『奇跡のコース』を生きる 日々の気づき

『奇跡のコースとは?』

アメリカ、コロンビア大学で心理学の教鞭をとっていたヘレン・シャックマンという人が、1965年から72年にわたり、心の中に響いてくる声に従って書いた『奇跡のコース』という本があります。千ページを超える本文と、1日1個ずつやれと指示されている365のワークが書いてあるワークブックと、教師マニュアルと用語集の4巻からなる大部の書物で、アメリカのスピリチュアル系の思想書を読むと、随所に「奇跡のコースにもある通り」という言葉がさかんにでてくることが示すように、彼らの間では聖書のように扱われているもので、みなさん、そこから多くを学んで、自分の仕事を始めた様子。

ア・コース・イン・ミラクルズ A Course in Miracles とAをつけるのは、古今東西この世に無数にある救いの道の一つに過ぎない。目的地はみんな一緒。どの道をたどってもいいのだけど、よかったらこの道どうぞ・・・くらいのスタンス。

実際メッセージはとてもシンプル。
私たちのすべてのいとなみは、愛かおそれからなされてる。おそれから生きるとき私たちはバラバラに分離した幻想の世界におちこみ、愛から生きると、実在する、すべてが一つの世界で生きることができる。
愛から生きるわたしこそ、本来のわたし。おそれから生きるのをやめて、愛だけから生きるようにしようというものです。

ようするに、古今東西のすべてのスピリチュアルな道が説いていることで教義自体に目新しいところは何もない。頭でわかっている人はすでにたくさんいると思われます。でも、いざ実践するとなると、至難の技ですよね。わかっちゃいるけれど、なかなか出来ない・・・この悩みに答えて、確実に実践できるようになる道を示してくれている点で、『奇跡のコース』は、すぐれものなのです。

ようするに、2巻目のワークブックがすごいのです。
ワークといっても、ほとんど心の中で、誰も気づかぬうちになされるものです。毎日、簡単な瞑想のお題目をもらって、それについて朝夕瞑想したり、1時間おきにそのことを思い出したり、1日を通して考えたりするもの。ようするに、「瞑想マラソン」を1年続ける感じです。

お題目は、たとえば、「私たちが見ているものは、見ている通りのものではありません」とか、「与えることと受け取ることは一つです」とか。

最初は言われた通りに、気が向かなくても、こんなことして何になるんだろうって思いつつ、マラソンのようにとにかく走り続けてる感じでした。でも、それらが組み合わされて、深い体験ができる心の素地が少しずつととのえられているのが、進むにつれてみえてきます。

アナスタシアシリーズのような鮮烈な驚きはないのですが、地味ながら、じわじわ効いて、少しずつ心の奥からなんとも言えない安らぎが湧いてきます。

一番大きな変化を感じたのは、3分の1を越eたあたりから、その日その日のお題目について、毎時0分から5分まで瞑想する指示が与えられるようになってからです。1時間に5分というと、起きている時間の12分の1に過ぎないわずかな時です。でも、そのわずかな時間が、生活全体に染み入って、生活全体が、瞑想的な雰囲気の中に包まれていくのです。で、気づいてみると、中毒症状や人間関係の問題がとても楽になっている。わたしの場合は、

街中で、いつもの生活を続けながら、修道院やお寺にこもらないとなかなかできないような変化を味わえるように誘導してもらえる。その点、『奇跡のコース』はとてもすぐれていると思います。

もっぱら自分に働きかけるので、周りの人や周りの状況を変える必要はないのですね。ただ、変化は、自分の中だけではなくて、周りの人との関係に現れるとも言っています。たとえば、どんなに嫌な人も、問題だらけの状況も、自分の学びのために現れたすばらしいチャンス。それをしっかり受け入れたとき、嫌に見えるその外見を通して、その奥を覗いたとき、そこにどんな光景があらわれるかを大切にするのです。

この世は、本来、生きとし生けるものすべてのスピリットの愛の光に溢れてる。でも、その上に幾重にもエゴの暗雲がたちこめているので、この光が見えなくなっている。暗雲を払って、光だけの世界になる時、私たちは皆一つになり、救われる。『奇跡のコース』のこの筋書きに則っていえば、状況が暗い雲に覆われていればいるほど、それを晴らして、光がみえるようになったとき、大きな浄化が起こることになります。ようするに、人生の局面を解決する取り組みそのものが、『奇跡のコース』では、読経や滝打ちの行のような宗教的修行にあたるわけです。ということは、人の間で揉まれないとはじまりませんよね。

コースのテキストでは次のように語られています。

『聖書』は、きょうだい(同じ神の子として、コースでは、人間同胞のことを全て「きょうだい」と呼んでいます)とともに歩くことを依頼されたら、その2倍をともに歩くべきだと言っています。(・・・)きょうだいへの献身があなたの歩みを遅くすることはありえません。互いの進歩を早めることにしかなりえません。純粋な献身を行うと、インスピレーションが結果としてもたらされますが、インスピレーションという言葉は、適切に理解されるなら、まさに疲れを知りません。その正反対です。疲れるとは、スピリットが失せることですが、インスパイアされるとは、スピリットが中に入ってくるということだからです(T-4.in.1.カッコ内は堀田)。

つまり、そばにいる人に献身して助けるとは、どんよりとしたエゴの暗雲を晴らして、その人のスピリットを、あらわに輝き出させること。そうやって相手のスピリットがあらわになった瞬間、助け手である私たちのスピリットも、つられて輝き出るので、私たち自身も元気になり、進歩することができるというわけです。

つまり、『奇跡のコース』人里離れた廬で静かな隠遁生活を送るよりも、街中でごく普通に家族や友人関係の中で暮らしている方が、修行が進むといわれています。その点もとても、取り組みやすくできていると思っています。

そこで学んだこと、気づいたことをいくつかご紹介できたらと思っています。