奇跡のコース

死について コース実践者がシェアしてくれたこと

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『奇跡のコース』(以下、「コース」と略)という心の訓練のための自習書は、宗教ではないし、大本山になるようなヒエラルヒーのある組織は一切ありません。ただ、複数の人が集まると、学びが加速する性質上、世界中にさまざまな草の根コミュニティがあります。中でもクリエィティブな発信力が飛び抜けているのが、アメリカ人のコースの達人、ディビッド・ホーフマイスターさんを中心に出来たリビングミラクルコミュニティ。そこでは今、「リビングミラクル・ヴァーチャル」というプロジェクトをやってます。メンバーの中で、ホーリー・スピリットからのうながしを感じる人が、手作りインターネットテレビ番組のホスト役になるというもの。つまりスピリットの「コミニュケーション」媒体になって、自分が「延長」したいことを、世界に向けて「延長」するこころみです。

今は、7つの番組がラインアップ、毎週日曜日、一日中、誰かの番組が撮影されている状態です。生で見たい人は、ホームページで登録して、決まった時刻にオンラインすると、インタラクティブに参加できます。といっても、日本時間だと朝早すぎたりするので、私は全てが終わったあと、ビデオ映像がYouTubeアップされるのを待ってから見ています。今の段階で3週目までアップされてます。

その第一週目の最初の番組が、いきなり、すばらしいものでした!独り占めするのは惜しいので、シェアしますね。

カリコという人がホストするBeyond the Body「身体を超えて」というタイトルの番組です。私たちがいかに、自分が愛そのものであることを見ないですむよう、身体を使ってブロックしてるか、どうすれば、その根深い性向を解除できるか。その先には何が見えるかがテーマの番組です。

たしかに身体があるから、私たちは、自分が他の人と分離した特別な個体だって思ってしまいますよね。

しかも、容姿やスタイル、健康状態の良し悪しといった、あらゆることを引き合いにしながら、持ち上げたり、けなしたりを繰り返しています。

特に今は、身体がとかく過大評価されがちな時代。身体がパーフェクトでありさえすれば、欲しいものがすべて手に入る、魂の救いさえ手に入るって錯覚されてる(で、健康オタクになったりするわけですが)。

でも身体にはそんな力はない。身体自身は、私たちを救済する源泉、ソースにはなり得ません。

たとえて言えば、身体はランプシェードのようなもの。中に光源が入っているからこそ、シェードも美しく輝いて見える。でも、シェード自身に輝く力はない。

この光源こそ、本当の救いの源泉、生命の源泉。そこにしっかり根ざすことができたとき、身体は、何かずっと軽やかなもの、私たちが地上に生きている間、ちょっと身にまとう衣類のようなものだということがわかるようになります。

コースによると、スピリットのこの光源こそ私たちの本当のアイデンティティだってわかったとき、身体は中立的なものになり、形の世界しか見えない人に対してスピリットがアクセスするための「コミュニケーションの媒体」として使われるのだそう。たとえば講演者のマイクとか、画家の絵筆、作家の鉛筆みたいなものですね。

でももちろん、マイク自体はしゃべることはできないし、絵筆は絵ではないし、鉛筆は文章ではない。
ただ、おそれが強いと、マイクや絵筆や鉛筆の手入ればかりに一生懸命になってしまうのですね。
そして、それを通して何を表現しようとしていたかを忘れてしまう・・・

それが、身体そのものが生命や救いの源泉だって錯覚されている状態です。

身体はそこで、もともと自分にはできない無理難題を課された上で、それを果たしてないじゃないかって責められ続けています。つまり過大評価されたかと思うと、攻撃の的になる。「太り過ぎ」「やせすぎ」「こんなんじゃダメ」「恥ずかしくて見せられない」などなど(どんな身体も、スピリットがそれを通して輝けば、最高に魅力的になるのにね)。というわけで、身体は私たちの自己不全感、無価値観、罪悪感がの巣窟、貯蔵庫にさせられてしまっています。

身体を取り巻く愛憎入り乱れるこの状況には、すさまじいものがあります。それがさまざまな不調をまねき、何より、光そのもの、愛そのものであるという私たちのアイデンティティを完全に見えなくしてしまってます。

カリコは、ステージ4の子宮ガンの宣告を受けるまで、身体をそんな風に扱う達人だったのだそうです。

ただ、ガン宣告後、コースを道しるべにこの道を逆にたどり、病気を目覚めのツールに使うという、病気との「別の付き合い方」に目覚めたのだとか。

たしかに病気になると、私たちが身体に隠し、貯蔵してきたおそれ、それまで全く無自覚だったものも含め、どんどん浮上して、意識されるようになります。だから、逆にそれらを手放すチャンスなんですね。

「身体を超えて」は、彼女がそこで学んだことを、シェアする番組です。

この番組の司会、カリコの元気な姿を見ると、とてもステージ4の癌患者には見えない。つまり身体も良くなった様子。でも、ここで問題になっているのはあくまで、病気を目覚めのために利用すること。病気を直すこと自体はテーマではないわけですよね。そこが、いかにもコースらしい。実際、病気が、もっとスケールの大きなヒーリングのために使われることもあるわけですから。

そのいい例が、この回のゲストとして招かれてるライラです。ライラの方は、もう末期の肝臓ガン。昏睡状態から一時、意識が戻ってきたところで、撮影されました(この撮影の数日後、亡くなっています)。

カリコも、ライラ本人も、彼女の介護をしているマイキも、二人ともコースの実践者。 死のプロセスは、全然暗いものでも、おそろしいものでもないこと、逆に喜びと、広大な世界を垣間見る驚異にあふれてことを、このビデオでシェアしてくれています。とにかく明るくて、よろこびにあふれてる。悲しいどころか、笑いがとまらないわと、死につつあるライラ自身が言っています。

以下はこの番組の、第1週目、第一話の内容の大雑把な要約です。ここにリンクを載せてるビデオ(ページ一番下にリンクがあります)は、7つの番組すべて網羅してるので、とても長いのですが、ここで話題にしてる番組は、その最初に出てきます。最初の方を再生してもらえれば、様子がわかります。英語が聞き取れなくても、みんなの笑い、笑顔を見るだけでとても癒されるので、ぜひぜひ、見てください。

カリコが始めに読み上げているコースのテキストは、「19章 平安の達成」の「4節 平安への障害」の「A. 最初の障害:安らぎを取り除きたいという欲求」の「i  罪悪感の魅力」の最後の部分です。つまり19−4−17−5〜15。番組のタイトル、「身体を超えて」という言葉は、ここから取られたようです。

インタビューでは、まずはライラの視点から、これまでの経緯が述べられます。

私、少し前までずっと、天国の門、パーリーゲイトで「父」と、すべての人と、すべての生き物と交感していて、生命を延長させていて、それはそれは素晴らしい体験をしていたのよ。戻ってきたくなかったけれど、カリコの番組に出る約束をしていたのを思い出して、戻ってきたの。戻ってきたら、形の世界では、私は苦しんでいることになっていて、ベットに寝てる。でも本当の私はそこにいなかったので、先週、何があったのか全然わからないの。介護してくれてたマイキに聞かなきゃ・・・とのこと。

すると、マイキは次のように語ります。

みんなに「重い、大変な仕事ですね」て言われたけど、その正反対。楽しくってたまらない。確かにライラの身体は、叫んだり、もがいたりして大変だった。ウィスキーを飲ませろと言ったり、暴れて、3人の大きな男性が押さえ込んでやっと病院に連れて行ったりしたのだけど、私は、そこにライラはいないのを知っていた。そこにあるのは彼女の抜け殻。枕元で瞑想すると、その抜け殻の上に、巨大な光が見えて、そこにライラがいて、私はずっとそのライラと一緒にいたの。だから、ライラは苦しんでいないことを、知ってた。とにかくミラクルが洪水のように続いていて、学んだことは、はかり知れない。ライラ、もう戻ってこないって思ってたのに、なぜ戻ってきたの?(一同、大笑い)

先日ライラが目覚めた時、また叫びはじめるかな?と思ったら、今回は、全然違う様子。やさしくあたりを見回して、「こんにちは」って挨拶してる。ライラ自身が(身体に)戻ってきたことがわかった。そしてライラ自身が戻ってきたら、全然苦しくないっていうの。それまで身体は痛みでもがいていたのに。これもミラクル。

ライラの方は、マイキが間違った同情などを一切抜きに、光に忠実に、介護者としての自分の役目を果たしているのを見て、大喜び。私もホーリースピリットに言われた役目を果たさなきゃって思ったのだと言います。それは、癌や死といった暗いテーマに光をもたらすこと。マインド、心は身体を超えて、欠乏や病を超えて、私たちの全体性、完全性、神聖さ、光に触れることができることを伝えること。

ライラは、もともと、人生のある時点で、身体を完全にスピリットに明け渡し、使ってもらうようにしたのだそうです。身体を置いて、光の中で、欠乏や恐れを知らずに生きていくことは、別に死を目前にしていなくても、誰にでもできることなのだとも言います。

そのあと、ライラのビジョン、視覚が変わってきたことが話題になります。どんなふうに変わったかというカリコの質問に答えて、ライラは次のように言っています。

この心の状態でみんなを見ると、身体は虚ろな空洞で、そのまわりに光があふれて見える。月食時に、太陽はかげり、まわりに光が見えるのにそっくり。この光だけが、神の思考とコミニュケーションできるの。すべてがこの光の中、私たち自身であるこの光の中に溶けているのが見える。すべては一つ。二元性がない。祝福、自由、よろこび、笑いがあるばかり。

そこで、カリコは、光り輝く顔のお面をつけて「こんな風?」とおどけて見せます。また一同、大笑い。

そのあと、カリコが、ライラのライラが自分の癒しをどんなに促してくれた話をします。カリコは、実は、自分がいつか、自分の身体をコントロールしたり、身体がやることの責任をとる力を失ってしまう日がくることをとても恐れていたそうです。ライラの身体がこんな状態になった話を聞いて、それに投影される形でこの恐れが噴き出してきたのだそう。ライラのおかげでカリコは自分がこれまで隠してきたこの恐れを自覚して、癒すことができました。こんなふうに、癒しも病も、共同のプロセス。一人だけが癌になるのではないと話します。

するとコミュニティのまた別のメンバーが飛び入りして、話し始めます。

私が言いたいのは、カリコもライラも病気を目覚めへの扉として使ったってこと。私はその様子を見てた。心を深く降りて、すべての障害を超えていく大作業。心の暗闇を見つめなきゃいけなかったから、きれいごとではすまなかったわ。でも、その先に、すべてを超越した自由、よろこびがあった。病気をそんなふうに、普通とはちがう形で使って、病気はこんなに喜ばしいものだってこと、何が私たち全員に可能かを示してくれたの。あなたたちがここにいて、その体験をシェアしてくれている。多くの人にとって、大変な慰めとサポートになるわ。

でも目覚めへの動機付け、モーティベイターは、病気以外にもいろんな形をとる。苦痛をともなうことが多いけれど、それを超えて、その先が見えれば、問題なんてなにもなかったこと、苦痛は、方向転換し、わが家へと戻るための一蹴り、キックに過ぎなかったことに気づくのよ。

そのあと、カリコが、私たちは本当は広大な存在なのに、境遇が、ちっぽけで、おびえたものにしてるだけだといい、ライラが彼女に送ってくれた手紙を読みはじめます。

覚書

あなたの中にモンスターはいません。暗闇を愛してあげて。私たちが恥ずかしがって、隠してきた暗闇は、私たちの中にある無垢さ、イノセンスに恋い焦がれています。私たちの中にひそむ子供っぽい暗闇への恐れ、疑い、密かな苦しみ、奇妙な幻想を暴いて見せてあげて、光の中に入っていきなさい。夜のおそろしさ、表面のすぐ下で泡立つ激怒。愛される価値なんて自分にはないと思う恐れ。良い人、正しい人、スピリチュアルな人でいるために、すべてをまとめあげながら「これぞ私」だというセルフ・イメージを守っていくための思考や感覚・・・こうした隠れた人間臭さと、恋に落ちてください。暗闇はおびえながら、それでも光の中に入る憧れに胸を焦がしている、愛されたがってる、注意してもらいたがってる、抱擁してもらいたがってる、もっと大きな自己像の中へと抱合してもらいたがってるのです。みなさん。光を探す代わりに、光そのものでいてください。あなた自身でいてください。生命の光として、完全に光り輝く勇気を持ってください。小さなモンスターが、安心して隠れ家から出てこれるように、優しくしてあげて。彼らは美しくて、価値があって、モンスターなんかでは全然ないことを教えてあげて。

ホーリースピリットより

最後にカリコは次のように締めくくります。

聞いているみなさん、あなたに今、どんなモンスターが現れていても。勇気を奮い起こして。それこそ、コースが言わんとしていること。自分を良く見せたいなんて思ってはダメ。身体を超えていくとはそういうこと。

もしあなたが、自分が怖がっているものを、ジャッジメントせずに、手を握りながら聞いてくれる人に、すすんで打ち明けることができたら、何億もの天使たちも一緒にこうしてあなたの手を握ってくれてるのよと教えてくれる人に出会えたら、あなたは自分の殻から抜け出ていくことができる・・・ライラは私にとってそんな人だった。私に勇気を与えてくれたの。

ビデオ映像リンク

https://www.youtube.com/watch?v=fbd_68eQ2mY

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