奇跡のコース

分かってはいるけれどやめられない葛藤状態の明け渡し

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I Married a Mystic 翻訳、第2章、やっと半分ちょっと過ぎたところです。

コースを学習して半年で、その道の達人の一人、ディヴィッド・ホーフマイスターさんと出会い、すぐに一緒に暮らしはじめ、毎日一緒に瞑想しながら、どんどん気づき、エゴの解除、神秘的な体験を深めていくカースティンさんの様子が書かれています。

そんな話を聞くと、思わずうらやましい気になりますが、もうちょっと注意深く読むと、彼との出会いも、そこではじまった生活も、全身全霊この道にささげる彼女の献身devotionの反映として現れたことも見えてきます。2章で出てきますが、買い物も,バスルームでの体のケアも、ゆるしとエゴの解除のチャンスに変えてしまう彼女のスピリットへの献身ぶりには、大変なものがあります!

でも、この間シェアさせていただいた1章を読むと、そういう彼女にも、自分の「外」に究極の幸せ(神の代替物)を活発に探しまわるのをやめられない時期が若い頃ずっと続いていた様子。でも、心の底では、同時に、「このままじゃいけない」と思ってる。

この矛盾がピークに達したとき、スキーと、マウンテンバイクでの転倒事故が相次ぎ、大怪我。このまま続けていると自分を殺してしまうと感じるわけですが、そんな自分をすべて神に今度は徹底して明け渡す。その後の方向転換は、本当に徹底していますよね。スキーやマウンテンバイクに負けない全速力で、今度は内側に向かってる。

私も、こんな生ぬるい状態はやめて、彼女のように鮮やかな転身を遂げたいと思いながら、訳をすすめてます。

すると、彼女ほどドラマチックではなくても、「このままじゃいけない」「死んでしまう」と思いながら、まだまだやめられないことがあるのも、見えてきました。そしてその矛盾が、だんだん苦痛になってきていることも!

私の場合、とくに20年以上の教員生活で根強くしみついた「何が正しいか自分は知ってる!」「だから教えられる!」という思い上がりが本当にしつこいです! そこに自分のエゴの巣窟があって、それが痛みを引き起こしたり、いろんなものをみえなくする麻痺障害になってるのも、いやというほど味わってきたのに!

ゆるしを重ねて、「私は何も知らない」赤ちゃんのような信頼と、安心のよろこびに浸ることができるようになったな・・・と思って油断している矢先、また出てくるのですね。

たとえば、ちょっと外に出かけると、たまたま、何でも訳知り顔に、たずねもしないのに説明する人、頼みもしないのにお節介に指示する人と会って、何だか小さな子供扱いにされているような気がして、むっとしたりするわけです。

もちろん、投影ですね! そんな時、自分の心をのぞくと、実際、いい鏡になってくださっているのがわかります。

というわけで、本当に根強い「私には分かってる!」思い上がり。どうすればそこから解放されるのか、どうすればいいか、それこそ、さっぱり分かりません。

そんな自分を一切合切、すべて明け渡して、とにかく祈るしかない・・・・そう思うたびに、I Married a Mystic の冒頭部に描かれてるカースティンさんの気持ちの切実さが、だんだん感じられるようになってきました。

「今」のよろこびの、時間を垂直に切断する光の柱に、ほんの少し、蜘蛛の巣の糸が絡みつくように感じられるいらだちや、いたみも、しっかり見つめて、投影の出どころを明らかにして、ゆるしていけたらと思います。

もう一つの教える態度

エゴが「教えよう」とすると、どうしても上下関係やトップダウンのいやらしさが、出てきますね。特別性にもとづく共依存の関係も出てくる。奥には、おっしゃるとおり、自己無価値感がありますね。それをなんとかカバーしようとして、知識や理論で武装するのですが、でも無価値観は消えません。それどころか、かえって強まるのですね。私は20年以上大学という「エキスパート」集団の中で働きながら、それをもう嫌という程、味わいました。

でも、神に発する知識や体験を、もらっては、そのまま次の人に渡していく、バケツリレーのような「学びー教える」関係は楽しいですね。

神に発する知識や体験は、抽象的なので、渡してはじめて、自分も持ってることがわかる。コースで何度も言ってるように、与えることで持つことができる、教えることで学べる。能動と受動が一つの世界ですね。

決して与えることをやめない源泉からきているので、枯渇しないし、与えれば与えるほど増えていく。

たとえば、今の私もそうですが、この手の話っていくらやっても、疲れませんよね。私が書いているというより、私は通路に過ぎない。私を通して書いてもらってる感じです。思いつくこと、書いていることに、まずは自分が驚いて、楽しんでる感じ。書いてる自分も読者として学んでるんですね。

そちらの「教える」ことだったら、これからも、いくらでもやりたいです。写真は「森の広場」の本棚。ここには、こんな本棚が、他にもいくつかあります。これでも半分以上、手放したのだけど、教員時代、よくこんなに本を集めたものだわ。

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