体験的ACIM学習会

深く癒されるためには、思いっきり苦しむ必要があるのか? 〜「泥くらわば皿まで」アプローチについて 

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今月末に予定している東京でのリアルの会で、何を一番伝えたいか、ネタバレになってしまいますが、参加しない人のためにも、ちょっとお話しさせてください。

探索癖にとにかくストップをかけることです。探索癖って、「これではなく、あれ」って形をとります。今、あるものに不満、別のものが欲しい。いろいろ試して、最高のものを、手に入れたい、体験したい。

私も、10年近く住んでいたのでわかるのですが、東京、あるいは広く首都圏にいると、あらゆる情報、あらゆるチャンスが溢れていますよね。もちろん、それ自体、すばらしいことです。私自身、吸収力旺盛だった20代のほとんどを、東京で過ごせたのは、最高の恵みだったって思ってます!

ただ、その反面、この「探索癖」を助長する誘惑も、あふれてます!

なぜそこが、問題なのか。エゴってまさに、これでできているからです。

もちろん、生きていく上で必要なものでもあります。

でも、こと癒しにかけて、この癖がでてくると、目的地には決して行き着けなくなります。癒しのプロセスが、エゴにハイジャックされてしまった、その兆候なので!

探索癖って、いろんな微妙な形ででますよね。

たとえば、学習会でシェアされているこのワーク、どうも効かないぞ、どこかにもっといいものがあるはずだと、他のところ探そうと、ビデオや本を探すとか。首都圏に住んでると、リアルで探索されるチャンスにもこと欠きませんよね(笑 もちろん、そうしちゃいけないと言っているのではないです 笑 導きを感じるのであれば、ぜひ! 「探索癖が出てるかも?」というのに、警戒してほしいだけです)。

「では、探索癖で動いている時と導きで動いてる時はどう違うのか?」って思われるかもしれませんね。

「導き」で動いている時は、現れること、起こることに対して、ただあるがままであるのをゆるす、サレンダーの感覚があります。
「嫌だ」って思えるものが現れても、「何か意味があるのだろう」「何のレッスンなのかな?」と、贈り物として受け取る感覚があります。あるいは、「聖霊(本源、本当の私・・・)は何を言いたいのだろう?」と対話してる感覚があります。

探索癖で動いている時は、そこに、自分や周りに、不十分さ、欠如を見る感覚、つまり、不満や焦り、おそれがじわっと隠れてます。

探索癖にハイジャックされたと気づいた時、抜け出る方法は、シンプルです。

探索癖は、「これではなく、あれ」「Aではなく、B」という形をとりますが、それを、
「どこまでもA」、「嫌というほど、これ」にするだけ。「泥食らわば、皿まで」をやるんですね。毒を持って毒を制すホメオパシーの原理を使うといってもいいのかな?

簡単な実験で、その有効性、確かめることできます。よかったら、今、ここで試してみましょう。

***簡単なワーク3種***

緊張しているときに、「リラックスしてください」といっても、難しいです。

今この瞬間、「リラックスしてください」と言われても、「リラックスしよう」って、逆に「力を入れて」しまいがちです。

でも、「うーんと緊張して、身体中に、ぎゅーっと力を入れてみましょう。これ以上力が入らないくらいに!」ってやってから、
「その力を抜いてください」というと、そのまますーっと抜けますよね。

では、今度は、身体をさっとスキャンして、特に緊張、凝りがあるところを見つけてみましょう。
その緊張を今度はモノマネするように、ことさら、引き受けて、大袈裟にやってみましょう。
これ以上力入らないぞってところまで来たら、その力をそのまま抜いてみてください。

楽になる感じ、ありますよね。ピンポイントの「癒し」を意識してやるときには有効な方法だと思います。

同じことを心でやると、お馴染みのワークになります。

では今度は、今何か、気になること、一つ取り上げてみてください。
その中にある「不快な感じ」そのものを、直接体験としてぐーっと感じてみましょう。
なぜそんな不快なのか、その原因、ストーリーも忘れてしまうくらい、生の感覚をただ感じてみてください。
不快さピークに達したところで、すーっと力を抜きながら、安らぎがどんどん増す方向へと、降りていきましょう。

悟り、あるいは覚醒を目指しながら、私たちがいつも、癒しばかりやってるのは、「どこまでもA」「いやというほど、これ」を貫くためだったのですね! というのも、直接、「悟り」「覚醒」を目指そうとすると、エゴの探索行為の「AではなくBを!」のロジックの中にはまってしまうからです。

よく、覚醒への大きなジャンプを成し遂げた人って、ものすごい不幸や苦しみや、死ぬ思い、臨死体験までしてる人が多いって、ありますよね。

確かに、その通りです。2/3くらいは、その口だって、言われてます。でも、なぜそうなのでしょう? 

人生体験の全体というもっと大きなスケールで、「どこまでもA」っていうのをやってきたからなんですよ。

といっても、このAのスケールも大きくて、エゴが作った世界全体だったりします。

エゴが作った世界の中に見える、形あるもの全体を、その底の底まで舐め尽くして、「ここには何にもないぞ!」というのが、骨身に染みてわかるところまでいったってことなのですね。

だから、そこからスーッと力を抜くと、逆方向にどーっと行けたってわけなのですね。

ただただ苦しい思いをされてきたわけなのですが、その全体が、知らず知らずのうちに、ホメオパシー療法みたいに働いてたってことなんですね。

どれほど多くの人が、どれだけ長い間、「今の自分に不満だから、楽になりたい、悟りたい」って思って、「AではなくBを」の探索癖の中で努力しながら、
エゴから出ようとすればするほどその支配下に落ちる蟻地獄でもがいているかを考えると、
この手の方は、ある意味、とても幸運だったって言えると思います。
「どこまでもAを」のモードの中に、期せずして入っちゃったわけですから!

親鸞が、「悪人正機説」で伝えようとしたのも、多分このあたりのことなんだと思います。
悪ではなく善を! といくら善人になろうと努力しても、探索癖の中から抜けれません。
逆に「自分は何て悪人なんだ!」と悪の底をきわめて、絶望するところに、逆方向へ抜ける抜け口があるってことですね。

こんな話をすると、
「恵まれてばかり、温室育ちで、苦労もほとんどしたことがない私には、悟りのチャンスはないんだ」なんて思っちゃいますよね。

あるいは、
「じゃあ、悟るために、破滅的な行動をして、不幸になろう!」
とさえ思ってしまうかもしれません。

「そんなこと、全然ないよ!」っていうために、学習会その他で、私、発信させていただいています。

一つ一つの小さなつまづき、心の動揺をのがさず、
投影のお芝居のストーリーで、ごまかさず、
微妙な探索癖や、気晴らし行為でまぎらわさず、

直接体験で、その不快感がピークになるところまで追い詰めて、
分離の傷の心の大穴が、ぽっくりと開いているところまで降りていくために使い尽くすぞ!

って決断すればいいわけです。

たとえば、先ほどの、学習会でシェアされているこのワーク、どうも効かないぞ、どこかにもっといいものがあるはずだと、他のところ探そうと、ビデオや本を探すとかし始めた話に戻りましょう。そこで、「探索癖が出てるかも?」って気づかれたとします。

その瞬間、探索する手を、一瞬ストップして、
ただ、自分自身の方に向き直って、「今、自分はどう感じるか」そこにある欠如感をグッと感じるわけですね。

そんな具合に、どんなに小さな心の動揺やいらだちの種も見逃さず、
そこに、「自分でどうにかしよう」としてやまない、執拗な心の動きを見て、
そこにこれまで学習会で学んだエゴのしくみも照らし合わせつつ・・・
エゴとしての自分がどれだけ無能で、何にもできないかを思い起こし、見透かして、
絶望を新たにするチャンスとして使い尽くせばいいだけです。

と同時に、安心して絶望できる場所を心に開いていくことも、肝心ですよね。
前回学習会で「赤ちゃん温泉」の話をしましたが、
「私は赤ちゃんで、何にもわかってません、できません」と開き直れば直るほど、
安らかさを感じる場所が、誰の心にもあります。

コースで聖霊と呼ばれていて、別に何と呼んでもいいと思うのですが、心の助け手と接触するための、スペースが、そこに開くんですね。そこが、安心して絶望できる場所です。

そこで、「もう私はどうしようもありません」と、絶望すればするほど、この助け手との睦み合いも深まることを、しっかり確認しながら進むことができるようになれば、もう、大丈夫です!

煉瓦や石を組んで作った、アーチを見たこと、ありますか? あれって、全てのパーツが、重力で、落下しようとする、まさにその力で、ふわっと、空に盛り上がる、天蓋状のフォームができるんですね。これって、エゴが「落ちる」ことで、聖霊に「支えられる」感覚にそっくりだって、見るたびに思います!

ただ、そうやって支えられるには、全てが、徹底的に落ちる必要、あるんですよ。

心を動揺させる出来事があるたびに、「こんなんじゃいけない」「別のものが欲しい」と思うよりも、

絶望して、「落ち切って」は、「支えられている」感じを再確認する

それを繰り返してみてください。

不幸なライフストーリーの持ち主が、知らず知らずのうちにやってきたことと同じことを、少しずつではありますが、意識的にやれるようになるって思ってます。

東京の会、あるいはこれからの学習会では、この「嫌というほどA」をのアプローチ、あらゆるつまづき、動揺、身体症状を、帰還のためのジャンプ台として使い尽くすってこと、やりたいですね。

そのために、みんなの知恵、経験も、結集できればって思ってます。

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