奇跡のコース

ガイダンスに従う生活は、自由そのもの! ちっともこわくない 誤解を解くためのメモ

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心の中に感じられるスピリットからの促し、ガイダンスに従って生活するなんていうと、おどろおどろしい印象を持たれることが多い。

けれど、実際は、とても気楽で、安心で、身軽で、自由なもの。だって、ガイダンスに頼ることで、この世の他のものに依存することが、なくなるのだものね。何という解放感!

このずれはどこからくるんでしょう? 巷に流布してると思われる誤解を解く必要があるのかもしれませんね。

以下はそのためのメモです。

 

1、ガイダンスは強制的なものじゃない。

ガイダンスは、外から来るのではなく、心の内側からくる。

たとえば、とっくに忘れてしまっていた深い深い憧れ。
それこそ、これまで自分がずっと憧れ続けて来たものだって思えるもの。
そこから聞こえてくる声だ。

あらゆるものと一つになりたい
対立も、区別もしらない愛そのものに溶け込みたい
そんな深い欲求の源から、感じられるもの。

と同時に、憧れてやまないその場所へ戻るための道順を教えてくれる道しるべにもなる。それが、ガイダンス。

もちろんエゴの方にぐぐっと惹きつけられている今の私は、スピリットという本当の私とは、ずいぶん距離がある。
その距離を埋めるのが、ひとまず、ガイダンスのやりとりという対話の形をとるけれど

ガイダンスを聞けば聞くほど、スピリットと私の距離は縮まり、
最後には、自分がスピリットであり、実はこの本当の自分が、ガイダンスの出所。本当の自分が、かりそめで偽物のエゴに向かってささやいていたんだってことに気づかされる。

つまり、
自分の外にいる存在、たとえば目に見えなくても、おどろおどろしい霊的な存在などに
「目覚めるために、救われるために、幸福になるためには、こうしなければならない」
と強制されるわけではない。

恐れの対象になるような、権威。従わないと罰する人なんて、どこにもいない。

ガイダンスに従うとは、むしろ、どこまでも、本物、オーセンティックな本当の私に聞き耳を済ませながら、嘘つきながら生きてる偽物の私を脱ぎ捨てながら、本来の自然な状態へと戻っていくプロセスなんだ。

 

2、エゴの願望実現の道筋は教えてくれない。

ガイダンスが教えてくれる道筋のゴール、忘れられていた深い深い憧れは、全てのものとの一体化。つまり私、堀田真紀子が、私ではなくなり、全ての人と共通のスピリットに戻るプロセスを手伝ってくれる。

エゴの強化のためではなくて、エゴ解体のための道しるべ。

競争に勝ち、欲しい特別なものを獲得して、特別な存在になるのを助けてはくれないけれど、

そうした野心や焦燥感から自由な、身軽な存在、名もない存在として、あらゆる人、あらゆるものと、一体感を味わえるようになるための道なら、教えてくれる。

つまりガイダンスが聞けるようになったからといって、教祖様のような特別な存在になるわけではない。

むしろみんなと何一つ変わらない、みんなと同じ意見の、名もない、とびっきり幸せな存在になる道を示してくれる。だって宇宙にはたった一つのスピリットしかないのだものね。

 

3、ガイダンスの味噌は、それを習慣にすることで得られる、あったか〜い安心感にある!

どんなに小さなことでも、あらゆることに関して、スピリットにいつも聞き耳を立てて、ガイダンスを仰ぐ習慣をとにかくつけてみる。

とくに、「今の私のやり方、間違ってる。こんなこともうやりたくない」と感じた時、じゃあ、スピリットは何をしたがってるんだろう?と、自分の心の中の、憧れ、深い深い願望に耳を澄まして見ると、いい。

その時に感じられるどんなにささいなうながし、「なんとなく、こうしたい気分」にも、とりあえず従って動いてみる。

すると、心の奥から、あったかい、ほかほかした安心感が、そこはかとなく、湧いてくる。

そのときどきのガイダンスの内容はさまざま。場合によっては、過酷なことをするような促しがあるかもしれない。

でも、その内容がどんなものであるかに関わらず、ガイダンスに聞き耳を立てているときは、特有の安心感、あったかい、ほかほかした気持ちに浸される。このあたたかさの中でいつも生きること。それが、ガイダンスに従う生活で、一番、大切なことじゃないかな?

このほかほかしたあたたかさは、奇跡の温床になる。たとえば、家事でも、仕事でも、今、この作業時間を完全にガイダンスにしたがってやると決める。スピリットに耳をすませながら、かすかな促しをどんどん行動に移していく。すると、楽しくなって、主体的になって、創意工夫、アイデアが生まれたり、手伝ってくれる人が現れたり、その中で癒しがあり、気持ちが晴れたり、緊張関係にあった人と、和解したり・・・

そうした体験を積み重ねることで、ますます、私は一人じゃない、守られてるという気持ちが強まる。ちょっと外れたかな? と思っても大丈夫。その場ですぐ、また、ガイダンスに耳を傾ければいいのだから。するとまた、スピリットの腕にやさしく抱きとめられて、安心。その繰り返しで1日が終わる。
この安心のエネルギーの雲の中に、いつもすっぽりつつまれて生きるのが、ガイダンスに従う生活。正しい道を歩んでる証拠だって思う。

 

4、ジャッジメントの対象にすると、聞こえなくなる

ガイダンスに従った生活特有の安心感、暖かさを育てていくことが、正しい道を歩んでる証拠。

エゴのアプローチで、証拠を求めようとすると、

私はガイダンスを正しく聞き取ってるんだろうか?
これは本当にスピリットの声なんだろうか?
何か聞き逃したり、歪曲してないだろうか?
ガイダンスを実行しないでぐずぐずしているのでバチが当たるんじゃないだろうか?

などといろんな心配が湧いてくる。
そうすると、もうガイダンスはエゴのおもちゃ。
ガイダンスに従って大成功することを期待したり、期待通りにいくかどうか、絶えずジャッジしたり、ガイダンスの真偽がいつも気になって、信頼できずにいたり、ガイダンスが聞こえなかったり、それを実行にうつせない自分を責めたり・・・・

エゴの解体のためにあるガイダンスが、エゴの強化のために使われてしまうことに。

そういうときに感じられる声やうながし、ひらめきは、もちろんスピリットによるものではない。

いい意味で大雑把になり、細かいことにとらわられない、
信頼にあふれた、おおらかな関係を築く必要あり。

何のためにこんなことをやるように促されるんだろう? なんて疑問に思えることがあっても、何が何とつながるかわからないこと、神の計画ははかりがたく、エゴの狭い視野から全体像がなかなか見えないことを思いながら、揺るぎなく信頼し続ける。安心感のあたたかい雲の中にい続ける。その気持ちを育てることが、全て。

だからこそ、コースのテキストで、ホーリースピリットのガイダンスに従う生活について書かれた14章、「真実の教え」は、罪悪感の解消のテーマにあてられている。

つまり、スピリットからのガイダンスは、それに従ったせいで何か現世的な意味で成果をあげたとか、成功するためにあるんじゃない。エゴの解体をすすめて、安心感が増し、心が穏やかになることへ向けられてる。

ガイダンスの本質は、正しかったり、間違ったりするその「内容」にあるというよりも、ガイダンスに耳を傾けることを習慣にすることで得られる心の状態の変化にあるっていえる。

 

5、本物のガイダンスは時間を解消していく

ガイダンスで促されたことを今日はやらずに明日にまわしたり、ぐずぐず従わないでいるせいで、バチが当たりそうだというのも、エゴの圏内にあるアプローチ。線的時間を強化していくわけだものね。

でも、先ほど言ったように、本物のガイダンスの味噌は、安心感。スピリットに全ての決定をお任せする安心感にある。

この安心感にどっぷり浸って生きると、ゆるしが自然にすすみ、過去の後悔や辛い記憶に苛まれる必要がなくなる。

このままじゃだめだ、こうしちゃいられない、何かやり残したことがあるといった焦燥感も消えていく。未来をわずらい、期待や計画で頭をいっぱいにする必要もなくなってしまう。

ようするに、罪悪感がなくなる。

だって、すべて、スピリットのガイダンスにお任せしているわけだからね。

つまり過去のこと、未来のことも、思いわずらう必要がなくなり、後に残るのは、今、この瞬間のみ!

これに加えて、スピリットの声に絶えず聞き耳を澄ますことも、「今」のみに注意を集中する癖をますます強化することになる。

「今」のみに集中する。この態度が、何とも言えない安心感、よろこび、時間を超えた永遠性への入り口になる。コースでは、本当にしあわせになると、時間は消滅すると言っているけれど、ありのままで、すでに完璧、ここにすべてがある、何にもする必要がない。ただ、受け取ったものを放射し続けるだけ。そんな状態に近づけてくれる。

つまり本当のガイダンスは、時間軸強化のためにあるのではなく、
時間を消滅させていくものなんだ。

6、エゴのおそれを少しずつ崩していく

スピリットのガイダンスは、エゴの解体へ向けられてる。だから、エゴとしての私が一番やりたくないことをやるよう促されることもしばしばだ。

プライドが高い人は謙虚さを学ぶよう促されたり、コミュニケーションが苦手な人は、逆に人と関わるように促されたり。理屈っぽい人は、もっと自分の感性を信頼するように導かれたり・・・

そう言う意味で、苦手を克服することにも似てる。でも、エゴが、苦手なものを克服しようとするときの自己訓練とはちょっと違う。

スピリットのガイダンスに従って苦手を克服するのは、エゴの柱をなしてるおそれを少しずつ崩すことで、スピリットとのチャンネルを大きく開いて、スピリットとの一体感を強めていくプロセスとパラレル。

たとえば、人前で話すのが苦手だから話し方教室に通うとか、感性豊かになるために絵画教室に通うといったエゴのソリューションに従っても、そうした効果はあげられない。

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