アートとしての人生

コースを続けると、経済的不安、なくなる?

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奇跡のコース』を極めると、経済的な心配がなくなるのかな? というのは、みんな気になるところ。

私も今、完全にフリーランス。集中的に関連箇所を読んだり、信頼している先生たちのコメントや、ビデオを見ながら、とりあえず気づいたこと、といっても今のところの結論ですが、シェアしますね。

基本の基本はやはり、「ファンタジーを真理のもとに運ぶ」けれど、「真理をファンタジーのもとに来てもらおうとしない」というゆるしの大原則だと思います(テキスト17章の1節)。

つまり、特定の結果を期待して、「うまくいかなかったらどうしよう」と心配したり、「どうしてもこれが欲しい」と渇望したり、野心が出て来たり・・・とにかくエゴのファンタジーが心にむくむく湧いて来たのに気づいたら、即、ホーリースピリットに渡す。でもその逆はやらない。エゴのファンタジーをかなえるために、ホーリースピリットを利用しようなんてことはしないわけです。

たとえば、「お金をください」と祈って、かなえてもらうのがゴールなのではなくて、お金がない欠乏の不安がなくなって、満ち足りた平安がもたらされるのがゴール。

私は、仕事のことで、特定の結果を期待してやきもきしたり、ため息つきたくなったり、お金のことなどで先の心配が心をかすめるたびに、それをそのまままるごと、とにかくホーリースピリットに渡して、う〜んと甘えて、抱きしめてしめてもらいます。「いい子、いい子、大丈夫よ」となだめてもらう感じ。で、その時に感じられる安心感を大切に育てるようにしています。

ホーリースピリットに抱かれてる安心感がホームベース。そこから少しでも「ずれたな、はみだしたな」と思ったら、大急ぎでまたそこに戻り、ホーリースピリットに抱きしめてもらう・・・その繰り返しで生きてます。

結果として、将来のことを煩わない限り、とても平穏。所持金は無に等しいけれど、自然に囲まれた田舎暮らし。生活の質は異様に高く、自由な時間たっぷり、いい友達だったらもうこれ以上望めないというくらいの暮らしを、勤め仕事をやめてからここ3年くらい続けてます。お金になること、ならないこと、様々だけど、ほとんど好きなことしかやっていないのですが、ちゃんと生きていけてる! もちろんパートナーの支えあってこそですが、彼とも結婚してるわけではないし、明日どうなるかわからない。コースのレッスンを始める前は、今のように、一緒にまとまった期間暮らせるような仲では到底ありませんでした。というわけで、これもゆるしと心の平安の賜物だって思ってます。

自由になるお金がもう少しあったら、コースの勉強をきわめるために、ディビッド・ホーフマイスターさんのユタ州のコミュニティでリトリートに行くのに・・・といった根強い「ファンタジー」も、もちろんあります。でもそれをホーリースピリットのもとに持っていくと、「今はその時期じゃない」となだめてもらえます。その時期になると、ファンタジーから欠如感が消えて「確信」になり、それにつれて、自然に状況も整ってくる、とのこと。

といっても、これはたぶんすべて、平安の「反映」。「自然とアートに囲まれた、こんな暮らしがしたい」と、思い描いて、それをゴールに祈り続けても手に入らないし、維持できるものでもない。

ゴールはあくまで、平安。ホーリースピリットに抱かれて感じる安心感から一歩も外れないということだけ。それだけが、確かなこと。本当にそれだけ求めて、あとはすべて忘れてしまってもいいんじゃないかって思うほどです。

神の救済計画、Devine Providence を生きている限り、必要なものはすべて与えられると、コースにもありますよね。ただ、それは、「時間の中でぐずぐずするために与えられるのではない」とも書かれてる。つまり、特定の結果、特定のかたちを期待して、それがかなえられた、かなえられない・・・と一喜一憂する態度では、ダメということではないかな? かたちのない一体感のしあわせ、心の平安、安心感だけを求め、維持しようとするのがコツなのではないかしら。

神の救済計画の中での自分の役割などというと、大変なことのような気がしますが、すべての人にそれは与えられているそう。マザーテレサや、ガンディーである必要はない。

自分の人生を「自力で生きてる」autonomy の幻想を徹底的に捨てて、「生かされてる」感覚が育った度合いに応じて、はっきり見えてくるそうです。

私が基準にしているのはやっぱり、ホーリースピリットに抱かれてる安心感ですね。そのホームベースにいるとき、うっとりとした安心感の中から、ガイダンスも感じられるようになります。たぶんこれが、救済計画にかかわってる。

逆に言えば、このホームベースにいない時に思いついたことは、あまり実行しないほうがいい。エゴの声だから。

安心感だけをゴールにし、この先も暮らしていけるかどうかの基準にするなんて、エゴから見れば、とんでもないことですよね。「貯金も底をついてきただろう?そんなことに時間を無駄にしないで、勤めをはじめろ、お前はスキルあるだろう?」などなど、エゴの方からも、実際、いろいろ言ってくるのですが、あえて無視。

今は、それより、ホーリースピリットの元にあるときに感じられる「どんな人であれ、その人をゆるし、心から歓待できるレッスンをしなさい」というガイダンスに従っているところです。何の役に立つのか、全然わかりませんが。エゴとしての私には、わからないけど、とにかくおまかせ。信頼する。その感じが、また、いいのですね。

ディビッド・ホーフマイスターさんは、スピリチュアルな道には本当にさまざまな段階、状況があるので、すぐに仕事をやめればいいなんて、一概に言えるものではないけれど、ある程度道が進むと、ジョブとしての仕事は、みんな卒業すると言っています。こどもの時に夢中だったおもちゃも、大人になると興味がなくなるように、それは自然に起こる。ただ、それは、無理してやるものではない。強制もできない。まだ、将来のことが心配で仕方がないのに、その気持ちを残したまま仕事を辞めてもうまくいかない。安心感をまず育てる必要があるそうです。

彼によると、ホーリースピリットとの関係が深まり、そこに人生をゆだねる度合いが深まるにつれ、みんな

clueless わけがわからない → care-free 心配がなくなる → cared-for 世話してもらってる

という三段階の体験を経ていくのだそうです。

私の経験からすると、この三段階は、結構入り混じったりもするようですが、とにかく三つ目の「世話してもらってる」段階を、かすかな感触でも感じられるようになった時が、ジョブとしての仕事を卒業する潮どきなのかもしれませんね。

その時に、仕事をやめるだけでなくて、全財産を捨てたりする人もいます。たとえば、ディヴィッドと一緒に活動してるジェイソン•ワーヴィックは、すごいお金持のご子息なそうだけど、親が勝手に祖父の遺産を振り込んだ彼名義の口座の名義を変えたり、家の口座へアクセスできないような処置までしてる。なぜそんなことまでするのか、ちょっと不思議ですよね。コースの中にも、全財産を捨てよなんて、どこにも書かれていない。彼によると、他の何者にでもなく、スピリットのみ、神の愛のみに生かしてもらってる(ワークブックレッスンの150)・・・その感が強まると、実際にそれを行動にあらわしたくなるのだそうです。

つまり神の救済計画で生きるというのは、お金のためにするものではない。逆に、神のみに生かしてもらってる、その感覚を味わい、深めるためにやるものです。

過激な信頼、ラディカル・トラストを育てるという心のトレーニングも、必要になってくるようです。みんなガイダンスで導かれるようですが、たとえばディビッドは、何年も、意図的に、その晩、どこで寝るのかわからない状態に自分を置いて、旅をつづけたことがあります。やっぱりディヴィッドともに活動しているリサ・フェアさんという人は、自分の車への執着が、自力で生きるエゴの執着になっているのに気づき、車を持たない生活をはじめたのだそう。公共交通機関のない地域に住んでいるので、どこかに行く時にはヒッチハイクすることになりますが、それを通して、ラディカル・トラストを育てた時期があったのだそう。最初、ガイダンスに導かれて、ヒッチハイクをやった時は、まだ恐怖心が残っていたのだけど、そのときは、目的地に着くまで、道路に立って2分以内に誰かを見つけて、3人の人に拾ってもらい、しかもその3人ともディヴィッドという名の60代の間の男性だったとか。彼女は日頃から、ディビッド・ホーフマイスターをとても信頼しているそう。つまり、今や彼女は「人生を信頼していい」というシンボルとして、そういう引き寄せが起こったみたいです。

ゆるしがすすむと、ある時点から、自分の中に世界があるように感じられて来て、世界が心の反映だってことに気づく。「幸福な夢」とコースで呼ぶものですが、ここまでくると、本当に、冒険物語か、メルヘンのようですね。

ゆるしてばかりで、悟りきってくると、単調な日々が待っていそうな気がしますが、実際には、冒険が盛りだくさん。少なくとも退屈しないで済みそうです。

定住の場所を後に旅に出るとか、財産や車を手放すような妥協のない行動の話を聞くと、警戒する人もいるかもしれません。コース自体は、かたちのレベルで、何か特別な行動やライフスタイルを要求したりはしないことを、確認して置いた方がいいかと思います。コースが求めているのは、あくまで「心」のレベルでの徹底性。たとえばスピリットに「生かされてる」、ラディカル・トラストの感覚を徹底させて、思考パターンや知覚まで変容させること。

そのために、特別な行動が要請される時期ある。ディビッドの旅やジェイソンの財産放棄やリサのヒッチハイクは、そんな時期に彼らがたまたまいたから。そうまでしなければ、なかなか身にしみなかったレッスンが、無事、学ばれ、心がそちらの方向へと十分鍛えられると、それ自体「どうでもいい」、かたちのレベルに過ぎないこととして、脱ぎ捨てられます。実際、リサは今、再びマイカーに乗ってるのだそう。

ましてや彼らとは全く違う状況の中にいる私たちが全く同じように財産を放棄したり、ホームレス風の旅に出れば悟りに近づくとは限らない。また、それができないからといって、罪悪感にかられる必要もさらさらない。

私自身の道、私自身のレッスンは、ホーリースピリットから、ガイダンスや状況の配置、出会いを通して読み取って、実践すればいいんだって思ってます。ホーリースピリットに抱かれ、ホームベースから一歩も出ていない時の安心感、心の平安を大切にそだてていくと、それも火を見るより明らかに感じられるようになります。

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