奇跡のコース

「その人」でなく、聖霊の方を向くことで、人間関係もおおらかになる! 

  • LINEで送る

今年に入ってから、主宰させていただいている体験的ACIM学習会、おかげさまで15回目が終わったところ。「特別の関係」のテーマに入りました!テキスト中程から後半まで続く一大テーマですね!

以下は、その導入としてお話しさせていただいたことです。ちょっとインスピレーションがあって、ここでもシェアしたくなりました。

愛されるには、ああでなければ、こうしなければ、そして、相手をなんとか喜ばせなきゃ・・・
でも、全然できていない、私は不十分・・・とやきもきしたり、
どうみても愛されていない、でも、なんとか引き止めたいと、犠牲者として苦しんでる自分の姿をアピールして、相手の罪悪感を煽りたてるような行動に出るなど、
エゴは、「愛」の美名の下、実質上、罪悪感を、人と人をつなげる接着剤として使います。

この話、あまりに「本当」すぎて、耳が痛い方も多いかもしれません(笑)。
私、これを散々やってきたな・・・と思いながら、コースがいうように、あえて、「罪悪感は愛とは何の関係もない」ことを認めるのは、勇気がいります。

とはいえ、大丈夫。人間関係で「動揺」するたびに、丁寧に癒していけば、
これまで、罪悪感と犠牲の苦しみがあったところが、それだけたくさんの「本当の愛」に着実に置き換えられていきますから!人間関係のお引越しプロジェクトのはじまりです。

そのためのワーク、一つご紹介させていただきたいと思います。
ここでご紹介しているのは、大雑把な見取り図です。その一例と考えて、自己流に効く方法を見つけ、アレンジしながら、実践していただけると、うれしいです。

基本がしっかりしていれば、徐々に効き目を発揮するはずです。

*****取り組みの基本****

1、動揺の原因になった「その人」や、「その状況」の方は,向かないこと。
特別の関係では、その都度、「この人こそが、私を愛の欠如の地獄から救い出してくれる」と思った「救世主役」をあてがわれた人がいます。だから、その人こそ、心の動揺の元に見えるのですが、それは、ハズレ。癒しの最中は、その人とのことは、とりあえず、忘れてしまってください。ただ、いま、この瞬間に感じられる不快な感覚にだけ、フォーカスすると、やりやすいかもしれません。

動揺の震源地はもっと深い。分離における愛の拒否と、そこからくる愛の欠如にあります。愛のつまった風船上にいるのに、瘤をつくって、愛の流入を拒絶してしまったことです。

2、というわけで、う〜んと正直になって、数多の防衛(強がりの仮面、特別の関係ではそれが強い可能性大)を突破して、心の奥にある「無条件の愛を求める叫び」に至ること。

3、それは、「神」にしか満たすことができない「大穴」であることを認める。
この「大穴」を、特別の関係の「救世主役」にあてがわれた人をはじめ、この世界に見える何かが満たしてくれると思ったエラーが、そもそも苦しみの始まりだったんだとはっきり認めます。この世界で出くわすどんな完璧な人も、この「穴」を満たすことはできません。

ビデオ中、ワークのはじめに、「では、その人がどうしてくれれば、自分は動揺せずに済んだか、想像してみましょう」とちょっと意地悪なことを言っているのは、この認識に至るためです。

4、「愛を求める叫び」がピークまで感じられたところで、力を抜きながら、それを聖霊(心の助け手、光・・・)に明け渡していきます。

明け渡しが完了して、聖霊のやさしさや光に包まれたら、しばらくそこにとどまってみてください。

「その人」や「問題に見える状況」に対して、どう振る舞えばいいのか、インスピレーションが得られるかもしれません。

*****ワークのあらまし******

まずは自分を動揺させる人、期待通りに動いてくれず、失望ばかりさせている人のことを思い描いてください。

その人が一体どうすれば、では私はハッピーになれるんだろう? 思い描いてみてください。結構非現実的だったり、子供っぽい望みだと思いませんか?

それって、本当に小さな馬鹿馬鹿しいこと、なぜこんなことで一喜一憂したり、気をもむ必要があるんだろうって思いませんか?

そこに投資してきた膨大なエネルギーを今こそ回収してください!

投影元だけを私は癒すことにします。
この件に関して、自分の中で感じられる痛みや不快感を、感じてあげてください。そこに、今、自分がどんなに瘤として縮みあがっているかを、瘤の感触の中に感じてください。

この不快感を野放しにしていると、投影が野放しになって、愛と憎しみの振り子運動が始まります。

相手に、自分を幸せにしてほしいと絶望的に願ってる。

反面、その気持ちが強ければ強いほど、いつも思い通りに、私を喜ばせるように動いてくれない相手に対する怒りが出てきたり、失望したり、傷ついたりしなくて済むための防衛として、ドアをピシャッと閉ざすように、わざと「私、あなたなんか、どうでもいいのよ」とわざと無関心を装ったり、冷酷さを装う防衛行動が出てきたりします。

愛と憎しみの間の振り子運動をしばらく感じてください。

この中に、とどまっていたいでしょうか?

もうこれは、後にしたいと決断できたら、その振り子運動の奥にある、
無条件の愛を求める叫びを、うんと素直になって取り出し、感じてみましょう。

愛されたいと言う思いをその激しさのままに正直に、真正面から感じてみましょう。相手とは全く無関係なものとして、深く感じることができればできるほど良いです。

それをそのまま、聖霊にゆだねていきましょう。

直接難しいかなと思ったら、まずは聖霊のモノマネをすることで、同調しやすい状態をつくるところからいきましょう。楽な感じが、自動操縦状態で広がってきたら、聖霊と合流した印なので、動き出したプロセスに、ただゆだねてください。以下はそのモノマネのための誘導です。

数多の防衛を突破して、自分の心にぽっかり空いた、大穴、愛を求める叫びを感じることができたでしょうか? 

その感じがピークまで感じたら、今度は、少しずつ力を緩めながら、それに対して、ありったけのやさしさで寄り添っていきます。わたしはこれがありのままであることをゆるします。何をする気もありません。ただそれをありったけのやさしさで包み込み、その奥の奥まで、このやさしさをしみこませていくだけです。

ただただ、感じられている通りに、やさしく、なぞってあげてください。

こんなふうに、抵抗をゼロに近づけるだけで癒しが完了する方もいらっしゃると思います。難しかったら、以下の「ソフトフォーカス」の実践も試みてください。

この感覚を、フォーカスを少しずつゆるめながら、これがなんなのかも、私にはさっぱりわからない・・・と定義したり、名付けたりする手もゆるめながら、少しずつ、距離をとって眺めてみましょう。「戦場をほんの少し上空より眺め見る」イメージで。楽な感じが広がってきたら、その感じにゆだねます。

必要を感じたら、またこの感覚と一体化しては、フォーカスをゆるめて、上空へとゆっくりと脱出することを、何度か繰り返されると良いと思います。

私はこの関係の被害者だというった、犠牲者意識が強い時は、

全ては私がつくりました。そこから、力と愛だけを取り戻したいと思います、きっぱり決断されるといいと思います。

この手のワークを、愛情関係のトラブルから、動揺が心に走るたびに実践されていると、その結果、どう見ても、不正に屈従する「負け犬」のように振る舞うことになるように見えることもあるかもしれません。

そんなときには、この「人間関係」のお引越しは、
本来、無限性にしか本当は満足できない無限の存在であるあなたの心の壮大さを、
卑小なわずかなもので満足しようとする自己欺瞞と、欲求不満の連鎖から救う、
力の奪回のプロジェクトでもあることを思い出してください。

そもそも世界の中にある、うつろいゆく、あてにならない、形あるものに自分の幸せがかかってると思ってそれに一喜一憂すること自体、自分を狭い狭い監獄に閉じ込めることだって、思えませんか?

分離に由来する愛の欠如が癒されるたびに、動揺の原因であるように見えた「その人」の姿も、やさしく目に映るようになってきます。

投影まみれの「その人」の影法師と格闘するより、ずっと、スムースで、効率のいい問題解決の道だってことも、やがて、きっと、わかります。

この4つの要素が入っていたら、どんな形をとられても、うまくいくと思います。

これを、人間関係で動揺するたびに、根気強く続けることで、もっとおおらかで動揺知らずの「聖なる関係」へと確実に突破していくこと。それが、人間関係のお引越しの概要です。

一番困難な、一番大切な人に対して、それができたら、誰とでもできるようになるというボーナスもつきます。どうぞ、あきらめないでください。

体験的ACIM学習会に興味のある方は、私、堀田真紀子(makikohorita*gmai.com *に@を入れる)まで、ご連絡ください。

  • LINEで送る