奇跡のコース

4/28, 4/29 京都の会で、今、やりたいなと思ってること

  • LINEで送る

京都のリアルの会、早いもので、あと1週間になりました。

今回の会は、

「私」を真面目にとるのをやめる!

というテーマでやりたいってお話ししてきましたが、

リアルの会ならではの、本当の私、私の実相を、みんなで分かち合ってる感覚を最大限に活かしながら、

そんな「小さな私」に代わる、安らかで「大きな私」を、

触れられるほどの確かさで、まずはじっくり感じてもらうというのを、大切にしたいなって、思ってます。

その中で、人間関係や身体、仕事などを全く新しく捉え直して、

アイデンティティのお引越しを自然に、かつ着実につかめることができる場にできればと思います。

実相の回路を伝って、人間関係をくつろいだものにする

特に、せっかくみんなでリアルに集まれる会なので、ぜひ、みっちりやってみたいなと思うことがあります。それは、私たち、身体を使わずに、完全に内側からだけ、実相の通路をつたって、あるいは神の子としての共通の本性の通路をつたって、深くつながれることを、体験することです。

これが実感できて、人と会う時、いつもまずはそこで、その人とつながれるようになったら、

人間関係、ものすご〜く、くつろいだものになります。

人に対する罪悪感、投影ベースの遠慮や気遣いから解放されて、

逆に、自由に、のびのび振る舞えるようになります。

どっちみちつながってる(実相は何があっても不変なので)、

安全に、絶対脅かされずにつながってる(身体を使わないので)感じが、

なんでもそこで自由にできて、

いくら転んでも、ふかふかに心地よく受け止めてもらえる「舞台」のように感じられてくるんですね。

この実験かつ練習も、リアルで集まった時の方が、ずっとやりやすいと思うので!

究極的には自分で「大きな私」へ行くことはいけない。

最後は聖霊、イエス、心の助け手にゆだねる。

ただ、そこで跳躍するまで、安らぎという、正しい方角に、助走する練習として、いろいろワークできたらと、思ってます。

そのことに留意しながら、下の話も聞いていただけると、ありがたいです。

温泉ワークのパワーアップ バブル温泉ワーク?

普段、いろんなところに向かっている私たちの意識から、

何かに向かう方向性、矢印→を外して、

今は、どこにも向かわなくて休んでいていいんだよ、

自分がそこからきた源泉に戻って、その中で思いっきり安らいでいいんだよ

となだめるにつれ、

そこから、分離の欠如感がはずれて、

緊張した不安な感じが、だんだん解けて、

寒い日に、極上の露天風呂に身を浸したときのえも言えぬ感じに似ているので、

私は、温泉ワークと呼んで、瞑想や癒しのワークの導入に使っています。

そんなこれまでの温泉ワークに、

ハートが安らぐ呼吸の使い方を取り入れながら、パワーアップしたいです。

「身体だけが私」と思ってる限り、呼吸って、呼吸器官がなすもの。

肺から取り入れた空気を、心臓の鼓動で、全身に回していきますよね。

怖くなった時って、心臓がよくどきどきしますが、

心臓には、おそれ、特に死へのおそれが、染み付いています。

その心臓だけドキドキさせながら呼吸する感じを、たっぷり時間をかけて、ゆっくりと吐く息で自然になだめ、休ませながら、

別の呼吸に、少しずつ、仕事をゆだねさせていく練習ができたらと思います。

それは、身体全体が、周りのものと一緒に、ぷるぷる振動しながら呼吸して、実相のエネルギーを、やすらぎや、ゆたかさの中へ、のびのび広がって、溶け込んでいく呼吸です。

そのぷるぷる振動する感じが、ちょっとバブル風呂に入った感じに似てるので、バブル温泉ワークと名づけました(笑)。でも、実際のバブル風呂より、ずっと微かで、静かで、やさしい振動です。振動というより、全身で実相を呼吸しているように感じられます。

温泉ワークしながらこの呼吸をすることで、温泉のあたたかさ、安らかさ、静けさが倍増していきます。で、うまい具合に、聖霊、イエスにお仕事をゆだねるための助走ができます。

特に、朝、起きたばかりの時に、潜在意識の奥にひそんでいた恐れが生で浮上して、

心臓ドキドキする不安にさいなまれる時など、有効です。

「反応せずに包み込む」力をパワーアップ

こんなふうに、温泉ワークをパワーアップしながら目指しているのは、

心の闇、身体症状など、不快な体験をしている最中に、

それを、がっしりと包み込む力を増したいって思うからです。

不快な体験がある時、そこに引きずられ、反応して、大騒ぎしたり、なんとか取り除こうと、防衛的になったり、戦おうとしたりと、振り回され始めると、

私たちは、みるみる、小さな「私」の中に閉じ込められてしまいますよね。

「身体だけが私」というところから抜け出せなくなります。

そんなときこそ、この不快感を、

この不快感に全然影響を受けない、安らかな大きな私で包み込みながら、

能天気に、「そこにいていいよ」「あなたもいい味出してるね」「これも面白い人生の彩りかも。まずは楽しみましょう」とのんびり眺めれると、いいですね!

てっとりばやく癒して、取り除きたいからというより、

愛してるから、「お友達になりたい」から、「もっとあなたをよく知りたい」好奇心から、

温泉のお湯がじわっと、身体に染み込むように、気づきを、その不快感に染み込ませていく。

そんなふうに、ピンチの時ほど、それにじたばたと「反応」せずに、やさしく「包み込む」力が増すにつれ、

後のお仕事を、心の助け手に、スムーズに引き渡すこともできるようになりますし、

大きな私へのアイデンティティのお引越しも、確実になってきます。

大きな私は制限するのではなく、ゆるし、生かし、解放する力

コース学習者に、よく見られるタイプとして、世界は幻想なので、何をやっても仕方がない・・・と厭世的になる方、いらっしゃいます。

もちろん、分離のおそれ、欠乏感、無力感から、防衛的に築き上げられた世界の中での営みは、

癒されるにつれ、子供の時に夢中になった遊びのように、自然に、精神的に卒業してしまい、

「あれもいらない」「これもいらない」と、自然に手放したくなってきます。

防衛に費やしていた努力が、みんな必要ないことがわかって、人生、どんどんシンプルになっていきます。

でもそれが進むほど露わになっていく、大きな私。みんなと共有してる、全てを包み込む透明な器、空間のように感じられたり、全体を俯瞰して眺める視点のように感じられたりすると思うのですが、

それがはっきりするほど、人生がどんどん、解放的に、生き生き、輝いてきます。

実相の愛と安らぎのふかふかのクッションの中で、どんなに転んでも、怪我することはないって知ってるので、どんな大冒険も、恐れ知らずに、企てることができるようになります。

夢の最中、これは夢だとわかると、夢なんだから、どうせ死なないんだから・・・となんでもやってみれるのに似てますね。

私たちは、たった一つの実相、神の子としての実相を共有してるんだってことがわかるほど、

その中での、それぞれの「はたらき」function としての個性は、はっきりと際立ってきます!

守られ、導かれてる安心感の中で、自分のはたらきの潜在可能性を、いくらでも追求できるようになります。厭世的になって、引きこもってる暇は、なくなります!

この自由、ゆたかさも、分かち合えると、すばらしいですね!」

自己概念の成り立ちを知ることで、確実に手放す

その場にみんなでいあわせる、リアルの会は、実相にいる感覚も、圧倒的に高まるってお話ししましたが、その中でやるゆるしも、パワフルなものになります。

みなさん、それぞれが今、くぐっていらっしゃるゆるしの課題を持ち込んで、ゆるしをする機会もたっぷり取れればと思っていますが、

今回は特に、自己概念(テキスト31章Ⅴ節)を癒すってこと、やってみましょう。

テキストでもいうように、自己概念は、清く正しく、美しい表向きの明るい顔と、分離の苦しみから、投影や防衛をしてやまない、裏に隠れた闇の顔とが、セットになってます。

人とは違う、分離した私が、自分を清く、正しく、美しく、特別な存在でいようと、

考えたり行動したりする一切合切が、

分離からくるおそれを紛らわし、ごまかし、防衛し、埋め合わせようとする隠れた動機から生まれているのも、わかってきます。

その隠れた動機を直視するこころみも、やりたいです! 恐ろしく感じられるかもしれませんが、みんなでやれば、怖くないです!

その場で完全に癒せるところまでいかなくても、

そのスタートを切ることができます。

小さな「私」が奥に隠しているものを、ほんの一瞥でもできれば、

もう、小さな「私」がやりたがること、みたがること、考えたがることを、

「真面目にとる」ことが、できなくなるはずです。

躍起となってそれを戦ったり、否定する必要もありませんが。

実相の安らぎに守られた中、

いい具合の距離感、ゆるみ、あそびのなかで、

ユーモラスな目で、いたわりながら、みてあげましょう。

そこから、じわじわと心がやわらいでくるのを感じられるかもしれません。

自己概念はこれまで、実相の温泉の前に立ち塞がり、

そこへのアクセスの障害になってきましたが、

それが、ちょっとグラグラ緩んでくることで、

温泉のお湯の温かさが、いたるところから滲み出してくるのに、気づくことになるかもしれません。

宿題 私という言葉をなるだけ使わないで話す、思考する

参加予定されている方に、よかったら、前もって、試していただきたいこと、あります。自覚をうながすためだけのものなので、うまくいかなくても深刻にならず、ゲーム感覚で、ためしてみてください。

それは、「私」という言葉を、この先1週間、なるだけ使わないで話したり思考してみることです。

ただ、生活してると、「私」って言葉、どうしても使う必要がある時ってありますね。あるいは、思わず使ってしまった時もあるかもしれません。

その「私」が何をさしているのか、つまり

1、人とは違う、ちっぽけな「私」。不安でおびえているので、絶えず自分を守らなきゃいけない。守りの姿勢の中で、プライド高く尊大になったり、私が権威の「正しさ」に固執して、傲慢になったりすることもある。奪うのが好き

2、愛情深く、やさしく、静かに、そしてクリアに、全てを包みながら見守ってる大きな「私」。あたり一面にオープンに広がりながら、みんなと繋がってる。全体をいつも見てる、感じてる。与えるのが好き。

一であるのに気づいたら、そこにひそんでるおそれをありのままに見てあげましょう。

まだまだ、若干参加者募集中

定員まで、1~2名あり、直前参加、1日だけの参加も可能です。インスピレーションのある方はぜひ!

概要は、次の通りです。
場所 下京市民活動センター 3F和室 https://www.shimogyo-ikik.net/meetingroom
参加費  28日、29日、各日 3000円

日時 

4月28日(日)
10時30分〜11時 ウェルカムタイム 自由な交流の時間です。この間に到着していただければと思います
16時半       その日の部終了

4月29日(月 祝日)
10時30分開始
16時〜16時半 名残を惜しむタイム 自由な交流の時間です。この間に退出していただければと思います。


その前後、最中の朝食、ランチ、夕食も、希望者は、一緒に、会場、あるいはその近くでとりたいって思ってます。


宿泊されるところは、まちまちでも、実質上、生活をともにするリトリートのようにできればって思ってます。

参加にご興味のある方は、ゆきえさん、 yukiekujiranami*hotmail.com (*を@に置き換えてください)にご連絡ください

  • LINEで送る