奇跡のコース

引き算人生のはじまり 聖霊とともにいることで、仮説的シミュレーション思考をそぎ落としていく

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フランシス・ズーは、一時期、ディヴィッドと一緒に世界中を講演してまわり、コースの教師として、大活躍していました。無料で視聴できるビデオがネット上にたくさんあって、私も見たことがありますが、とにかく頭が切れる人。核心に迫るような、鋭く本質をついた話を具体例豊富に語っていて、私もずいぶん助けられています。

ただその活躍も、聖霊からのガイダンスに基づいていたものだったそうで、ある時期をすぎると、ディヴィッドと講演旅行する時期は終わったといううながしが来ます。転機を迎えたフランシス。「これからどうなるんだろう?」「何をして生きていけばいいんだろう?」と、ちょっと戸惑っていると、ある友達が、リーディングの練習をしていて、フランシスにモニターになってくれと頼みに来ました。渡りに船とばかりに、「私の人生、これからどうなるか、何をすればいいか、私を指導しているスピリチュアルな存在に聞いてちょうだい!」とフランシスは頼みました。

リーディングは、すばらしい体験になり、その友達も、フランシスも、感動して涙を流したほどだそうです。

ただ、肝心の質問に対する答えは、一言ももらえませんでした。二人が感じたのは、ただただ、聖霊からの感謝の念。フランシスが目覚めの道を歩みはじめ、その途上で得た体験や洞察をシェアしながらたくさんの人とこの道をともにしていることに、とにかく感謝してる。ありがとう、ありがとう・・・与えられるメッセージはただそればかり。

とはいえ、この感謝の念があまりに広大で、深いので、二人とも圧倒されて、すっかり満たされ、いろいろ質問したかったことすら、忘れてしまったのだそうです。

この思い出を語りながら、フランシス自身、涙に言葉をつまらせていたほどで、体験の深さが、伺い知れます。

その後、フランシスはコミュニティの中にできた学校のドキュメンタリービデオの撮影をはじめ、初めての体験に、また戸惑いを感じることがあったそうです。あれこれ沢山決定しなければならないことがあるのだけれど、どれを選べばいいのか、迷ってる。ちょうどその時、また例の友達が、リーディングの練習のためのモニターになってくれと言ってきました。そこでフランシスは二つ返事で承諾して、いろんな質問事項を用意してリーディングをはじめたのですが、またしても、同じことが起こりました。聖霊は質問に直接答えてくれるような、具体的な情報は一切くれず、またしても、ただただ、シャワーのように降り注がれる、あふれるような感謝の念があるばかりだったそうです。

この話、聖霊からのガイダンスの本質をついていると思います。メッセージとしては、ただ「ありがとう」と言う言葉があるばかり。でも、実は、とても多くのことがなされているのですね。

まず、この圧倒的な体験の中で、二人ともあえて、これ以上質問できなくなってしまったこと。ハイヤーセルフであれ、聖霊であれ、とにかく全てを知っている存在に質問したいと言う気持ちの背後には、深い迷いや不安があります。一番頼れる存在から絶対正しいアドヴァイスをもらって安心したいと言う気持ちがあるからこそ、質問するわけですね。

でもこのとき、聖霊から流れこんできた愛に溢れた感謝の念は、この不安そのものを溶かし、洗い流してしまったわけです。その後は、質問すること自体、意味をなさなくなるのですね。質問したかったことすら忘れてしまう。これ以上パーフェクトな答えはないんじゃないでしょうか!

レストランでメニューを見ながら、どれを注文しようか考えている時、私たちの頭の中では、すごい勢いで仮説的思考によるシミュレーションが飛び交いますよね。たとえば、

これを食べたいけれど、値段がちょっと高すぎ、その後、残ったお金でやりくりできるか心配だ・・・・これも美味しそうだけど、カロリー高そう・・・これは脂っこすぎて胃もたれもするかも・・・・健康のことを考えたら、やっぱりこれかな・・・などなど。

ただ、自分の思考を集中的に観察するとすぐわかることですが、私たちの普段の思考は、すべて、これに似た仮説的シミュレーションでできています。
つまり、A, B, C, D・・・と広がる様々な選択肢の一つ一つを、もしそれを選んだら何が起こるか、瞬時に計算しながら、適当だと思われるのを選んでる。レストランで注文を選ぶのは、そのわかりやすい典型例にすぎません。

フランシスが、「これからどうすればいいのか?」と思ったり、ドキュメンタリー撮影の中で、つきつけられている決断のアドヴァイスを求めて、リーディングのための質問事項を作った時も、同じ発想で考えていたと思われます。

でも、コース的には、本当の選択は、A, B, C, D・・・と広がる選択肢の中にはないのですよね。そういった質問をするエゴの側にいるか、それとも、聖霊とともにいるか。ホント、それだけなのです。

で、エゴの側にいれば、選択肢は増え続け、それぞれを選択したときに何が起こるかを瞬時に計算する仮説的シミュレーション思考も増殖し続けます。その機動力は、不安ですよね。

その中で、究極の「正しい選択」をするために、聖霊に頼んだりなどもするわけです。

でも聖霊と本当に合流すると、その選択肢と、仮説的シミュレーション思考のすべてが、す〜っと消えていくのですね。感謝や愛、安心感が心にどっとあふれてきて、みんな意味をなさなくなる、あるいは、ど〜でもいいことに見えてくる。

そう考えると、フランシスの一風変わったリーディングの体験も、腑に落ちて「なるほど」と思えてきます。

目覚めの道とはそもそも、現実の幻想性を暴き、そのすべてを「夢」とみなして、後にしていくこと。

「夢」をどんどん脱ぎ捨て、目覚めの道を邁進するフランシスに、「将来、こうなるからね」と、また一つ「夢」を与えるのは、彼女の進歩を阻み、その後ろ髪を引くことになってしまいますものね。

「形」の世界を急速に後にしようとしている人に、「形」を押しつける代わりに、「形」を超えた感謝の念だけ伝えてくれたわけですから!

でもこれは、ある意味、彼女の質問に対する答えにもなってるとも、とれます。具体的な情報は何にも入っていない、この感謝の念に心満たされて生きさえすれば、いい。そこから悪いことは起こりようがないし、たとえ悪い(と思えるような)ことが起こっても、あなたは大丈夫、守られていて、苦しむことも、傷つくこともないのだから・・・という答えですね。

普通私たちが、「幸せになる」とか「うまくいく」と考えるとき、それは正しい選択をしたり、適切な努力をたくさんして、願いをかなえることを意味しますよね。つまりハッピーエンドが結末に来るドラマを生きるってこと。すると、そのために必要なことを今ちゃんとやっているかが当然、気になる。というわけで、リーディングをしたりするわけです。

でも目覚めの道をいく人の幸せは、それとは全く異なるものです。

彼らにとって、幸せの要因になるのは、スピリットの愛を、ますます深く感じながら生きること。スピリットの愛に包まれて生きること。で、たとえ外では何が起こっていようと、幸せを感じ続けていられる。その状態が、幸せのゴールになる。

そのために必要なのは、ハッピーエンドのドラマを生きることではなく、ドラマから降り続けることです。

何があっても、「エゴとしての私には、これが何を意味するかわからない」と思い、ジャッジメントを保留し続け、
聖霊の采配の下、すべては良きことのために起こっている」と信頼し続けることなんですね。

そうすることで、ドラマに巻き込まれずに済みます!
つまり、外的状況にふりまわされて、喜んだり悲しんだりする気分のアップダウンを超え、いつも心静かでいることができる!

それが、目覚めの道を行く人の幸せのゴールなんですね。

「ゴール」といってもあらゆる瞬間に実現され得るゴールですけど!

この基礎の上に、ガイダンスや、神の摂理、天命に従う生活もあると思っています。それはこの世界での「成功」のため、ハッピーエンドのドラマを生きるために、とる道ではないんですね。

いきなり、「私は、何が起こっても全く平気。聖霊とともにいるから!」とまで達観できないわ
やっぱり、具体的なガイダンスが欲しいわ!

と思う人も多いかもしれません(私もそうです!)。

それでも大丈夫。

エゴの中にいきている私たちのエゴを取り消すために聖霊がくれるガイダンスは、普通私たちが一番関心を持ってることをうまく利用した、具体的な形をとるようです。

ただ、それは、エゴが作るドラマや、その中で自分に課した役柄、自己概念の強化をはかるためではなく、あくまで取り消しをすすめるため。

そうすることで、エゴにどんどん空洞を穿ち、
聖霊の愛を受け入れるマインドの容積をひろげるためのものです。

この場合、A, B, C, D・・・と広がる選択肢のどれか、たとえばCを選ぶように、聖霊にうながされるのですが、それはCそのものが「正しい」からではなくて、Cを選ぶことを通して、エゴ取り消しを加速化する人との出会いがあったり、いいレッスンになる出来事が続いたりするからなんですね。

このガイダンスの流れに乗り、レッスンを進めることで、エゴに穿たれた空洞が広がり、器がどんどんクリアになり、空っぽになっていき・・・それにつれて、そこに聖霊からの愛がどっと流れこみ、周囲にも放射するチャンネルが開かれていきます。

それにつれて、聖霊からのガイダンスの本質は、具体性を超えたワンネスに私たちを近づけることにあることも、体感されるようになってきます。

「降りていく」人生、「付け足し」ではなくて、「引き算」の人生のはじまりといってもいいかもしれません。

エゴは次々といろんな夢を思い描き、計画を立て、人生にあれこれ「付け足し」ていきます。その背後にあるモチベーションは、なりたい自分になる。つまり自己概念を強化すること。完璧に自分の役割を果たし、愛されたり憧れられる存在になること。

聖霊がガイドしてくれる人生は、世界の中の役割や、役割が演じるドラマ一つずつ脱ぎ捨て、どんどん身軽に、シンプルに、まっさらな原初のよろこびに浸されたもの。「これからどうなるか」ドラマの結末へとむかうというより、ドラマのフィルムを逆回しにして取り消していく作業なのです。

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