ゆたかさからはじまる仕事

隠れた「おそれ」とヒーリング エリック・パールの『ザ・ゲート』に 学んだこと

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とくに関心もなければ、どちらかというと反撥を感じてるのに、何となく、妙に引きつけられて読み出す本がある。最近、図書館で何となく気になって借りてしまったエリック・パールの『ザ・ゲート』。アメリカの有名なカイロプラクティショナー、ヒーラーなのだそう。ずっと棚に置きっ放しだったのだけど、明日には図書館に返しに行かなきゃいけないことに気づき、ぱらぱら眺めていると、まさに今、私がひっかかってることに、それとなく触れてるのに、びっくり。

そのひっかかっていることというのは、隠れたおそれ。おそれがあると、クリエィティビティも、本当の意味での愛の表現も、学びも、滞ってしまう。でもこれが、一見,おそれには見えないようないろんな形で、いつの間にかはびこってしまうのですよね。パールさんによると、ヒーリングがうまくいくかいかないかは、ヒーラーや患者が抱え込んでいるおそれの正確なバロメーターになるのだそう。というわけで、ヒーリングをやりながら、隠れたおそれにも、とても敏感に察知する力をつけた様子。

私自身はヒーリングをする予定などは何もないけど、ここで「ヒーリング」について語られてることを、「人生のいろんな課題に、クリエィティブに応答すること」と読みかえてみてもいいことに気づいたよ。

たとえば、色や音、植物やパワーストーンやキャンドルなどの波動の力や、科学的あるいは縁起担ぎの知識満載。そのすべてを取り入れたミステリアスでドラマチックな部屋で、しかるべき儀式をしながら患者を迎えるのと、何にもない普通の部屋に、ただ自分がいるだけ。カーテンやテーブルクロスや飾ってある花やろうそくの光が素敵だとすれば、純粋にそれが美しいと思ったから。患者も喜んでくれるって思ったから。そんな部屋で患者を迎えるのと、どっちがヒーリング効果を上げたか。後者なのだそうだ。「こうしなきゃいけない」と思いこんでることがたくさんあって、それらにがんじがらめになればなるほど、それなしでは自分は無力だっておそれてるってことの裏返し。おそれがなくなると、自然に儀式やものに依存することがなくなり、ついには、「ただここにいるだけで、十分」って思えるようになるのだそう。存在してるってことだけに、依って立てるようになったら、もう怖いものなし。

セッションなどの前に、祈る習慣があったそうなのだけど、「どうぞお護りください」「助けてください」という加護の祈りや、「今日をこのような1日にしてください」という嘆願の祈りをするのと、「こんなにも多くをいただいてありがとうございます」という感謝の祈りをするのとでは、どちらがヒーリング効果があがるか。これも後者。前者の祈りは、自分は無力で、おそれていることを自分に言い聞かせるようなものだものね。

それでも、自信がどうしても持てなくて、おそろしいときは、確かにある。そんなときも、何とかしなければと、あれこれ自分で努力したり、「守ってください」「助けてください」と祈るより、「私がすでに受け取っているのに、気づいていないもの、見過ごしているものに気づかせてください」と、今、ここにすでに「ある」ものを、あますことなく「受容しつくす」のに力を入れた方が、ずっといい。うまくいけば、その後、自然に、感謝の祈りがはじまる。

もう一つ、面白かったのは、彼が体験した患者のおそれについての体験談。ガチガチの合理主義者で、自分だけだったら、非科学的な代替療法なんて絶対受けないのだけど、家族に引きずられて来てしまってプンプン怒ってる人と、スピリチュアル大好きで、期待満々でやって来た人と、どちらがヒーリング効果が上がるか。意外なことに前者なのだそう。この手のことを全く受け付けない人の方は、知識ゼロ、先入観ゼロなので、ヒーリングがすんなり入っていく。あらかじめ「ヒーリングはこんなもの」という期待がいっぱいつまってると、それがブロックになるのだとか。「期待」してるってことは、「こうあらねばならない」という思いこみがそこにあるってこと。つまり、特定の、のぞましい結果にしがみついてること。「裏切られたらどうしよう」というおそれの汗が、そこにべったりしみついてるってことでもある。これも、未知の変化へ開かれていくのを阻害してしまう。

というわけで、「期待」しない、結果をコントロールしない。予想外のものへと開かれるスリルを味わいながらも、信頼して、受容しつくす。この辺が、私の今年のテーマなのだなと確認した次第。

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