よく聖霊視点を選ぶだけ。自分では何もしなくても、あとは、うまくいく・・・なんてこといいますよね。
選ぶだけのことが、そんなに簡単なことがどうして難しいの? ってよくききます。
原因レベルで選んでいないからです。原因レベルとは、あくまで「視点」。
この世界をすでに見ながら、そこに見えるもののうち、「どれ」を選ぶか。
たとえば、紅茶にしようかコーヒーにしようか選ぶように、
AとB、どっちの進路を取ろうかとかってレベルでもない。
いい影響を与えてくれる友達と付き合うのを選ぶとか、
ポジティブな私、ネガティブな私
日々いろんな気分の私、どの気分の私を選ぼうか
そんなレベルでさえもないんですね!
そうでなくて、そういったすべてをどんな「視点」でみているか、
視点を選ぶだけなんです!
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でも、聖霊「視点」って、具体的に、いったい、どんな時に、なれるの? というのが、気になるところですね。
たとえば、立ち止まり、ふっと息をついて、心静かにした時に、
内側から湧いてくる安らかな感じ。やさししい感じ。
その中にいて、その中から、全てを眺めればいいんですね。
この安らかな視点を選ぶと、そこから、おのずと、その視点ならではの行動が展開します。
そのあたりを、紫のヘレンのノート版のACIMのイエスは、行動心理学の言葉を使って、「刺激による反応で、行動が生ずるって、あなたたち(ヘレンやビルなど、心理学者)も言ってるではないですか!」と説明していきます。(奇跡の原理42の2段落目あたり、青い本では奇跡の原理41に当たります)
つまり、原因レベル、大元にある刺激が重要。どんな刺激を選んでるか?
内側から湧いてくる「安らかさ」「やさしさ」を選んで、その中にいて、その視点でいれば、正しい反応、正しい知覚、正しい行動が、自ずと出てくる。というわけです。
原因レベルで正しいチョイスをすると、結果レベルで、何も選ぶ必要がなくなります。これが実はとても重要。
結果レベル、行動レベルで選んでしまうと、エゴの自己流の問題解決がはじまり、小手先だけの防衛がはじまってしまいます。
よくありがちな間違いとして、いろんなところで読んだり耳にした、「聖霊視点の人は、こんなとき、こうする」というデーターを元にして、自力で聖霊流に、振る舞おうと努力するケースがあります。
そんな努力をする必要は、はっきりいって全く、ありません! 結果レベルの操作になり、レベルの混同をはらんだ、防衛になってしまいます。
私たちの方ですべき努力は、原因レベル、視点レベルで、いつも、安らかさを選ぶこと。選んだからには、選んだものに、100パーセントの信をおいて、そこからぶれない。ぶれても、すぐに、訂正して戻る!
それだけです。
*当てにならなく感じても、とにかく、そこに100%の信を置く!*
原因レベルで、内側から湧いてくる安らかさを選ぶって、最初はとてもかすかなものが、そんなにたよりになるの?って思うかもしれません。
ここで、
「自分が信じるものを見る(作る)」
「自分が作ったものを愛する(ますます信じる)」
という、ものすご〜く重要な原理が、活躍してくれることになります。
神の子としての私たちは、創造力を持っていて、その創造力を、知らず知らずのうちに使わずにいられないと言う話ですね。
どんなふうに、私たちがその創造力を使うかというと、
何かを信じる→信じるものが見える→見えるものに基づいて行動する→自分が作ったものを愛する→ますますそれを信じる→ますます信じるものが見える→ますます・・・
と言う形で働きます。
だから、たとえば、「内側から湧いてくる安らかさって、とてもかすかなんだけど、こんなにかすかなものが、そんなに頼りになるの?」とあなたが思ったとすれば、
そんなふうに、自分が感じる「安らかさ」の力を、疑うこと自体が、そんな現実をつくっていきます。「やっぱりそうだった」と確認するループに、入っていってしまうんですね。
瞑想をしても、ワークをしても、「なかなかうまくいきません」「ちょっとうまくいったかと思ったのですが、戻りました」などと、言ってこられる方でよくあるケースは、
「なかなか、うまくいかない」
「うまくいったと思ったら、結局、落とし穴に落ちるだけ」
と最初から、自分で思っていらっしゃる。その思い、信念の力が、そうした現実を作っていく・・・そのループにはまっていらっしゃること。
そういうときに、「そうですか・・・では、今度は、これを試してみたらどうですか?」と私が言ってしまうと、
その人の信念が再生産してやまない「できない私」のドラマに加担してしまうことになりますよね。その人がかけてる「できないメガネ」を分厚くするのに加担してしまいますよね・・・
だから、ちょっと、意地悪く、
「なかなかうまくいかない」メガネかけてますね。
「良きことは、あてにならない」メガネかけてますね。
と言うしかないんです(笑)
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なんだか複雑な話になってきましたが、
コースの常で、症例は複雑でも、ソリューションはとてもシンプル。
内側から湧いてくる原因レベルの安らかさを感じたら、どんなにかすかで、どんなに当てにならないような気がしても、とにかく、
そこに100%の信を置く 100%、コミットする
それだけやってればいいんです。
どんなにささやかでも、そこにフォーカスして、その中に全身で入り込みます。
と同時に、この視点にいるとき、できることに、自分の方から制限をかけるのも、一切、やめます。つまり、
この安らかさができることは、自分の想像を超えてるんだ。
(たとえば、一瞬にして、今、ここに天国が広がってるのが見えるってこともあるかもしれない! 不治の病が一瞬にして消えるかもしれない!)
って、とにかく、信頼するんですね。
この100パーセントの信の力は、あらゆる信念のメガネを木っ端微塵に、粉砕してしまいます!
聖霊の安らかさを100パーセント信頼しながら、その中にいると、当然、知覚が変化して、奇跡を見ることになります。すると、ますます、安らかさを喜んで選ぶようになり、そこで選んだ、安らかさに、信が置けるようになり。するとますます奇跡が見える。でますます・・・の連鎖に入れるんですね。
数え切れないほどの奇跡を目撃する日々が始まります。
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つまり、内側から静かに湧き上がる安らかさ、初めは微かにしか、時々しか、感じられなくても、
それを、力強いもの、いつもいつも感じられる巨大な安らかさの塊にしてしまうのは、あくまで自分。
自分次第。自分の信じる力次第ってことんんですね。
せっかく神の子として、神から受け継いだ、創造のためのツール、信を、
奇跡ばかりを日々、目撃し続けるために、本当に幸せになるために、使いこなしましょう!
これが、いつも、「風船の瘤をゆるめてください」と言う言葉で言ってることの内実です。