奇跡のコース

編み物しながら、本当のゆるしについて考える

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そろそろお正月休みですよね。みなさん、如何お過ごしですか? 私は今、この間完成させた樹の模様の手袋とお揃いのベレー帽を編んでいるのですが、そうしながら同時に、ゆるしの実践もしてます。

するとだんだん、私たちはみんな、自分の世界の全体を、自分で編み上げているんだな・・・ってひらめきました。たとえば、今の私がこうなってしまったのは、あのとき、あの人と会って、あんなことがあったから・・・というふうに、因果関係の糸をからみあわせながら、人生全体を作り上げてますものね。

何ってことはない気づきですが、ゆるしをするのに、とても役に立つイメージだと思ったので、ちょっとシェアしようかなって思い立ちました。

というのも、ゆるしがなかなかできない。あるいは、いつも実践してるつもりだけど、気持ちはちっとも楽にならない。そういう場合、私たちはたいてい、原因レベルでなく、結果レベルでのゆるしをやろうとしてます。

例えば、誰かに何かひどいことをされた。そのあやまちがすでに現実として起こってるってみなした上で、それがどんなにひどかったかとか、悪かったのは誰で、犠牲者は誰だとか、本当はどうすべきだったと反省したり。あるいは、これほど苦しめられながらも、ゆるしてあげるなんて、私って何と寛大なことだろう、随分成長したな、大きくなったなあ・・・と感慨にふけったり。そんな具合に起こったことの一部始終について、思いめぐらせればめぐらすほど、それをリアルにしてしまう。強固な、動かしがたい現実に固めていきますね。

これに対して、コースのゆるしは、起こったことから現実度を抜いていくという、これとは真逆の方向に進むもの。いろいろあっても、すべては自分のエゴがでっち上げた幻想。とすれば、間に受ける自分の方がバカだって認めながら、 そのすべてを、笑い話のように軽やかなものにしていきます。もちろんそれはエゴとしての私ができることではない。ホーリースピリットに主導権が移ってるからこそですよね。

ただ、原因レベルにいつも立ち続けるのは、結構難しかったりします。現実は私の中「から」立ち上がっているというより、客観的事実として存在するもの。私とは無関係に動きながら、ときどき私に「向かって」、いいことや悪いことをもたらしてくるって、どうしても考えがちですものね。

それでも頑として、自分こそが現実の作者なんだってことを忘れずにいるのに、一針一針、世界を編み上げている自分の姿をイメージするのが、とても役に立つのに気づきました。そんなふうに、自分の中から、自分の世界が作り上げられてきていると考えると、確実に結果レベルから原因レベルに、意識の焦点を移動させ、合わせることができるからです。ホーリースピリットには、編み上げてるこの現場に、来てもらう。そうすることで、私がでっちあげた現実を、現実レベルで捉え直し、作り変えてもらうことができます。

というわけで、私は今日も帽子を編みながら、同時に帽子だけじゃなくて、自分の世界全体を編み続けてるのを思い出してます。ホーリースピリットと、暖か〜い生地を編みあげることができるまで、何度もなんどもほどきながら。

奇跡あふれる良いお年をお迎えください!

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