アートとしての人生

脱サラ4年目の総決算 仕事はいろいろ でもコアにあるのは、夢の回収業(?)

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脱サラしてかれこれ4年目。
仕事を辞める前に具体的に目標にしていたことは、一つも実現していないけれど、
心の底から願っていたことは、もう十分すぎるほど、実現してる気がします。

たとえば、著作で成功する!というゴールは実現していないけれど、
そもそもなぜそんなゴールをたてたのか、その時、心の底で願っていた
言葉を通したインスピレーションの送り合いで人と深くつながることは、
インターネットその他の手段で、十分できてる気がします。

あるいは、好きな時に好きな場所で、心赴くままに暮らすために、自由になるお金を稼ぐことも、全然できていません(笑)。
けれど、そのとき、なぜお金が必要なのか、そのときに、イメージしてたこと、
たとえば、自然の中で、美しいものに囲まれ、静かに暮らす。素晴らしい友達、仲間にも恵まれる一方、望めば、一人になれて、自由に使える時間もたっぷりある。
そんな生活なら、すでにはじめてます!

私が今、主に住んでる田舎の拠点、由仁実験芸術農場は、外は自然たっぷり、屋内はアーティストのパートナー、としさんの作品で埋め尽くされてますものね。

再就職はしていませんが、仕事のようなことは、いろいろやってます。
ウェブサイトや手作り本の著述、翻訳、イベントオーガナイザー、シェアハウスオーナー、畑仕事、庭仕事。衣類や食料に関しては、自給には程遠くても、手作り度のかなり高い生活実践をしたりと、仕事の種類は拡散する一方です。

4年前に脱サラするまでの仕事オンリーの忙しい生活。仕事といえば、この道一筋、一つのテーマに集中することだって、思いこんできましたが、それとは全く真逆の世界がありますね。

それでも自分がバラバラになっていくような気はまったくなくて、
ますます、生活が一つにシンプルにまとまっていくような気がしてるのは、
何をやってる時も、少なくとも起きてる間はフル稼働でやってる
コアになる仕事があるからです。

それは、夢の回収業

「夢の回収業」? そんな業種聞いたことないよと思われるかもしれません。
でも、「人生は夢である」って、いろんな人が言ってますよね。

『奇跡のコース』でも次のように言われてます。

世界というこの夢と、あなたが見る夢は、一つのものです。世界の夢は、あなたの夢の一部にすぎなのですが、あなたはそれを捨て、あたかも始まりと終わりがあるように見てしまっています(T17. Ⅶ. 11)。

『奇跡のコース』は一見、難しく見えますが、よく噛みしめると、ほんわり、安心させてくれる言葉が実は満載なんですね。これなど、その筆頭。私にとっては、本当に、ヒット。

このアイデアを、すべての悩みが消える確実な処方箋として、あらゆることに使ってます。

今は、それを、自分が体験し、知覚する全てのことにあてはめ、「やっぱりこれも私の夢の一部」と確認する癖がついてしまいました。

これが夢の回収業です。

たとえば、
誰かが私を攻撃しているように見える。 → あっ、その人は私が見てる夢の一部だった。夢に一つ回収。

こんなことをしたら、あの人、どう思うかしら? こんなはずかしいことできないわ。 → その人も私が見る夢の一部だった。 夢にまた一つ回収。

背中が凝ってるな。この凝り、いやだな → これも私が見てる夢の一部だった。 夢にまた一つ回収。

これも夢、あれも夢、私の見る夢・・・
そうやって、現実すべてを自分が見る夢に回収するのですね。

そして、世界というこの夢全体を
そこから距離をとって
夢見る人の意識へと戻っていくのです。

ただ、実感をともなうことなく、
実際には、怖かったり、恥ずかしかったり、痛がってる自分を抑圧して、
頭だけで、「夢にすぎないから」と、クールにかわしても、
それは思考実験にすぎません。
本当の意味で、夢を回収したとはいえない。

それに、すべてを「自分がでっちあげた夢」と引き受け、
「あなたを苦しめる人」さえ、あなた自身がでっちあげてると心底感じるのは、大変なこと。

怒りや悲しみの原因を、人のせいにすることは、もうできないのですから。

でも、あなたの中に、「助け手」の存在が感じられれば、大丈夫!

すべて「夢」「幻想」に過ぎないと、即座に、実感で感じられますから!

その助け手は、
世界というこの夢の全体を私が「夢見る」現場にいつも居合わせて
あたたかく見守ってくれる存在。

悪夢にうなされているときにも、
眠る子をやさしく見守るお母さんのように、
額をやさしく撫でて、
「大丈夫、あなたが見ているのは、夢にすぎない。
目覚めて見ると、ここではすべてが一つにつながって、
愛とよろこびしかないのですよ」と
耳元でささやいてくれる存在。

その声をおぼろげにでも感じた子供は
夢見続けながらも、ほっとします。
見る夢も、それを反映するように、
おだやかでやさしいものになります。

世界という夢を夢見るあなたの枕元にいつもいて、やさしく見守ってくれてるこのお母さんのような声を、
心の中に見つける必要があります。
ハイヤーセルフ、聖霊、守護天使、守護霊・・・なんと呼んでもいいと思います(私は『コース』にならって、「聖霊」とよんでいるので、その言葉を使わせてもらっています)。

というわけで、この助け手をいつも心に感じながら
自分がその時見る夢のドラマからくる
苦しみ、悲しみ、痛み、怒りなど、
感じられる感情は、両手を広げて大歓迎。
叫んだり、ジェスチャーをつけて、大げさなくらい表現します。

人前で、でもそれもままならないときは、頭の中で大暴れしたりするのですが、それをやってるうちに、だんだん、バカバカしくなったり、おかしくなってくるかもしれません。

それで、クスッと笑った時、あなたは「助け手」と一緒に笑ってる。

そのときあなたの視点は、世界という夢を、
夢と知りつつ夢を見る人の視点に近づいている。

あなたの現実の全体、この世界という夢から
ちょっとだけ距離をとれる
そんなおおらかな気持ちになった時、
そばに感じるこの助け手、「聖霊」と
うまくチームワークを組むのも、
「夢の回収業」をうまくやるポイントです。

なかなか笑えなくて、泣き続けたり怒り続けることしかできなくても、
その思いの丈全てを、丸ごと、正直に、聖霊のまなざしに晒します。
すると、そこからリアリティが失われ、消えていくのが感じられます。
『コース』で「ゆるし」と呼ぶものです。

そうやって、あらゆることを、自分が見る夢として捉え直し、聖霊にゆだね、そのまなざしの下でとらえなおす
ゆるしの中で見つめ直していくと、
現実の全体が、次第に
一つの大きな、まとまりをなす夢の中に
浮かんで見えてきます。

でも、「仕事」というからには、それでちゃんと生きていけないと、ダメでしょう? そんなことだけで、生きていけるの? と疑問がわくかもしれませんね。実際、生きていけると思ってます。

だいいち、人生の全体が自分の見る夢だと気づきながら、わざわざ辛い夢を見ようとはしませんよね。

何をやってるときも、夢の回収をフル稼働させながら。
助け手の存在をハートにいつも感じ続けていると、

夢から目覚めたところに待っている世界、
全てが一つにつながって、愛をたたえる世界の余韻が
夢全体を染め上げるようになります。

夢の中のイメージをかりて、ワンネスがいたるところで表現されるようになります。『奇跡のコース』でいう「奇跡」です。

たとえば今朝、庭のテーブルに朝食を並べたのに
としさんが、なかなか来ない。
せっかく作った卵料理もお茶も冷めてしまうわとイライラしそうになったのですが、
目をつぶって聖霊にそのイライラした感じを丸ごと差し出して、
あなたにはどう見えますか?
とたずねると、久しぶりの陽気の中、小鳥が鳴いたり、そよ風が吹いたり、
パーフェクトな1日の始まり。その中で、ゆったり、今を楽しむ貴重な時を与えられてる・・・そう思えてきて、うっとりしながら瞑想を続けました。

すると、白い蝶々が一匹、ひらひらと飛んできて、最初は私の手にとまり、その後は額というように、愛撫でもするように、身体のあちこちにとまりながら、私の周りを、しばらくたわむれるように舞いはじめました。

これも私に言わせれば、奇跡。夢の外に広がるワンネスの世界からさしこんだ一筋の光が、蝶という夢の中の一イメージに託されてあらわれたものです。

奇跡は自然に起こるもの。私たちがコントロールすることはできません。
でも、夢の回収とゆるしがすすみ、
すべてを聖霊にゆだねながら、
聖霊の視点で見つめなおすことが常態になるにつれて、
奇跡の頻度が増え、
ある日、自分は奇跡によって生かされてる
と感じられる日がやってきます。

夢の回収は、悪いことだけではなく、いいこと、望ましいことも、対象にします。たとえば、愛する人も、愛する我が家も、夢の一部に過ぎない。聖霊にすべてゆだねていきます。そうすることで、執着や、所有感や、コントロールしたい気持ちが、執着が薄らいでいきます。

その代わり、胸躍らせて待つ対象は、奇跡のみということになりますが、これは、いつ、どこで、どんなイメージに託されて現れるかは、予測不可能。

でも、本当の意味で自分のためになること、自分が心の底から望んでることしか起こらないと、ただ信頼して生きる。そんな生き方のはじまりです。

私の体験した限り、この信頼が裏切られることはありません。

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