アートとしての人生

スピリチュアルな仕事?

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奇跡のコースの世界観をベースに、これから仕事をするぞって考えるたびに、一つ難しいなと思うのは、人にできないことをやる特別な専門家になって、お金をもらうというアプローチが使えないこと。

そんなの普通。全ての専門家、専門業種、みんなそうですよね。いったい何が悪いのって思われるかもしれないけれど、それって、自分を他の人たちから切り離して、特別な位置に置くってこと。自分が他の人から、世界から分離してるって、前提にしていることになります。

この矛盾が一番痛切に感じられるのは、「スピリチュアルな能力を磨いて、他の人に差をつけて、それで稼ぐ」といった姿勢でしょう。「スピリチュアル」「分離」を助長させるために使う?ワンネスの一体化へと戻ることがスピリチュアルだって考えると、形容矛盾ではないかな? 自分は誰の追従も許さない「特別な」スピリチュアルな能力をも身につけたと思えば思うほど、本当の意味でのスピリチュアルから遠く離れ、エゴのおごりの中に落ちこんでいく危険があります。

スピリチュアルな力を身につけて人を助けたいのという人もいるかもしれません。でもそれも、助ける人、助けられる人の分離を助長したり、固定化するおそれがあります。おすがり、依存の対象になってしまうってことだけど、それは、すがられる本人が大変なだけじゃなく、すがる人の成長もとまってしまうことになりかねません。だって、誰かにすがるたびに、自分は自分を助ける力がないと言い聞かせてるようなもの。実際、そんなことはないわけです。

じゃあ何もできないじゃないの!と思ってしまいますね。スピリチュアルと仕事は両立できないの?

いえいえ、コースのは、逆にスピリチュアルな「仕事」をたっぷり要請してますよね。スピリットに自分の体を、能力を、意識を、全て使ってくれと頼んでは、ガイダンスに従って働くことが奨励されてる。また、その限り必要なものは、すべて与えられるとも言ってる。これって、スピリットに雇われるようなものですよね。

ただ、スピリットに自分をあけわたして、そのガイダンスに完全に従う時、そこにあるのは、もう「自分」ではないし、名前をもった個人は存在しない。

宇宙にはたった一つのスピリットがあるだけで、そのスピリットが、いろんな人や生き物の中で、自覚され、目覚めていくたった一つのプロセスがあるばかり。

その中で一人一人が自分の持ち場をはたしているけれど、その「一人一人」は、シンボル、仮面にすぎず、何一つ特別なものはない。目覚めつつある不可分のスピリットに視点を合わせると、その担い手となる人物は、まばゆい光の中で、溶けて見えなくなってしまう。つまり「個人」は幻想だってことがわかる。

逆に、スピリチュアルな力なり知恵の担い手である「個人」やシンボルのほうに焦点を合わせて、マザー・テレサでも、ガンディーでも、奇跡のコースでも、「あなたこそ、グル!」「これだけが真理!」などと思い始めると、スピリットの光は今度はどんよりと暗くなり、見えなくなってしまいます。これが「偶像」の持つ遮断効果。

というわけで、「スピリチュアルな人物personなんてどこにも存在しない!」とディヴィッド・ホーフマイスターは何度も何度も強調しています。どっかにそういう「人物」「かたち」がいて、それがスピリットだって思った瞬間、偶像崇拝と依存が始まり、スピリットそのものは見えなくなるから。

逆にその「人」を通してその背後にある「スピリット」が見えてくると、その具体的「人物」は、あらゆる姿を取りうる、それ自体、どうでもいい「仮の姿」だってことがわかってきます。

つまり、「スピリチュアル」と「人物」は共存しないというわけです。

とはいえ、人物や教義といった「かたち」そのものの中にではなく、それらを「通して」、その奥にあるスピリットの光を注視できれば、大丈夫。何の問題もない!

それができたら、それと全く同じものが、自分の中にもあるのに気づくし、激励されたり、インスパイアされても、おすがりする必要なんて何にもなくなってしまいます。

また、本当にそれができるようになったら、別にマザーテレサやガンディーやコースやディヴィッド・ホーフマイスターのように「特別な人」を相手にしなくても、あらゆる人、あらゆるもの、それこそ偶然隣に座った人の奥にスピリットの輝きを平等に見れるようになる。それこそ、ゴール。

究極の真理、究極のグルを求めてさまようスピリチュアル・ジプシーっていますよね。私自身もそうだったのだけど、「これこそ、本物に見える。でも、今度もまた偽物だったらどうしよう?」などと、びくびく心配しながら、たとえば、グルに教えを乞うたり、コースを勉強すしたりする。

でも、そんなおそれが生じるのも、「かたち」「人物」のレベルしかみていないから。そして、そんな「かたち」のレベルにいる限り、「気の毒だけど、今回もまた偽物よ」というしかないですよね。だって、偶像崇拝に陥ってることになるから。

でも、人や書物の「かたち」を超えて、その奥にある「たった一つのスピリット」の光を見届けることさえできれば、そのグルも、本も、ついでにいえば、道で偶然会った人も、通りがかりの野良猫でもなんでも「本物」になる。もちろんそう感じる自分自身も含めて!

 

スピリチュアルな本物を「かたち」の中に探す偶像崇拝の矛盾について話してきたけれど、それは自分が偶像になることにも当てはまります。実際、スピリチュアルな人物に自分はなったと思ったり、それをとにかく演じされたり、そうなろうと努力するほど苦しいことはないと、ディヴィッドも言ってます。エゴがスピリットを引き受けることになってしまうから。例えば、ガンディーは、「マハトマ」と呼ばれるのをとても嫌がってた。四六時中、聖者のように振る舞うことを期待されてるなんて、想像しただけでも大変ですよね。で、完璧に聖者のようにふるまったところで、それは「かたち」のレベルでの出来事にすぎず、スピリットのチャンネルになるかどうかとは関係なかったりします。無益な膨大な努力をしなきゃいけなくなってしまう。

スピリチュアルな「人物」になる代わりに、スピリットそのものの自由な開かれたチャンネルになることが求められてるわけです。聖アウグスチヌスの言葉に、「まずは愛そのものになれ。その後、何でもやりたいことを自由にやりなさい」というのがありますが、まさにこの境地のことを語ってる。

ちょっと話がそれてしまったけれど、じゃあスピリチュアルな仕事って成り立つかという話にもどりましょう。

スピリットによって宇宙のすべては一つにつながってることを、他の人と共に体験する仕事。そんな視点を分かち合う仕事。それだったらアリだと思います。

あらゆる職種、あらゆる状況で、今、ここではじめられる。

もうお分かりになったと思いますが、ゆるしの実践がこれにあたります。それと、ゆるす時にしばしば、同時に感じられる内的なうながし、ガイダンスに従っていろんな仕事に導かれることもあるでしょう。ただそれがどんなものになるかは、あらかじめ予想できません。

スピリットのチャンネルをもっと太くするための障壁、そのときどきに、手放さなければならないものや、身につけなければい特性を身につけれる仕事へと、自然に導かれるようです。

だから、この職の方がスピリチュアルといった「特別な」聖職みたいなものは、ないのではないかしら。どんな仕事も、時間と空間の中にあるこれまた一つの「かたち」に過ぎないし、それ自体、ゆるしの対象にして、手放す必要がある。

要するに、どんな仕事でもいいけれど、どんな仕事も、それ自体が答えじゃない・・・また、ちょっと謎めいてしまいましたね。こんなふうに考えるといいかも。仕事自体ではなく、その目的、意図が全て。

 *

私の経験からいっても、スピリットは確かに、その意思を一生懸命体現しようとする限り養ってくれます。といっても、エゴとしての私が期待したり望んだのとは全然違うかたちで、ですが。

大学教員を辞めた時、私のエゴが思い描いていたのは、著作家としてのキャリアが速やかにすすんで、これまでと同じくらいの収入を得て暮らすことでした。

でも実際に待っていたのは、著作家としての収入はほぼないに等しく、一緒に暮らしてくれているパートナーをはじめ、周りのたくさんの人たちのお世話になりながら暮らす日々でした。

でもその意図は、今から思うと、とても一貫してる。私のエゴを本当に効率よく解体してくれてる。まず、これまで20数年間、女一人で、バリバリ稼いでキャリアを積んできたプライド、何でも自分だけでできるという傲慢さを解体する必要があったのですね。プライドをへし折られる代わりに、人の優しさやサポートを受け取り、感謝することを学びました。

それに、自分ではほとんど稼いでいないというプライドをへし折られる事実はあるわけだけど、物質的困窮状態はほとんどなく、生活の質は働いてるときより高まってる。アートと自然に満ちた静かな生活という、夢見描いていた暮らしも手に入ってる。

しかも、エゴをへし折られた分だけ、心は安らかになり、ガイダンスもだんだん感じられるようになってきました。これは思わぬ報酬。つまり、ダメだったのは私のエゴの期待が叶えられなかったことだけで、あとは、いいことずくめ。

というわけで、スピリットのメッセージは明瞭です。 私のエゴの中でも一番手強くのさばっていた「一人でやれる」とか、「自分が正しい」「自分が一番知ってる」という思い上がりを、とにかく速やかに取り除くこと。それを全力でやっている限り、必要なものは与えますということなのでしょう。

それが今のところの私のスピリチュアルな仕事ということになりそうです。

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