詩 

泉は魔法の国への入り口 持つべきは「心の状態」

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望ましい「心の状態」を「持つ」ことが、本当の意味で何かを「持つ」こと。

なぜかというと、

よろこびにあふれたときにはすべてよろこび。
愛いっぱいの時には全て愛というふうに、

特定の「心の状態」を持つと、あなたの世界のすべてが、その色に染め上げられて見えてくるから。

この世界にあるどんな「もの」を持つことができても、この魔法は起こらない。

たとえば、苦労してお金をためて、どんなに美しい家や車や服や伴侶を「持つ」ことができても、だからといってあなたの目にするもの「すべて」が美しくなることはない。

当たり前だけどね。

でも私たちの心のどこかに、
本当の意味で「持つ」ことは、
素晴らしい「もの」ではなく、素晴らしい「心の状態」を「持つ」こと。

それを持つことで、「すべて」が素晴らしく見える魔法の国へ入って行くことなんだってちゃんと覚えてる部分がある。

だから、何を手に入れても、何となく不満。こんなはずじゃないはずだって思ってる。

だから、幸福の断片的なシンボルにすぎない「もの」ではなく、心底幸福になれるような「心の状態」だけを探そう。

本当の意味で何かを「持つ」ことは、シンボルを「持つ」ことではなく、そんな心の状態で「ある」ことなんだって気づいていよう。

でもどうすればいいの? 心の状態ってどこで手に入るの? って思われるかも。

それは簡単。まずは目をつぶり、心の中をさぐって、実在するものをさがす。
「実在する」というと、また難しく聞こえるけれど、
手触りのあるもの。それに触れると、たちまち、うるおいやあたたかさ、爽やかな風や自由な広がりが感じられるものを探すんだ。

フランスの哲学者、ガストン・バシュラールは、それを、物質的想像力のエレメントと呼んだ。地水火風のいずれかのイメージと関わることが多い。その人の気質によって、そのどれかとつながりやすかったりするわけだけど、私の場合は、「水」。でも人によって燃え上がる火や、安らかな大地、爽やかな風のこともあるだろう。

でもそれは、現実の世界の中にある地水火風ではない。あくまで、私たちの心の中に、「心の状態」として見つかるもの。でも、いったんこれを「持つ」ことができれば、世界の全てがそれに浸され、よみがえって見える。魔法の国への入り口なんだ。

お話
050 star shaped healing well

心の中をずっと底まで降りて行くと、
文字通り心うるおうって、心底思える一瞬がある。
そこを探してみて。

たくさんの人や、動物たちまでそこにいて、同じ水を呑んで生き返ってる
本当にたくさんいるってことはわかるけど、
ゴミゴミ混み合ってる気はしない。
うすい、うすい、透明な身体をしてるから。
でも様々な色に輝いて、綺麗。
虹色に輝く、できたばかりのガラス細工のよう。

でも、誰かは、見紛いようがなく、すぐにわかる。
たとえば、あそこにいるのは、猫のおたま。
でも、普段会うより、ずっと懐かしく、親しげ。
見たこともない人もたくさんいるけれど、
ずっと前から知ってる大好きな人のように見える。


寂しくなったり、悲しくなったときにはとくに、
この泉を探してみて。

目をつぶって、心の中を手探りして、
じんわりうるおってくる一点をさがせばいいんだ。

あとは、そのしっとりとした感じをじっくり味わいながら
その中に跳びこむだけ。


この泉は、その気になれば、いつでもどこでも見つかる。
でも、私たちが普段生きてる世界とは、全く触れ合っていない。

だって、どこかに行けば
何かをすれば
これが見つかるなんてこと、ないからね。

その代わり、心の中をのぞいてうるおってるところを探すこと以外、
な〜んにもしなくていいんだ。

でも、ここに触れると、世界の全てが変わる。
すべてこの水に浸されて、
優しく、親しげで、なつかしいものになる。

眉間にしわをよせた、強面のおじさんに会っても
泉のことを思い出して、心がうるうるしてると、
全然こわくない。テーブルの下で、こっそり手をがっしり握りしめながら、
「確か泉のほとりで、会いましたよね」って言いたくなっちゃう。
それくらい、なつかしい。

あなたにここでまた会うことができて、本当にうれしいって、
感動して、涙ながらにささやきたくなっちゃうんだ。
「えっどこで会いましたっけ?初対面じゃありませんでしたか?」なんて聞き返されても、気にしない、気にしない。

憧れの人、
会うことをずっと夢見てた人が目の前にいて
この人にはどうしても嫌われたくない。
愛されたい。
でもそのためにどうすればいいのか、まったくわからなくて、途方に暮れてる。

そんなときこそ、泉のことを思い出して、心をうるうるさせてみよう。

何にもしなくていい!ってことに気づくから。

お茶やお菓子を出すのにいそいそと動き回って、一緒にいれなくなったり、
贈り物選びに頭を悩ませたり、破産寸前になったり、
その人好みの体型になろうとダイエットしたり、服装や髪型にこだわったり
頭をフル回転させて、その人に気に言ってもらえそうな話題を探して、
実際よりずっと賢く見せようとしたり

そんな努力の一切合切、すべていらない。

ただ一緒にいるだけで、いいんだ。

心の泉にうるうる浸りながら・・・・
するとその泉から水が溢れて、
気持ちのよい温泉のようにあたり一面に広がって二人をつつみ

そこにただ、ほっとしながら、
うっとりしながら、
一緒に浮かんでる。

愛するって、愛の中に一緒に浮かび、たゆたいながら
何もせずにただただ見つめあうことだってわかるから。

 

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