奇跡のコース

「役柄」を降りても、関係は消えず かえって深まる話

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先日、ひと月ほど前に、ディヴィッドさんたち、リビングミラクルコミュニティで、「神の摂理」についてのオンラインリトリートがありました。私はそれには参加できなかったのですが、その録音が一部公開されていて、聞いて見ました。とても面白かったです。

一番印象的だったのは、直接神の摂理のテーマとは関係しませんが、質疑応答で浮かび上がった家族関係をめぐる話です。とりあえず、それをシェアさせていただきますね。

目覚めの道を歩みだすと、人間関係がどんどん変化していきますよね。
エゴの取り消し、罪悪感の手放しは、
たとえば、母と子、夫と妻といった「役柄」の仮面を手放すように促していきます。

というのも、「役柄」はふつう、罪悪感や攻撃的な思いの温床になっているからです。

役柄は「〜しなきゃいけない」という義務感だとか、
「〜して当然でしょう?」といった期待などなど
いっぱい、押しつけて来ますものね。
そこから外れる罪悪感の重荷、相手がそこから外れたところを使った攻撃的な思いなどが、大変な苦しみのタネになってる。

「親として合格・失格」とか、「子供としての義務を果たしていない!」とか・・・

でも、そうした思いに気付くたびに、それを一つ一つ丁寧にゆるしていくと、
「役柄を演じる私」も同時に、自然に消えていくことになります。

そこで、関係そのものが消えてしまう危機感を感じることがあるようですが、それはエゴの抵抗。
実際には、これまでよりも深い、スピリット同士がじかに触れ合う、とても深い関係が生まれることになる。
ただ、母娘とか、夫婦のといった役柄演技の枠にはおさまらなくなるだけなんですね。

それを、フランシスのお母さんとの関係を例にフランシスが話していたのが、とても感動的でした。

二人が北京に来た時、フランシスのお母さんは、まずはフランシスに久しぶりに会いたかったし、ディヴィッドにも会いたがったのですが、
真摯にコースを学ぶ人たちが、後から後から、二人のところに詰めかけるので、お母さんに会う時間を開けることができなかったのだそう。

「時間がないので、お母さんはディヴィッドには会えない。私自身なら、1時間半だけだったら空けることができる」とフランシスが答えると、お母さんは、「私はあなたの母ですよ!」と怒ったのだそう。

魂の救済のために遠くから駆けつけた人たちをさし置いて、
娘としての義務を果たし母のご機嫌をとり、家族や親戚の近況を聞いたりするのにそれ以上時間を割くのは不可能なのは、
スピリットのガイダンスでもあったのだそうです。

ただ、フランシスの祈りが効き目を奏して、お母さんの方も、だんだん事態を理解するようになった様子。
フランシスが何とかつくった1時間半の久しぶりの再会の間、
お母さんは家族の近況も、親戚の噂話もせず、ひたすら、自分も勉強をはじめたコースの質問をフランシスにひっきりなしにしていたのだとか。

「私たちの関係は、母娘ではないとすれば、何なの?」と母親に尋ねられた時には
「夢見る人と、夢の登場人物ね」とフランシスは答え、役柄を背負った登場人物同士ではない形で会いたいことをほのめかすと、
「じゃあ、私は何なのか?というのが、唯一の問題なわけなのね」とお母さんも納得するようになったとか。
フランシスと別れた後、お母さんは神秘体験もするようになったそうです。
中国共産党支配下で、全くの無神論者として育ったのに!

お母さんとの関係は、母娘の役柄関係ではもうなくなったけれど、
今ほど深い絆を感じていることは、これまでなかったとフランシスは言います。

私たちの関係ってなんだろう? って頭をかしげるほど、
定義不可能。
どんな約束もなければ、義務も追わず、期待もなく・・・
今、ここにみなぎる愛の中で、むすびついているだけ。

わけがわからない
だからこそ、とっても深い。
そんな人間関係ばかり、築いていきたいなって、あらためて思いました。

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