奇跡のコース

スピリットの視点は、かたちレベルの「正しさ」に固執しない

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もう一つ、ガイダンスについて、考えて気づいたこと。当たり前のことですが、コースでいう「神の教師」は「コースの教師」ではないってことですね。スピリット視点で教える人のこと。

スピリットは、人の不安や恐怖感を増すようなことは、絶対しませんよね。その人にとって一番効果的な方法で、安心させようとします。その人にとって大事なこと、一番関心のあることを、うまい具合に利用しながら。

でも、エゴとしての私の方はといえば、たとえば不幸に打ちのめされていたり、悩みの渦中にいる人に向かって、アドヴァイスしようとして、いきなり、「全ては、あなたがでっち上げた夢、幻想にすぎない」とか、うっかり言ってしまうかもしれません。それは、コースの教義として、「正しい」ことではあるかもしれない。でも、言われた人は、ますます、不安になり、恐怖感を抱いてしまうかも。相手に準備のできていないことを、相手の知らない思考体系を使って、つっけんどんに言うことは、「心の平安」への道のりを、逆行させてしまうこと。スピリットは絶対そんなこと、しませんよね。重要なのは、言葉ではなくて、心の状態ですものね。

仏教でも「対機説法」と言う言葉がありますが、これは、コース以外のあらゆる体系にも当てはまると思います。教義を「正しく」伝える人より、スピリット視点で、その人その人にあった形で助ける人になりたいなってあらためて思います。もちろんそんなこと、私にできることではない。ガイダンスの流れの中にいて、はじめてできることだとも思います。

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