ゆたかさからはじまる仕事

クリエイティビティ発揮のコツ

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クリエィティビティを発揮する一番のコツはと聞かれたら、私だったらこう答える。世界を真面目に取らないこと。巻き込まれていること、やっていることを心の中でいつでも手放してみれること。それは必ずしも、仕事を投げ出すことを意味しない。ちょっと引いて眺めたり、ひっくり返したり、クルクル回して、別のところから攻めてみたりと、遊ばせる余裕があること。

本当にクリエィティブな人は、たぶん、常時、自分のやっていることを手放し続ける人なんだって思う。なぜ手放すかというと、なんであれ、エゴとしての私がやるものではない、すべてのものとの共同作業の中で、たとえば木の実がなるように自ずと「なる」ものだって思っているから。

たとえ文章を書くような一人でやる仕事でも、実は共同作業。何かうまく書けた時は、家族やパートナーなど身近な人たちとの関係がうまくいっていて、情緒的に安定していたり、たまたま今朝目にとまった雑誌記事にインスパイアされていたり、うまく書けたら、助けることができるかもしれないAさんみたいな人たちのことなど、無数のものが肩を押してくれていてはじめてできたってことに、気づかされたりする。そういうふうに考えていったら、やっぱり共同作業だってつくづく思う。だから、何か少しでもうまくいくと、湧いてくるのは感謝の念ばかり。うまくいけばいくほど、自分で書いたなんて、とても僭越なこと言えないってきがしてくる。

そんな中、エゴとしての私がやらなきゃいけないのは、「書けなかったらどうしよう」とか、「認められたい」などといった、焦る気持ち、コントロールしたい気持ちをとにかく黙らせること。つまりすべてを真面目に取らないこと。いつでも降りれる、「うまくいかなくても少なくとも死にはしないんだから」とかる〜く考えること。

その代わり、仕事に関わる全てに、愛をたっぷりそそぐこと。それから、観察を怠らないこと。その全体が調和をたたえるように、なるだけ包括的な視点で見て調和をたたえるように、見晴らしながら、丁寧に、丁寧にやること。

ただ、それができるためには、外でどんな嵐が進行中でも泰然自若としているような、気持ちの余裕がいる。つまり、重要なのは仕事自体ではなく、仕事をする私の気持ちをととのえておくことなんだってくづく思う。ほとんどの人は、仕事自体に巻き込まれている時間よりも、自分自身のメンテナンスをする時間をもっとしっかりとることが、もっと必要なんじゃないかと見ている。

より包括的な視点で見るサポートも仕事の一部

なるだけ包括的な視点で・・・というのは、調和といっても、どこを基準にするかで、短期的、短絡的なものになったり、特定グループ、仲間内だけが満足しているものになったりしがちだから。たとえば自然災害の中には、地球全体の自浄作用や、生態系のバランス回復のために必要なものもある。もちろんそこに住んでいる人には悲劇だけれど。それも含めて、そんなところに永続的な所帯を構えるのはよそうとか、もっと身軽に、ノマド的に生きようというふうに、私たち自身の生き方の転換をせまっていると、とることだってできる。どこに視点をおくかで、全然見え方もかわってくる。小さな視点でみると耳が痛いことを言ったり、不和を招くことでも、包括的にみれば必要なこともたくさんある。

でもそれが本当にできるためには、日和見主義や承認欲といったエゴとしての私の栄養源をいつでもあっさり断ち切れる用意も必要だ。

けれど、それとは全く別の次元で、荒治療が必要な人たちにたっぷりの思いやりや愛情を注げなきゃいけない。というのも、短期的視野から長期的視野へ、狭窄的な視点から包括的な視点へ移行するには、不安やおそれをたくさん手放さなければならず、それには、それだけたっぷりの愛情の支えがいるからだ。あなたは一人ではない、必要なものも、助けもふんだんに与えられるから、大丈夫だよと見守ることで、世界に対する、人生に対する信頼感を回復してもらうこと。それは心を癒すプロセスであると同時に、癒された人は、それまでよりずっと持続可能な生き方を始めることから、世界を内側から変えていく効力もたっぷり持っている。そういう意味をこめて、これを私は「歓待の政治学」と呼んでいる。

こんな離れ業ができるようになるためにも、必要なのは、愛そのものになること。それ以外、たとえば、安心できないもの、何か欠如感をいだかせるものなどが、自分の中に少しでも見つかったら、それを真面目に取らず、自由に遊ばせ、ゆるすことで、ふたたび愛いっぱい、よろこびいっぱいのふわっとした膨張感だけがそこにある状態をとりもどす。そうやって生きていけたらって思ってる。

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