奇跡のコース

Divine Providence 神の摂理について、一言で言うと? 

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Divine Providence神の摂理について、いろんな角度から述べて来ましたが、一語に圧縮すると、「まずは天国を求めなさい。他のすべてのものはそこに加わるから」という聖書の言葉になるんじゃないかと思います。

昨日、掃除中、カースティンさんのI married a Mystic についてのトーク録音を聞いていたら、ちょうどその話でした。神の摂理で生かされている感じがしない。そんなことが可能だと思えない。そんな人は、たいてい、「まずは天国」を求めていない。「他のすべてのもの」の方を先に求めてる。ほんのわずかであれ、「天国」以外のものを先行させよう、優先させよう、目標にしようとすると、たちまち、神の摂理の中で生かされている感覚は失われてしまうと、彼女は言います。

「天国」という言葉を、現代風に言い直すと、空っぽの心の中に広がる安らぎやよろこび、インスピレーションの充満になると思います。

あるいは、今、この瞬間だけを感じようとした時に、感じられるものです。

というのも、私たちの心の平和を乱す思いはすべて、過去の後悔や、過去の成功例のように未来もなることへの期待や、その期待が裏切られることに対するおそれからできているからです。俗に雑念とよばれてますが、そのほとんどは、「もし〜になったりいいな」「もし〜になったらどうしよう」「あのとき〜していれば、・・・になっていたのに」といった仮定法のかたちをとってる。つまり、今ここにあるものとは、直接関わらないものばかり。だから、「今、ここ」にどっしり落ち着いて、こここそ、私が一番いたいところ!ところと思ってリラックスしているうちに、自然に心から剥がれ落ちていくのですね。

心を空っぽにするのは、至難の技だと思われる場合は、とにかくすべての思いを、「見つめ、ゆるす」チャンスとして受け止めることから始められるといいと思います。

心に去来するいろんな思いを見つめて、
それらの思いの前提になってる信念にまで降りていき、
それらが無根拠だったり子供っぽかったりすることも暴きながら、
すべてホーリースピリットに渡していきます。ゆるしです。

そうしてついに、一瞬でも心が空っぽになると、
安らぎがじわっと湧いてきます。
こんなにも愛されてる、生かしてもらってるという感謝の念と、安心感。
コースで「神の愛」と呼ばれてるものですね。

その時味あわれるよろこびは、自分の好きなことが実現したり、望みのものが手に入った時のよろこびとは、全然、質を異にするよろこびです。

好きなことも、嫌いなことと平等、
望んでいることも、恐れていることと平等に
すべて手放して、心を空っぽにしたときに、
状況とは全く無関係に(修羅場のただ中でさえ)感じられるもので、
良い悪いといったジャッジメントにともなう、二元論のアップダウン、一喜一憂を超えています。

そのために自分の方でできることといえば、場所を空けることだけ。どんな思いも見つめて、ゆるして、丹念に心を掃除すること以外、何もできないのですが、それが一瞬でもできると、「神の愛」は、必ず流れこんできてくれます。

そして、その空っぽの心の中で感じられることは、すぐに、世界の中で起こるいろんな出会いや出来事に、鏡写しにされるのですね。たとえば、「愛されてる・・・」と感じたあとには、とっても親切で、その親切心に涙ぐんでしまう人に出会ったり。

コースで、「証人」とか、「反映」とか、もっと広く「奇跡」と呼ばれているものです。

世界は私たちのマインドが見る夢だとすれば、空っぽの心に感じられる「天国」の安らぎは、その夢をかたちづくる素材を直接変容させてしまうのですね。

で、夢のトーンが全く変わってくる。知覚される現実の全体が、たとえば殺伐としたものから、やさしいものへと変容していきます。

必要なものがすべて提供されるというのは、そのほんの一部にすぎません。

ただ、そんなふうにいうと、ほんの一部にすぎない、「必要なもの」や、「必要な変化」の方を求めて、そのために「天国」の安らぎを探そうとしがちですよね。

でもそれは無効なのですよね。「天国」をまず第一に求めていない、「他のもの」を先に求めていることになるから。

ついつい先に求められてしまう「他のもの」には、
この手の「引き寄せの成果の期待」の他に、
心が空っぽ、まっさらになるのを妨げるあらゆること、
たとえば、今は忙しいから、スピリットと合流するのはその後ね・・・といった口実も含め、心の平安(=天国)を乱すありとあらゆることも、すべて含まれています。

というわけで、ゆるしを徹底させて、常に静かで、空っぽでいること、それだけを目標にして日々生きること。それに尽きるわけですね。中でも「私は何も知らない」ことを、深く深く感じながら生き続けることが、私にはとても効くようです。

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