奇跡のコース

ガイダンス インスピレーションの流れに乗った生活

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スピリチュアルな自習書、『奇跡のコース』(以下、「コース」と略)は、私たちがエゴに縛られた狭い視野から、すべてとつながったスピリットへと視点を移し、怖れや欠如感からではなく、愛を動機に生きていく方法を教えてくれます。

コースによると、私たちは、エゴの迷妄の中で判断するのにあまりに慣れっこになっているので、その厚い雲間に、ときどき差しこむかすかな光のようなスピリットの声にガイドを仰ぐ必要がある。それがガイダンス。

心の中に感じられるスピリットからの促し、ガイダンスに従って生活するなんていうと、おどろおどろしい印象を持たれることが多いかもしれません。

けれど実際は、とても気楽で、安心で、身軽で、自由なもの。

まず、スピリットのガイダンスは、決して強制的なものじゃない。
私たちの外から、何か有無を言わせぬ権威のように聞こえてくるのではありません。

私たち自身の心の内奥から聞こえてくるやさしい誘いかけです。
それどころか、スピリットは私たちの自由を侵さないように、また怖がらせないように、気づかってくれている様子。

心の内奥にある今はとっくに忘れてしまっていた深い深い憧れ。
それこそ、これまで自分がずっと憧れ続けて来たものだって思えるもの。
そろそろ懐かしいわが家に戻りませんか? という誘いかけ。

みんなと、すべてと一つになって
対立も、区別もしらない愛そのものに溶け込みたい
声の源にさかのぼるほどに、そんな気持ちも深まってきます。

憧れてやまないその場所へ戻り、
本当の意味で、幸せになり、
本当の自分を取り戻す
そこへの道順を教えてくれる道しるべ。
それが、ガイダンス。

もちろん、人生の中で、いろんな障壁にぶちあたったり、
くじけそうになったときに、そこから抜け出る道も示してくれる。
実際的な面も兼ね備えています。

人生の問題とは、結局、本当の幸せの源から
遠ざかっているときに生まれるものですから。

全身全霊で、どうすればいいか、私にはさっぱりわかりません。
助けてください・・・と叫べば、スピリットのガイダンスは、必ず与えられます。

スピリットのガイダンスを聞くには、強い霊感など、特殊な才能がいるような気がしますが、必ずしもそうではないと思っています。

一番重要なのは、そこに全身全霊をかけることじゃないでしょうか? 
全身全霊で助けを求めること
全身全霊であなたの意志だけに従いたいと願うこと
そのやり方は、私の方では、どうすればいいか、さっぱりわからない。
つまりこちらの考え、プラン、要望など、すべてリセットした、
まっさらの白紙の状態で、たずねることができること。
その結果、感じられた答えが、どんなに自分、エゴとしての自分の期待からと違っていても、それに従う覚悟があること。

そんな一途さ、100パーセントのコミットメントがそこにあれば、
確実に、答えてもらえます。

あとはそれを聞き逃さないように待機するだけ。
それは、一番、期待していないとき、たとえば全く別のことに没頭していたり、
スピリットにガイダンスを求めたことも忘れてしまったときに来るかもしれません。

答えが来る方法もさまざまです。心の中でひらめく思いやイメージ。偶然出くわした人やもの。なぜか目に止まった新聞や雑誌、インターネット、たとえばfacebookの記事、路上で出くわすサイン。たまたま通りがかった人が話していて、耳に飛び込んできた言葉。俗にシンクロニシティと呼ばれるもののすべてがそれにあたります。

スピリットの声? エゴの声? ガイダンスの見分け方

なぜそれが、「これだ!」とわかるのかというと、そのときに感じられる感覚の質の違いですね。自分の頭の中でうんうん悩みながら自問自答していたときに心に浮かんだアイデアやイメージは、狭い密室のむんむんした空気の中を、ぐるぐるまわっているようです。

でもスピリットのガイダンスはそこに突如窓が開いて、青空がのぞき、新鮮な風が吹き込んできたよう。あるいは、やっと監獄の外に出れた!みたいな開放感とともにやってきます。文字通り、ブレイクスルーです。

深い確信や、安心感をベースにしたよろこびも湧いてきます。このよろこびの余韻は、ガイダンスに従って行動している間、ずっとあなたを包みこみます。

経験を積めば、あなた自身のパターンも見えて来るし、見紛いようはありません。

ガイダンスの内容から見分ける方法もいくつかあると思います。
スピリットは人を区別しないし、いつも全体のため、みんなのために動こうとします。その中で、あなたがすべき役割を示してくれます。

だから、ガイダンスの内容は、みんなのためになること。
これに対して、自分だけが、利益を得たり、競争に勝ったり、特別な存在として認めてもらうためのアイデアはすべてエゴの磁場圏内にあります。

エゴはまた、「獲得する」ことが好きです。「獲得する」対象はお金やものの他に、名声や承認、愛情だったりさまざま。

「与える」こともあるけれど、「取引」の発想の中で与えます。たとえば、
何らかの犠牲を払った代わりに、欲しいものをいただく。

これに対して、スピリットは、ただ、「与える」だけ。といっても、自己犠牲的に与えるんじゃなくて、与える喜びを全身で感じながら与えてる。与えるよろこびそのものの中に報酬がある。感謝してもらえたり、お礼がもどってきたら、うれしいけれど、戻ってこなくても、うれしい。もっといえば、こちらが贈ったものの価値をわかってもらえなくても、あるいは、受け取ってもらえなくても、気にならない。自己目的的、自己完結した与え方です。

聖者じみてきこえますが、生きがいを感じながら、好きなことに没頭しているとき、私たちはみんな、こんな感じじゃないでしょうか?

過渡的状態としてのガイダンス

エゴの方にぐぐっと惹きつけられている今の私は、スピリットとしての本当の私とは、ずいぶん距離がある。その距離を埋めるのが、ひとまず、ガイダンスのやりとりという対話の形をとります。

けれどガイダンスを聞けば聞くほど、スピリットと私の距離は縮まり、
最後には、自分がスピリットであり、実はこの本当の自分が、ガイダンスの出所。本当の自分が、かりそめで偽物のエゴに向かってささやいていたんだってことに気づかされます。

つまり、自分の外にいる存在、たとえば目に見えなくても、おどろおどろしい霊的な存在などに
「目覚めるために、救われるために、幸福になるためには、こうしなければならない」
と強制されるわけではないのです。
あるいは、「さもなければ、・・・・・」になるよ
と脅されるわけでもないのです。

恐れの対象になるような、権威。従わないと罰する人なんて、どこにもいない。

ガイダンスに従うとは、むしろ、どこまでも、本物、オーセンティックな私に聞き耳を済ませながら、嘘つきながら生きてる偽物の私の殻を一つ一つ脱ぎ捨て、本来の自然な状態へと戻っていくってことなのです。

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