奇跡のコース

非二元的な感覚を身につければシンプル、瞬時に癒される

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2年前から、奇跡のコースの会を、オンラインで、隔週で開催させていただいてきました。

その特徴として、まずあげられるのは、

1、内容を体験してもらうことに何より重きを置いたこと。

たとえば、そこに書かれている内容を、体験に落としこめるように、

毎回、「おすすめワーク」いくつか提案して、

次の学習会まで、やってもらうようにおすすめしたりしました。

それと、もう一つ、私自身、コースと並んで、これまで深く関わってきた、

2、非二元的な感覚を大切にすること

にも重きを置こうとしています。

この二つのコンビネーションは、最強なところがあって、

実際、癒しがみるみる進んだ方も、多いです。

でも、非二元的な感覚って何でしょう?

あれこれ言葉で説明するより、体験してもらった方が早いので、

まずは、ちょっとした実験というか、誘導瞑想につきあってください。

非二元的な感覚を実感するための実験

なんでもいいので、手で、触ってみてください。

目を瞑って、ただ、どう感じられるか・・・それだけにフォーカスしてください。

たった一つの触覚、たった一つのヴァイブレーションがありますよね?

この触覚のバイブレーションと、あなたの手を、区別できますか?

この触覚のバイブレーションと、あなたの触ってるもの(たとえば机)を区別できますか?

「手」が「机」を「触る」と言うバラバラなパーツに分かれた世界があるというより、

ただ、「触る」というたった一つのバイブレーションだけがある!

って感じられませんか?

このヴァイブレーションを、感じてるのは誰でしょう?

ただ、たった一つの空間がどこまでも広がっていて、

その空間の上に、

~まるで、静かな水面にさざなみが広がるように~

この触覚のバイブレーションが浮かんでるって、感じられませんか?

そこに「私」や「机」の存在が感じられるでしょうか? 

空間の中にただぽっかり浮かんでる、このバイブレーションの中にスッと入って、その中に安らい、休んでみましょう。

空っぽじゃないでしょうか?そこには絶対的な静けさ、安らかさがないでしょうか?

この空っぽさの中にゆっくり休んでから、今度はそこから出て、

広がる空間の中に、触覚ヴァイブレーションが、水面の上のさざなみのように感じられる意識に戻ってみましょう。

そこから、ゆっくり目を開けてみましょう。

「私」のものとされる「手」が、「机」というものを、「触って」いる絵が見えますが、

そこにリアリティが、感じられます?

リアリティ、つまり「実相」は、ただ、

たった一つの触覚のさざなみが、たった一つの静かな気づきの空間の中に立っていること、

もっと言うと、

このさざなみにフォーカスして、

その中に入っていくと、

そこには、ただただ空っぽの静けさがあること、

そちらの方に感じられるって思いませんか?

ここまできたところで、非二元的な感覚と癒しがどう結びつくのでしょう?

私なりにまとめさせてください。

たとえば、「どうしても、この人の、ここが気になる!」という時、

そこから、ストーリーを外し、目を瞑って、眼に見えるものも忘れて、

「どう感じるか」だけにフォーカスしてください・・・

といつも言っていますよね。

どうしてそう言うのかというと、その際、

「私」(つまり、他の人と区別される私、たとえば、こんな生い立ち、ヒストリーを背負い、こうした性格をしていて・・・)が、

「この人(同じく、他の人と区別されるこの人)」の、

「ここ」(つまり、全体から切り離せる、現実の特定の部分)が、

気になる・・・

とバラバラなパーツからなる世界を見ている限り、

癒しはなかなか始まらないからです。

その代わり、

そこから、ストーリーを外し、目を瞑って、目に見えるものもすべて忘れて、

この瞬間に「ただ、どう感じるか」、

そこで直接体験されることだけにフォーカスすると、

ただ、

「気になる・・・」がある!

「気になる!」という、たった一つのヴァイブレーションが

無限に広がる、たった一つの実相の空間の中に、波立ってる!

ということがわかります。

さっきの触覚バイブレーションと同じ。もちろん振動数などは、ずいぶん違うかもしれませんが、基本的に同じだっていえます。

そんなふうに見ることができると、とても話がはやい!

一瞬で、すうっと癒されます。

でも、それは別に、特別な思考でも、抽象的でもなんでもなく、

今、この瞬間に、ありのままの体験をありのままに感じることに過ぎないんですね。

今この瞬間に、直接体験されるのは、いつも、たった一つのヴァイブレーションです。

そこに、「今、この瞬間」以外からくるストーリーをあれこれつけて、さっきもお話ししましたが・・・

たとえば、

「私」(つまり、他の人と区別される私、たとえば、こんな生い立ち、ヒストリーを背負い、こうした性格をしていて・・・)が、

「この人(同じく、他の人と区別されるこの人)」の、

「ここ」(つまり、全体から切り離せる、現実の特定の部分)が、

気になる・・・

とバラバラなパーツからなる世界を見ていると、

だから私(この人・・・)って、だめなんだ・・・

こんなことになったのも、もとはとえば昔、こんなことがあったから・・・

などなど、癒さなければならないことが、たちまちのうちに増殖して、収集不可能になってしまいます。

というのも、信念は、それを真に受けて、それについて思い悩むたびに、ますます強固に固まってしまうからです。

投影は、反応すれば反応するほど強まって、リアルに見えてくるからです。

ここのところで、ひっかかって、ぐるぐる空回りしている人、思いの外、多い気がします。

この増殖プロセスを、ぜひ、逆回しにして、どんどん取り消し、シンプルなところに抜けていくためにも、

いつもいつも、たった一つの、ありのままの体験だけを見る

非二元の感覚、大切にしていきたいです。

私たちのコースの会にご興味ある方は、堀田 makikohorita*gmail.com (*に@を入れる)まで連絡ください。

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