奇跡のコース

年末年始の家族といる時間は、とっておきの「ゆるしのリトリート」

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私たちの読書会の中でよく聞くシェアに、

よその人といるときには、穏やかで、愛にあふれて接することができるようになったのに、

家族だけはダメ。腹が立つこと、感情的になってしまうことが、まだよくあります・・・

というのがあります。

なぜそうなのでしょうか? 「特別性」がそれだけ強いからです。

「特別性」なんて言うと、コースのテキストを読み込んでいないとわからない方もいらっしゃると思うので、別の言葉で言わせていただくと、

幸せに関して、その人に対して、強く依存してしまってるからです。

「この人に幸せにしてもらうんだ」って、「この人との関係で、幸せになるんだ」って、暗黙のうちに決めてかかってるからです。

自分が元々抱いている、欠如感、無価値観を埋めるために、その人を利用している。

その度合いが強い、ってことでもあります。

たとえば、自慢できる息子、娘であって欲しい・・・って思っていするなど、その一例ですね。

ということは、「この人」に幸せにしてもらうために、

「この人はこうでなければ、ああでなければ・・・」、

「私たちの関係はこうでなければ、ああでなければ・・・」

と、期待していることも山ほどある。

たくさん期待していればいるほど、

それを裏切られる可能性も高いし、

裏切られた時の幻滅も深くなります。

その人を利用して、

その人が、「自分の期待通りの人」でいてくれることで隠そうとしてた、

自分の欠如感、無価値観が、行き場を失って、どっと溢れ出てしまうから。

苦しみもひとしおなわけです!

でも、だからこそ、癒しのチャンスなんですね!

年末大掃除の時に、普段、動かすことのない家具を動かして、その奥に隠れていた埃の量に仰天するのに似てます!

でもその時、そこで、どっと溢れてきた感情を、すかさず、さっさっと、お掃除すれば、さくさく、癒しがすすみます。

難しいこと書いてしまいましたが、やることは、いつもシンプルです。

体験からストーリーを外して、今この瞬間に直接感じられることだけにして、

そこにある、ありのままの感じを、感じる。

それだけです。

今この瞬間で、時間をスパッと輪切りにして、そこで止まる。

未来にも過去にも一切行かずに、正確に今の中だけにいる。それがコツです。

本当に「今」から一歩も出ないで、じっとすることができたら、

そうするだけで、自動的に、癒しの力がどっと溢れてくるはず。

聖霊を呼ぶまでもなく、そこには聖霊しかいないのがわかります。

聖なる瞬間です! 

今この瞬間、直接体験されるものだけ残して、

そこにあるものを、医者がCTスキャンで患者の身体をスキャンするように、

淡々と、ありのままに、さっとスキャンしてみてください。

何にもしないで、ただそこにある感情のありのままを、ただ見ただけなのに、どんどん楽になっていくのに気づいて、びっくりされるかもしれません。

何度も、これをやって思うのは、本当に、「今、この瞬間」には、癒しの力しかないことですね。

たとえどんなに激しい感情の嵐が吹き荒れていても、一瞬でなだめてしまうほどの癒しの力です。

なのになぜ、みんなそれにありつけないのか?

自分で何とかしようとして、動いてしまうからなんですね!

今、この瞬間に立ち止まって、そこから一歩も出ず、

ただ、そこにあるものを、

いいも悪いもなく(過去を参照しないと、それもわからないはず)

ただ淡々と感じていると、

瞬時に全てが愛の中に溶け始めます。

ふっと心が楽になるのでわかると思います。

それを感じ始めたら、蛇の抜け殻のように、心を空っぽにしてみてください。

そして、癒しの力に、たっぷり、入ってもらってください。

今から一歩も出ない。自分で何もやろうとしない・・・

そこを徹底させるために、去年の体験的ACIM学習会では、この瞬間の自分の体験を額縁で括ってそれが絵になったと想像する、「額縁ワーク」おすすめしました。

絵になったものは変えようがありませんから。

「そのイメージ、役に立つかも!」ってインスピレーションある方は、ぜひ、試してみてください。

出口はいつも、「自分で何とかしよう」「変えよう」とするところではなく、

ただ、今、この瞬間の、ありのままの自分の中でじっとしている・・・・その中にあります。

どれだけ正確に、「今この瞬間」でじっとできるか、そこに全てがかかってます。

といっても、うまくいかな・・・

ストーリーの中にどうしても引き摺り込まれてしまって、なかなか、今、この瞬間に直接体験される感情だけ残せないという方がいらしたら、

心の動揺のもとになる「その人」に対して、自分が期待していたことを、ノートにリストアップされる作業も、おすすめです。

心動揺するたびに、「では、この人が、どうしてくれたら、自分は満足できただろうか? ハッピーでいれただろうか?」って、自問自答してみると、いいかもしれません。

すると自然に、自分がその人に「期待」してたことのリスト、できるはず。

実はこのリストこそ、この人との人間関係をこじらせて、

今のように心の動揺の元にしてる犯人なのです。

この「期待」のリストのボリュームが大きければ大きいほど

その人との関係は、不安定になり、激戦の戦場になります。

このリストを手放せば手放すほど、この人との関係、愛に溢れた、穏やかなものになります。

そんなに親しくない人、初対面にはには、思いっきり優しくできるし、愛もいっぱい感じられるのに、

家族や近親者には、同じことがなかなかできないのはなぜか?その理由は、実はここにあったんですね。

親しくない人、初めて会った人に、私たちは、この「期待」のリスト、ほとんど、持っていないから。あったとしても、これほどのボリュームがないからです。

ただ、このリストだけが、相手に対して愛いっぱいでいることを阻んでいるんですよ!

とはいえ、このリストに書かれたことを、それをジャッジや自責のネタにしたり、

そこにあることを抹殺することを「努力目標」として掲げたりは、しないでください。

癒しのプロセスをエゴに乗っ取られてしまいます。堂々巡りに入っていまします。

リストができたら、ただ、それを、認めてあげるだけで、OK

ジャッジするよりも、いたわりながら、見ていけると、いいかもしれません。

こんなことを期待しては、幻滅して傷つきながらを繰り返して、

私これまで生きてきたんだ。そうやって分離の辛さを、なんとかまぎらわそうとして、頑張ってきたんだ

ご苦労様・・・とまずはねぎらってあげましょう。

あるいは、口角を上げて、にっこりしながら、あら、私、こんな期待、抱いてたんだ・・・

これはびっくり! などと、ユーモラスに見ていくのも、いいですね!

と同時に、この「期待」の奥に、これまで隠してきた分離の感情が溢れてくるかもしれません。

なんでこんなにたくさんの「期待」を、この人に対して抱いてしまってたのか、

自分が抱えた分離の感情、無価値観や寂しさなどを、なんとか紛らわし、隠すためだったんですね。隠してくれてるものがなくなると、当然、奥にあるものが顕になります。

大掃除の時に、家具を動かした時に、その奥に溜まったゴミがどっと出てくるのと同じで、とてもいいこと。これを機会に、隠すのはやめて、癒してしまいましょう。

お話ししたように、そこからストーリーを外して、今、この瞬間に感じられることだけ、ぐっと感じながら、

そこに溢れている聖霊の癒しの力にゆだね、溶かし込んでいくようにすればいいだけです。

あるいは、温泉ワークすればいいだけです!

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