奇跡のコース

救いはあなたが何をするかにではなく、それをどんな視点で見るかにある

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私たちの学習会では、知らず知らずのうちに、自分を責めてしまう癖、セルフジャッジメントについて自覚的になることに、ちょっと力を入れていたのですが、

その後、について、いろんな方と話していて気づいたこと、あったので、シェアさせてください。

その中に潜む恐れに気づいて、ゆだねるという、
この間シェアした方法も有効だと思うのですが、

その前に、コース、非二元のティーチングの一番のポイント、

救いは、あなたが何をするか、何を体験するかには、何の関係もない。

ということを、本当に腑に落とすと、自然にセルフジャッジメントってなくなっていくな・・・と思いました。

たとえば、誰かにひどいことをしてしまった。ひどいことを言ってしまったとか、
私のビデオも見ていないし、おすすめワークも全然やっていない(笑 全然大丈夫!)。
何であれ、とにかく、自分を責めたくなったら、

あなたの救いは、あなたがなにをやるかとは、何の関係もない

ってこと、思い出してください。

重要なのは、

そうした一切を、どんな視点から、どんな心で体験するか、

それだけなんです。

どんなに惨めに自分が見えても、まったくOK

それを正しい心の状態、聖霊の視点で見るだけが私の仕事!ってわりきっちゃえばいいんです。

でその心の状態、視点とは、責めたりいっさいしない、
ありのままを、ゆるし、見守っている視点です。

だから、自分がやってしまったこと、やっていることで、
自分を責める必要は全然なくて、
そんな暇があったら、ただ、「視点」「視点」と思い出してください。
それは責めるどころか、とても優しい視点です。ありのままをゆるし見守っている視点です。

そちらの方へとなるだけ早くすべりこめるといいのですが、
それがなかなかできなくても、とにかく自分を責めないで
それがなかなかできない自分のありのままを、ゆるし、認めてあげてください。
すると、すべりこみやすくなります。

「え〜っ 自分が何をしても、どんなに大失敗しても、そのありのままをゆるしてもいいの?」 贖いのために自分を責めたりしなくていいの? という反論もきそうですね。

聖霊視点で、愛の視点で全てが見れるようになったこと自体が贖い、贖罪だって、思ってます。その視点で自然に思いつくこと、そこから生まれる行動全体が、自然に損なわれたものを補い、関係を再生させるように、導いてくれます!

状況も関係ない

もう一つ、どんな状況、どんな人の間にあなたが身をおいているかも、学習進歩とはあまり関係がなく、
たとえば、私のように田舎暮らしをすればいいとか、全然スピリチュアルなことに関心のない人に囲まれているので、学習しずらいということも、ないと思っています。

安らぎの源泉で繋がる時、どんな人も、全く同じなわけですから! どんな人も、同じように、同じだけ、救世主になってくれます。

この辺の様子、ルパートさんのスクリーンと映画の比喩わかりやすいです。
スクリーンは映画中、いつも、どこにでもあるんです。それどころか、唯一、いつも実在するもの。

ただそれが、映画の中にいつか、形あるモノや出来事として出てくると思うと、絶対見つけられない。

代わりにどんなとんでもないモノや出来事でもいいから、完全にゆるす、愛の視点からみることができると、いつでも、どこでも、どんな瞬間にも見つかる。

ただそれだけなんですね!

完璧性を求めてしまう罠

映画の主人公である私のボディマインドを、完璧にしなければ、救われないという罠に陥らないようにする必要もあります。

セルフジャッジメントの癖が強すぎて、ありのままを受容する聖霊の磁場に近づくことも叶わない。

そんな状態であるとき、そこから出る最初のキックを与えるために、セラピーが役立つお話しました。

でも、そこで、癒された味をしめてしまって、
もっともっと、全てのトラウマを手放して、条件付けを手放して、完全に浄化されなければいけない・・・と思ったら間違った方向に行っていまします。

あるいはコースのゆるしもそうですね。あらゆるエゴの信念を完全に手放せてない私は、まだまだ・・・と思ってしまうと、

「私はまだまだ」の欠如感から抜けれなくなってしまいます。・

というのも、「私はまだまだ浄化されなければならない」という前提そのものの中に、
「私はまだまだだ」という欠如感がすでに巣くっているので、
それを確かめることしかできなくなるんですね。つまりやってもやってもきりがなくなる。

それに気づいたら、
問題は「完全に浄化されること」ではなくて、「どんな状態であれ(たとえば全然浄化されていなくて、感情や身体的な不快感前回でも)、それをどんな視点、どんな心で見るか」なんだって思い出してください。

映画の主人公があらゆるトラウマと条件付けから解放されて、完璧になれば、幸せになるというドラマの中に救いを求めても、うまくいかないということです。

主人公は不完全なままで全く大丈夫。必要なのはそれをどの視点からながめるかです。

というわけで、何かしてしまったことで自分を責めたり、まだまだ浄化が足りないなどと思ったら、その度に笑って、「そう思ってる私って、かわいい!」といつくしんであげてください!

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