奇跡のコース

テキストは楽譜のようなもの 体験とつなげてその真価が分かる!

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コースのテキストは楽譜に似ていて、演奏してみないと始まらないところがありますね。演奏はこの場合、生きる、体験することになるのかな?
言葉で読んだ時は、何のことを意味するやらよくわからなくても、
しばらくすると、「あっ この話をしてたんだ! こんなこと、あるある!」とピンとくることあります。
よくテストで、「左側に並んでる語1~5と、対応する右側に並んでる意味a~eを線でつなぎなさい」っていうのがありますが、それと同じ。

テキストの言葉一つ一つと、生活の中で体験されることの一つ一つを線で結ぶ作業もいるのですね。

たとえば、さっき、カースティンさんのI Married a Mysticのブックトーク(彼女のウェブサイトから、無料でダウンロードできます)の一つを聞いていると、「イノセンス、無垢さを見ているときって、何でも可愛らしくadorable に見えるのよね」と話していて、「なるほど、そういうこと、あるある!」って納得したところ。すべてのもの、たとえば、悪態ついてるパートナーも、テレビの中でふんぞりかえった政治家も、可愛くって、可愛くってクッククック笑ってしまう気分のときってありますよね。

最近、一番大きかったこの手の気づきは、オンラインリトリートですが、ディヴィッド・ホーフマイスターさんの姿が現れて、画面をみながらにこにこ笑い始めた瞬間、よろこびが私の中にもどっと流れこんできて、涙がとまらなかったのですね。彼は何にもいってないし、していない。そこにいるだけ。しかも、何万キロも離れた場所にいて、オンラインでつながってるだけなのに。

と同時に、そのよろこびの中に膨大な情報が含まれている感じがして、何だか、今日のトークはもう終わってしまった、もう十分。だってそこにすべてがあるんだもん・・・とも思いました。

あとで気づいたのは、「コースで『延長』と呼んでるのって、何だ、こういうことだったんだ」ってこと。愛やよろこび、光「そのもの」になっていると、そこにいるだけで、「そのもの」まるごとを、全ての人に伝えられるんですね。どんな言葉も、どんな行動もいらないので、誤解される余地も、薄められる余地もない。そのものは、そのまま、伝わる。それを受け取った人は、与えてくれた人から受け取ると同時に、自分の中のソース、神からも、同じものを受け取ることになるからかな? とにかくこれが延長なんだと実感。そう思うと、今度は、「そんなこと、何度も体験してたじゃない、素敵な人とのいい出会いをした時とか、アートに心底感動した時などなど・・・」と思い当たること、いろいろ出て来ました。

そうやって、テキストの中の世界と、人生で体験してきたことを線でつなぐ作業も、また楽しいですね。理解が立体的になってきます。

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