今日、背中の凝りを感じて、マッサージに行こうかと思ったけれど、やめて、外の鳥の声に耳をすませはじめました。
息をひそめて、小さな、微かな、愛らしい声に全神経を集中するだけなのだけど。するとみるみる痛みを感じなくなりました。
問題を「形」のレベルで操作することで、改善しようとする私たちのエラーだけが、「形」のレベルから私たちを抜けれなくして、問題をどんどんつくってるんですね。
人間関係を改善しようとして人をよろこばせようとしたり、経済的な不安から解放されようとしてお金儲けに走ったりするのもその類い。
すべての「形」から身を解き放つところに出口があるのに。
より良い「形」を追いかけるから、出口が見えなくなってしまうのですね。
「形」の世界の出口はいつも、「今」この瞬間にあるというのも、ありがたいことです。
「今」この瞬間、鳥が鳴き、風が木の葉を揺らす音をちゃんと聞けさえすればいいみたい。
「今」この瞬間に、じっと息を凝らす、そしてそこに光しかみない決断する。この状態にいると、直線の時間からするりと抜け出て、そこに絡みとられたあらゆる「形」のドラマ、問題が、心から剥がれ落ちていきます。
「形」の世界が本当の私に影響を及ぼしっこないことは、例によって、夢のことを考えるとわかりやすいですね。
つまり、どんなに夢の内容をいじっても、ベッドで眠って、夢見てる人は全然変わらないということです。
でも、枕元で、なされる子供をなだめるお母さんのように「大丈夫よ、大丈夫よ、これは夢だから」って、やさしくつぶやき続けてくれる聖霊の声をおぼろげながら感じて、安心すると、夢の内容は根本から変わってしまう。
でその声をききとれるのは、いつも、「今」なのですね。
「今」の光の剣で、垂直に、直線的に横に広がるドラマを刻むようにして毎瞬を生きる。
それがやっぱり万能の問題解決作ですね。