるというふうに、無駄が多くなってしまう。公平に分配する完璧なシステムをつくるから任せておけと言われてもねぇ。独占的に生産・分配する力を誰かに預けるということになるというトップダウンの構造そのものが信頼のおける代物ではない。生殺与奪に関わるものすごい権力を誰かに託すってことになるし。全知全能の神でもない限り、完璧なシステムなんてつくれない。ましてや利潤追求を第一義にしている資本主義下の企業体なわけだし。

それに、そうした大きなところにすべてお任せするというのは、依存すること、責任を丸投げするってことでもある。その上で何かトラブルがあったときには、「どうしてくれるんだ」と怒ることしかできない。そういったことはもう3.11でたくさんだって思うんだ。

そんなことを考えるとき、平等に分配すべきなのは出来上がった物というより、生産手段やスキル。みんなが発信源、生産者になることで、はじめて本当に平等になり、争いのタネになるようなことはなくなると思うのだ。

理想的には各人が自給自足。といっても、それぞれ適性、向き不向きがある。
必要物資が回る規模を小さくしていき、その地域、コミュニティ全体として、生活に必要なものを、だいたいまかなえる状況を目指せば十分だ。

厳密にやる必要もないと思う。ポイントは、皆の自立力、選択肢、自由度を高めること。生産手段やスキルや流通を独占するシステムが入り込まないようにすることなのだから。

そのためには、生活に必要なものを自分たちでつくり、分かち合う。そのために必要なものを、必要な知識をシェアしあうコミュニティを作るのが一番だと思う。

ここで思い出されるのは、アメリカのアーティスト、トラヴィス・メニノルフの織物ワークショップのこと。一月以上の間、バークレー美術館の一角が即席織物工房になり、誰でもタダで参加しては、そこにプールしてある材料や道具(ほとんどが寄付)を使って、織物を教わったり、実際、ものづくりして持って帰れるというもの。

とても楽しかったけれど、慣れるまでちょっと時間がかかった。というのも、あまりにカオティックだったから。組織だったレクチャーもなにもなく、偶然出くわしたできる人が、できない人に伝授しながら、いつも誰かしら織物してる。誰もが先生、誰もが生徒。完全に平等な関係がそこにある。

たとえば、私はそこで、トラヴィスに直接習って、彼が作った簡易機織り機で、生まれて初めて機織りをした。結構うまくいって、よろこぶのもつかの間、その15分後くらいには、今度は、私が、次に来た地元の小学生に機織りを教える羽目に。トラヴィスを呼ぼうとしても、彼は他の人の指導をしていてつかまらない。「え〜っ私、つい15分前に生まれて初めて機織りしたばかりなのよ。もう先生として教えなきゃいけないなんてあんまりだ・・・」と思いながら、いつのまにか、楽しく一緒に機織りしていた。

そんなふうに、「専門家ではないのに、資格もないのに、なぜ私が・・・」と思う発想そのものが、このワークショップで克服しようと試みられてたものだったのだ。

そこで目指されていたのは、グローバル化以前のラダックのような、自給社会での学びの場を再現すること。学校というより学びのコミュニティ。共同のまなびの場だ。みんなが自立し、自由になるための学校だった。

いらない服などリサイクル素材をプールして、そこにいけば、材料と生産手段が共有できる、トラビスのこのワークショップのような場所が各コミュニティにあれば、衣類と私たちの関わり方はずいぶん自立度の高いものになるだろう。

食に関しては、コミュニティガーデンや共同キッチンが同じ役割を果たすかも。食にまつわる生産手段とスキルを共有しながら、栽培法、保存法、調理法で、その場に居合わせた人たちが互いにノウハウを教えあう。

住に関しては、対象物が大きいので、それぞれ必要なものを一斉に同じ場所で作るのは無理。でも、村で誰かが納屋を作るときには、村人全員が駆けつけて手伝ったという、開拓時代アメリカであった「納屋づくり」の伝統に習って、代わる代わる、みんなが駆けつけて大工仕事を手伝うってことはできるかもしれない。安全管理も入ってくるから、素人仕事の横行も危険になる顔知れないけれど、それだけ慎重に、プロの人が適切に中に入って指導すれば、うまくいくのではないかな。

そんなふうに、衣食住に関して、生産手段とノウハウを手にしてみんなで助け合い、自分でできることを少しずつ増やしていく。しかも地域にふんだんにあるものを利用した、地域に密着した形で! 衣食住に関して、ものがいるとき、道具が必要な時、ものづくりのスキルを誰かに教えてほしい時、あるいは教えたい時には、いつもそこに行けばいい。仲良くなるにも、格好の場所。単にお茶を飲んでおしゃべりをするより、ずっと生産的なおつきあいがそこにある。

そんな「学校」兼「作業場」兼「ショッピングセンター」兼、「コミュニティセンター」が各地にあれば、これはすごいこと!そんな場所が、各地域にあれば、みんなの自立力、ずいぶんアップするはず。商品、サービスをいちいち買わなくても、やっていける領域が生活の中に少しずつ増える。

ということは、お金にそんなに依存しなくても生きていけるようになるということで、人生の選択肢が増え、自由度も高くなることでもある。

自立して暮らせる能力があるってことは、ベーシックインカムのようなもの。これさえあれば、何があっても、少なくとも食いはぐれることはない安心感を与えてくれる。しかも、ベーシックインカムそのもののように、行政システムにたよらないで、自分たちの力で、生活必要最低ラインをクリアするわけだから、まさに絶対安心の境地といえる。