奇跡のコース

心の暗闇を抜けて、イエスのもとへ ラファエルさんのこと

  • LINEで送る

『マニュアル編』の「信頼の深化」という節に、私たちが目覚めの道の途上で、どんな段階をたどるか、説明してあります。
6つの期間がある中の4番目の期間で、私たちは、この世界の中で価値がないと思われるもの、たとえばあらゆるストレス、怒り、悲しみなどをを、ゆるしによって手放していきますが、
5番目の期間に入ると、それまで世界の中で「価値ある」と見なしてきた最後のもの(「偶像」と呼ばれてます)も含め、
世界の中に「形」をとって存在するものに、何一つ価値を見出せなくなってくる。

そのすべてを脇に置いて、
「形」のない、つまり分離を知らない、この世界のものではない、愛そのもの、光そのものに没入しようとするのですが、
その際、私たちのこの世界の知覚全体を支えるおそれが噴出してくる時期をくぐらなければなりません。
テキスト18章9節、「二つの世界」で、「恐れの輪」と呼ばれているものです。

知覚された世界全体がそこから成立しているこの根源的な恐れを感じることができるということは、
それだけの準備が整っているということで、
素晴らしいことですよね。

ただ、この世界で、「心の病」を病んでると呼ばれている人人、
「悲惨な過去」「特殊な生い立ち」のせいで、毎日漠然とした不安に苛まれていると自分で思いこんでいる人の多くが、
この第5期間を集中的に体験しているだけだったというのは、大いにありうると思ってます。
本当は、「病人」としてネガティブなレッテルを貼られるより、畏怖の対象になっていいはず!

***
先日、リビングミラクルコミュニティの「信頼と献身の発展」についてのリトリートの録音を、オンラインで聞いていると、ラファエルさんという人が、このあたりの自分の体験のシェアをしてくれていました。

ポルトガル出身の彼は、22歳の時、全てを捨てて、目覚めの道に入ったそうです。
タイの僧院で、仏教系の瞑想修行をしながら、
心の暗闇が浮上してくるのをゆるしていいんだと思いながら
暗闇に圧倒されるようになり、
あらゆるところから聞こえてくる叫び声の幻聴に悩まされ、
視力、聴力もみるみる減退していき、立って、動くことすら難しくなるところまで行ったのだそうです。

その後、ディヴィッドとつながって、リビングミラクルコミュニティに招待され、次第に回復して行ったのだそう。

治癒の鍵になったのは、
他の人々を非難しながら隠遁し引きこもっていた自分は、
実は、 自分自身を非難し、攻撃していたこと。
非難すべき人々は、自分の心の中にあるものの投影だったこと。

だから、人をゆるすことで、自分をゆるすことができること。
このシンプルなことの積み重ねに出口があり、
自分の周りで聞こえる「叫び」と自分の間に少しずつ距離が感じられてきました。

そのためには、ほんの少し、意欲があれば済むことだったことに気づいたことだったのだそうです。

自分は暗くて、無価値、でも、特別でありたい。だから隠れて引きこもっていたい・・・
これまでそんなアイデンティティの混乱があって、
それを状況や人に投影して、おびえていたけれど、

人の無垢さを見るとき、
自分の無垢さも見え、
そこに神が見え、本当は自分も人も神の子だとわかる。
そのとき、アイデンティティの混乱も溶けていったそうです。

そうして癒されていくプロセスの中
数え切れないほど奇跡があったそうですが、
その中の一つに次のような話があります。

みんなでイエスについての映画を観ていたときのこと。
当時のラファエルは、映画を見るのも、みんなと一緒にいるのも、辛くて、15分が限度。
そろそろ席を外して部屋を出ようとすると、ちょうど映画の中で、
イエスが、足の不自由な男に、「立ち上がって歩きなさい!」と言うシーンだったそうです。

そのイエスのセリフがラファエルには、「振り返って、見なさい!」という声に聞こえたそうです。
その声に対してラファエルが、「できない!」と心の中でいうと、
映画の中の足の不自由な男も、同時に「できない!」と言います。

するとまたイエスが、「立ち上がって歩きなさい!」と言い、
ラファエルはまたしてもそのセリフを、「振り返って、見なさい!」と言われているように聞き、
ラファエルも映画中の足の不自由な男と一緒に「できない!」と叫んで、
部屋を去ろうとしたのですが、ふと振り返って、
もう一度映画を見ると、それまで感じられた苦しみがいつの間にか消えて、自分がみるみる癒されていくのを感じたそうです。

で、映画のその続きを見ると、映画の画面の中でも、男が癒されていつの間にか立っていて、「あなたが私を癒してくれた」とイエスに言っていました。
すると、イエスは、「あなたの信仰があなたを癒したのだ」と答えたのだそうです。
その言葉を、ラファエルは、自分に言われたように思います。

そんな体験を重ねる中、ラファエルが気づいたのは、
「自分でなんとかしよう」という思いが、恐れを強め、症状の悪化を招いてたこと
 自分でなんとかする必要なんてどこにもないことに気づいて、
聖霊を、イエスを、心強い仲間を「信頼」して
強い信仰の下、すべてを ゆだねることが、
暗闇からの脱出の鍵だということでした。


その後、ラファエルさんから、彼がたどった転機について、直接お話を聞く機会、いただきました。

そこで彼が強調していたのは、
自分が仏教系の瞑想をやっていたときと、
コースに出会い、リビングミラクルコミュニティに参加した後の1番の違いは、

一人孤独にやる→人と積極的に関わる 

という風に、目覚めの道の方向が180度シフトしたことなのだそうです。

人と積極的に関わり、共同作業に参加しながら、一人一人を罪なき無垢な存在として見ることで、
自分の無垢性に気づき、罪悪感から解放される。
その方向転換が、大変な癒しになったってことを、強調されていました。

コミュニティでは、一見するとスピリチュアルとは言えないような実用的なタスクもたくさんやった。
それらのタスクそのものは、もちろん、時間空間の中、幻想の世界の中にあるけど、
それを一緒にやってくれる人たちを無垢な存在として見ながら、
祈りとともにやることで、強力な目覚めの道になるのに気づいたそうです。

今、彼は、日本のコース学習者についてのドキュメンタリー映画のプロジェクトをイエスのガイダンスの下、はじめられています。これも、そんな仕事の一つと言える。映画を通して、みなさんとつながり、ともに無垢な神の子として目覚めるのが一番の目的なのだそうです。

  • LINEで送る