奇跡のコース

親の小言をかわすコツ ジャッジメントしないことで、愛の空間をひらく

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人間関係の確執を修復するときに、一つ役にたつかなと思われるのは、そこに取引があったって認めること(というのも、それがたいていの確執の元だから)。取引内容はどんなものだったかを検討することだろう。

私は親にいつも、リターンのない不当投資だったと小言を言われる。ずいぶん教育費をかけたのに、何にも見返りがない。物理的な見返りがないのは、諦めかけたところに、私が仕事も辞め、社会的地位も捨てたもんだから、「自慢の娘」的な精神的な見返りも失われた・・・といった具合。

これだけ犠牲を払ったんだから、期待に答えてよ・・・人間関係にみられる取引の典型だっていえる。私にとっても耳に痛い話だけど、取引につきものの暴力が、いろんな方向に向けられているのを見逃すわけにはいかないなとも思う。

まず、自分に対する暴力。いいものを得るためには、犠牲を払わなきゃいけない。苦労してこそ報われる。いろんなバージョンがあるけれど、勤勉実直、真面目な人たちの固定観念になってる。

その奥には、このまんまの自分が、「今、ここ」で、完璧な幸せを感じることはできないんだという不全感。どこか欠けたところのある感じ。これが抜けきらないと、努力が報われ達成感味わわれても、それをしっかり楽しむ前に、また「今」を犠牲にした奮闘に入り・・・・と目の前にぶら下げられた人参を追って走り続ける馬状態に陥ってしまう。社会システムも、この不全感をうまく利用して利潤をあげようとするものだから、この傾向、どんどんエスカレートせざるを得ない。家族のしあわせのために働きながら、家族と一緒にいる時間さえないみたいな・・・・

そんな苦労性の人への処方箋は、やっぱりたっぷりの愛。今、ここで幸せになっていいんだよ。もっと自分をあまやかせていいんだよって心底、思ってもらうこと。一緒にいること。本当の意味で一緒にいること、それしかないんじゃないかな。

本当の意味で一緒にいるというのは、たとえば私と母親との間に、もくもくとたちこめた、恨みつらみの記憶の暗雲をかきわけかきわけ、その影響が及ばない青空の下で、一緒にいるということ。

母に対して、「あなたが本当は誰なのか、私には分からない」って思うほど、何もかも忘れて、ジャッジメント、決めつけ抜きのまっさらな心の状態でいっしょにいること。

すると自然に、そこに愛が満ちてくる。自分の望みを相手に叶えてもらう、取引の愛とは、まったく別の、人と一緒にいるところ、いつもいつも、ただそこにある存在としての愛。相手を別段喜ばせようとしなくても、愛されようと奮闘しなくてもいい。むしろ、何にもしないで、ただ一緒にいることで、あたり一面に広がって、しみじみ感じられるような、その場を満たす雰囲気、空気感として感じられる愛だ。

ジャッジメントの保留が愛の空間をひらく

「分からない」なんていうと、「あの人は知らないんだ」とネガティブのとられたり、「これから学んで、いくんだな」と、未熟者あつかいにされることが多い。

でも、人やものを育て、育む現場では、「分からない」感覚こそ、すべてのはじまり。本当の愛は、分からない感覚から始まるんじゃないかって思うくらいだ。

喧嘩をしていたり、緊張状態にある人たちのところに、ヒョンと現れた第三者が、雰囲気をさっとやわらげることがよくある。これもその人のまったく「事情を知らない」視点のおかげ。そのまっさらな目が,暗雲のようにもくもくとそこに立ちこめた記憶、しがらみ、恨みつらみを、さっとふりはらって、場を清めてくれる。それこそ、救済者だ!

「救済する」なんて言うと、スーパーマンみたいな、何でも知ってて何でもできる全能のヒーローみたいな人がやってきて、悪をやっつけ、いいことをしてくれる様子を思い浮かべる。けれど、本当に救う人というのは、何も知らない人。いつも、まっさらな目で、見れる人。まさにそのことによって、何にもしないのに、すべてを一変させる(世界の見方が変わるわけだから)じゃないかな。たとえば、ドストエフスキーが描く『白痴』のような人。情報過多の時代だからこそ、「事情を知らない」、あるいは「忘れれる」ことが真の強みになるようになるかも。『奇跡のコース』を学び始めたばかりの時、「ジャッジメントしないだけで、世界を救済できるなんて、大袈裟な!」って思ったものだけど。今なら本当にそうだって思う。人や場所やものを、ジャッジメントの拘束衣から解放して、ふっと深呼吸。ふたたび生き生きと息づけるようにして、その思わぬ可能性、美しさをあらわにできるようにすること。つまり記憶による「きめつけ」の暗雲の合間から、晴れた青空が顔をのぞかせる。そんな箇所を一つ、また一つとつくりあげ、見とどけていくこと。

もちろん、単に「分からない」「理解できない」というのは拒絶の身振り。一体感を強めながら、不思議さ、驚異の念、センス・オブ・ワンダーを深めていくような「分からなさ」。それは、相手の可能性を引き出し、育て、救い出す。「何だか分からない。でも、大好き」とか、「わけわからないけれど、おもしろいことになりそうだ」とか。たとえば成長中の子供に対して、生まれたばかりのビジネスやプロジェクトを、いつもそんなふうに見守れたら、のびのび成長して、本当におもしろいものになるのでは。

可愛い子ほど、愛情はすべて、自由に立ち回れる状況、環境、チャンスづくりに集中させて、あとは身を引く。干渉しない。英語でholding a spaceって言葉がありますよね。コントロールどころか、ジャッジメントもしないで、相手が自由にたちまわれる空間をつくる。

すると本当に面白いことを始めたりするから、不思議。

ジャッジメントや決めつけ、心配からの過干渉は、目に見えない拘束衣のようなものだものね。それを対象になってる相手も解放されて、ふっと呼吸し、息づきはじめるってことでもある。そうして、自分の奥の奥にある秘密、無限の可能性をあらわにしはじめる。発見の契機にもなる。

たとえば、私は田舎暮らしをはじめてかれこれ三年になる。けれど、いわゆる田舎をおもしろくするのに、移住者、とくに外国人が果たす役割には目覚ましいものがあるって、思ってる。「何にも事情を知らないくせに」と、ずっとそこに住んできた地元先住者と葛藤がはじまることもある。けれど、まさに「知らない」ことこそ、移住者の強みなのではないかな?

「知っている」視点はこれに対して、ジャッジメント、決めつけでいっぱいになりがち。「どうせ・・・」、「こんなもの・・・」「何の役にもたたないでしょ」などなど。見慣れたものを、見慣れたようにしか見ることができない。分厚い記憶と習慣の色眼鏡を通してしか、見てないってこと。

でも、どこからかふらりと現れた新参者は、ここに何があるのか、全然、「知らない」。そんなまっさらな目だからこそ、すべて「知ってる」と思ってる人には見えないその場所の思いもかけぬ良さや、美しさ、可能性が見えてくる。

田舎の風景や自然も、何にも知らない、赤ちゃんみたいなまっさらな視点が大好き。喜んでその魅力を、秘密を、打ち明けるようにみえる。移住者の人たちは、実際、そこにあるものを生かした場所やものをつくるのが、とても上手だ。

もちろん、長年、代々そこに住んでこそ見えるものもある。そこに初めて来ながら、別のところで育んできたジャッジメントをそのまま総動員という人もいる。

それに、「事情を知らない」ことがプラスになるとも限らない。「事情」の中には、単なる「しがらみ」「因習」のほか、たとえば里山の持続可能な管理のためだったりと、ちゃんとした理由があって引き継がれているものもたくさんあるのだから。

地元の人vs.移住者の間の政治的な論争など始める気は全然ない。「分からない」からこそ、分かるものがあるってことをお伝えしたかっただけ。

親とのたたかい、ふたたび

話を元に戻そう。自分を犠牲にして、いつもいつも、苦労を背負いこみ、人に尽くそうとする。だからこそ、無意識のうちに「見返り」をうんと期待していて、それが得られないと小言を言う。そんな親に、自分にこれ以上暴力を向けて、ますます苦労をしょいこんだり、必要以上に「尽くし」たりしないように仕向けるには、どうすればいいかと言う話をしていたのだった。ジャッジメント、決めつけをしないまっさらな目で、記憶の暗雲がかからない青空を開きながら、その中で相手を見ること。そこで、一緒にぽかぽかとひなたぼっこをするように、本当の意味で一緒にいる。そうすることで、存在としての愛が、じわじわ、静かに満ち渡る空間を開くこと・・・ポイントは、全てを忘れて、相手が誰かも忘れるほどにまっさらな目で母と出会う、それ以外に何もしないということだろう。たとえば彼女をよろこばせるために、ことさら何かプレゼントをするなんてことは、とくにやらない。なぜかというと、取引関係の中に舞い戻ってしまう危険があるから。たとえば、「遺産配分を決めるとき、この時のことを思い出してね」みたいなメッセージになりかねない。愛と信頼がしっかり満ちわたって、何をやっても、それは無条件のギフトだって、互いに受け取れるようになるまで、それは控えておきたいって思う。

相手が自己評価を上げて(そのままで十分、幸せになれる価値がある、自分をもっと甘やかせてあげて)、自分自身に暴力をふるって、犠牲や苦労を背負いこむのをやめさせるのは、そんなに対して難しいことではない。

一番難しいのは、私に対する暴力、攻撃(に見えるもの)を見過ごすことだった。

人間関係の中に取引の思考を持ちこむとき、自己犠牲というかたちの自分に向けられた暴力と対をなすかたちで必ず見られるのが、相手に向けられた暴力だ。これは、期待を裏切るまで、潜伏して見えないことが多い。それまで相手は自分にひたすら犠牲を払い、尽くしてくれているように見える。そうしながら、「期待」の鋳型に相手を当てはめようとしているというわけ。だから、機が満ちても、注文通りのかたちで、相手が報いてくれないと、払った代償が大きければ大きいほど、失望も大きくなる。

親不孝な私は、何一つ相手の「期待」に答えなかったわけで、だからこそ、今、小言の集中砲火を受けてるわけだけれどね。期待にあわせるのも、きりがない。

たとえば、久しぶりに実家に帰るとき、どんな姿で彼女の前に現れても、彼女の中にある私のイメージからするとゆるしがたいようで、あれこれと難癖がはじまる。話し方がおかしい、礼儀をわきまえていない・・・とにかくそれが無限に続く。最初は、実家に戻る前は美容院に行ったりなど気遣っていたけど、髪型に難癖のつけようがなければ、今度は服装を非難しはじめるというように、本当にきりがない。どうやらそういう問題でもなさそうだ。

それに、仮に、相手が注文した通りの人生を送ることができたとしても、そうすると、今度は、自分自身に対して大変な暴力を払うことになったはず。そこで溜まった暴力は、またどこかに捌け口を求めていったかもしれない。たとえば配偶者や子供に、本当は自分がやりたかったことをさせようとしたり、あるいは自分の身体にかかえこんで、大病をしたりしていたかもしれない。だから言いようによっては、親の「期待」に全然答えず、好きなように人生を生きてる私は、暴力の連鎖をそこで止めたともいえる。

とはいっても、あまりにあまりの裏切りに耐え続けた親としても大変だったと思う。その何十年も溜まるに溜まったそちらの言い分を、数日間で、圧縮して、聞かされ続けた私の方も、本当に参ってしまった。

一つ固く心に決めていたのは、自己弁明しないこと。言い返さないこと。で全部一方的に呑みこんだせいで、体調を壊して、3日ほど寝こんでしまったほどだ。

途中で気づいたのは、バカに徹しきるのが一番だなってこと。私は何も知らない。分からない。愛以外は何も見えない。何十年も前に、赤ちゃんとしてこの家に生まれた時のように。そうすると、どんなに罵詈雑言を尽くしていても、その小言の底に、通奏低音のように、愛を求める叫び、それだけが響いているのが聞こえてきて・・・それをしっかり聞き届けるようにすると、だんだん小言は引いていった。

よく、無条件の愛、なんていうけど、それは意図して、努力してやるものではない。何にもしなくても、なんにもしないからこそ、いつでもどこでも、そこにある空気みたいなものだって思う。記憶や思いこみ、決めつけの暗雲がそれを隠しているだけ。この雲を払えば、あとは何にもしなくても、自ずと顔をのぞかせる。雲の奥にはいつもお日様が輝いてるみたいに。

というわけで、めでたく親とも仲直り。数日後の出発までの間、今、力をいれているのは、何年後になるかわからないけれど(どちらも、80代にさしかかっているとはいえ、とくに何の病気もないので)、親が亡くなった時のための心の準備を私の方でしておくこと。たましいの中での一体感をかみしめるように、一緒にいること。実家の建物も、継ぐ人がいないので、なくなるか他の人の手に渡る可能性が高いので、この場所にも一応、別れを告げておく。物質としては朽ちても破壊されないたましいレベルでの絆をたしかめて、感謝のシャワーを浴びせて・・・

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