奇跡のコース

仮設的思考を一掃すると、後に残るのは、遊びと祝福ばかり

  • LINEで送る
今朝の寝覚めはとても気持ちが良くて、布団の中でスピリットにやさしく抱かれてるよう。しばらくうっとりまどろんでました。
一緒に住んでるとしさんは、すでに起きて、朝の日課を始めた様子。
一瞬、私も起きなきゃ!と思ったのですが、起きなきゃいけない理由を見つめてみると、
起きなきゃ、としさんが台所のシンクが汚いのに気づいて、機嫌悪くするかも!
猫が空腹で騒ぎ出すかも!
朝ごはんの支度をとしさんが一人ではじめて、僕にばかり家事をさせて・・・と攻められるかも!
ようするに、「もし〜したら、どうしよう」という仮設的思考、シミュレーションに基づくおそれなのですね。現実には存在しないことばかり!
それに気づいて、一つ一つゆるしていきます。
ゆるしていくと、シミュレーションの影法師はどんどん消失していき、
 現実にあるのは、ここでこうしてうっとりしてる、このしあわせ。
それだけだってことが、あらためてわかるのですが、
だんだんそれが高まって臨界値をすぎると、ベットから躍り出て、
ダンスを始めるように、歌い出すように
この気持ちをシェアしたくなるのですね。
というわけでその気分にあわせた服に着替えて、
朝ごはんをつくり、
天気がいいので外に持って行って猫たちと遊びながら
朝食。
やっていることはいつもとほとんど同じなのだけど、
仮設的思考のおそれ「もし〜したらどうしよう!」「だから〜しなきゃいけないの」から来るモチベーションを一掃した後にやると、大違いですね。
そこにあるのは、あそびと、祝福だけ。世界がかろやかになり、何かお芝居してるときのような戯れている感じ。そういう意味で、リアリティどんどん失われていきます。
おそれに駆られたシミュレーション思考「もし〜になったら・・・」、今、ここには存在しない過去の幻影。
執拗につきまとってきますが、それが現れると、体をムズムズと走るゲジゲジ虫みたいに、最近感じられるようになってきましたよ。
このムズムズ、ゲジゲジ感を無意識の奥底からも一掃できたら、本当に世界が消滅して、愛、光しかないことがわかるのでしょうね。
仮設的思考で世界ができていることについては、
 この間、ディヴィッドとアーメルというベルギー出身の女性のトークのビデオで、ちょっと面白い話が出てきたので、シェアしますね。
アーメルは、ディヴィッド曰く、うすい絹も真っ二つにするような凄腕の剣士のように、どんなかすかな雑念の兆しも見逃さず切りさばき、静かな心を保ち続けてる人。
彼女と一緒に、キリスト教関連団体がつくってる「堕胎反対」のプロパギャンダ映画を見たのだそうです。自分の子を堕胎してしまった人が、もしあのとき、あの子を堕胎していなかったら、今頃この子は・・・しているという思いにつきまとわれてる、その思いを映像化してつづった映画なのだそう。
それを見た後、アーメルが言ったのは、「私たち、みんな、そういう感じじゃない」というもの。
 だって、人生、「もし〜だったら・・・」で織り上げられているのですものね。
写真はちょっと季節外れですが、ユニ実験芸術農場、寝室のくまさん。
  • LINEで送る