前回のメディテーションの会で、感情を含む思考を気づきに溶かすために、その時直接体験される身体感覚のみにフォーカスするワークをしました。それと似た方法をすでに実践していらっしゃる方から、それとどう違うのかみたいな質問をしていただいたので、そのお答え、ここでシェアさせてください。
そんなふうに、体感に集中する方法、いろいろありますよね。フォーカシングとか、そうですよね。前回はやりませんでしたが、私の出たルパートさんのリトリートでやったワークでは、何時間もかけて体感によりそっていくようなこともやりました。
実際、同じ原理を利用していますし、「同じと言っても、いいかな?」 と思うこともあるのですが、非二元でやるときは、「こうすれば、同じような感情に悩まされることはなくなる」とは、とくに保証していないんですよ。実際消えること、多いのですが・・・
なぜ保証していないかというと、多分、目標が違うからですね。
非二元、とくにルパートさんの前回のようなメディテーションでやるときの目標は、不快な感情を消すというより、そうしたものも含めて、全てが純粋な気づき、愛でできているのを見届けるためです。それで、嫌な感情がまた湧いてくることがあっても、「これも、愛しいあなたの現れのひとつなのね」といった気分でもてなせるようになるし、そうやってもてなせるようになると、気にならなくなります。消えていくかどうかは別として。
「消える」とか、「癒す」というと、時間が想定されるし、映画の主人公のストーリーの世界に出てしまいますよね。言い換えれば、エゴが、自分にとって望ましい結果を「得よう」とする。そんな世界に入ってしまいます。
それよりは日々是好日、映画の中の主人公としては、気分がいいときも、悪い時もあるけれど、その奥にある「スクリーン」はいつも同じように真っ白に輝いている。そこに心を置けば、いつも、ハッピー。そんな境地を目指すというわけです。
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人間関係でも、同じことが言えると思います。形として現れた関係が「こうなる」ことを目標にするという形では、非二元は、働きかけることはありません。
つまり、その人との間で「何かが起こる」のを目指すというより、
「何があろうと、大丈夫」。
そんな、揺るがぬ一体感を思い起こし、掘り起こし、自覚することを目指します。
それは、純粋な気づきという同じ本性、つまり「スクリーン」を分かち合っている自覚ですね。
でもそんな無条件の一体感を自覚しながら人と本当に一緒にいることができるようになると、それは、何らかの形で、それは映画のストーリーの中にも反映さされざるにはいられません!といってもどう反映されるかは、未知数ですが・・・私の経験から、悪いようにはならないことは、保証できます!
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非二元をやって私が得た一番の気づきは、真の幸福の源泉、スクリーンは、私たちの人生という映画には決して現れない。現れてもまがいものだって、受けいれちゃったことですね。
というわけで、一切抵抗するのをやめて、何かを探すのもやめて、あるがままをそのまま受け入れることにしました。
もし、受け入れられない思いが現れると、すべて純粋な気づきにゆだねることにしました。
変わりたい、癒されたいという気持ちも、忘れてしまいました。
すると意外なことに、そこに出口があることに気づきました。
何でも、抵抗をやめて、そこにあるがままにゆるしきりながら、気づいていると、輪郭が消えて、光だけ残ります。
それはいつでもそこにある世界で、失う危険もなければ、探す必要もありません。
非二元はワンネス、一元とはいわないのです。形の世界、線の時間の中に、そうしたものが現れた、あるいはいつか現れるというと、嘘になっちゃうので。
だから、「二つではない」「非二元」というところで、やめるんですね。でも、いつも、その先にあるものをいつも、見て、感じてる。でもそれは、「癒された」状態といった特別な形の中にあるのではなくて、どの形の奥にも見えます。
セラピー的なアプローチは、「癒された」状態を「未来」に、目指そうとする限り、ちょっと違う方向を目指しているなって、思ってます。
といっても、いつか「癒されよう」とするためではなくて、
今ここで、ただ、ありのままでいようと思っても、抵抗が強くてできないときに、それを解くための手法として、使えるって思ってます。
個を救うのではなく、個であるのを、取り消すために、一時的な道具として使う感じですね。
私自身、全然、セラピーの体験もなければ、学んだこともないので、
それぞれの人の抵抗の解除に、どの手法がどんなふうに聞くのかなど、暗中模索しています。だから、セラピーに詳しい人には、大いに教えていただければって、思ってます。
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あと、もう一つ。瞑想会や学習会で繰り返しシェアさせていただいている、悪感情を体感に還元して気づきにゆだねるプロセスについて、問い合わせ、質問など多かったので、この場を借りて、もうちょっと解説させてください。
これは、自力というより他力の要素が強いほど、うまくいきます。自分でやろうとせず、あとはおまかせします・・・って気づきの海にゆだねる感じです。信頼しきって、甘え上手になるのに、似てます!
「信頼するのも、甘えるのも、私は苦手!」という人も、大丈夫です。絶対に裏切られない唯一の相手といってもいいくらいなので! どんどん信頼して、甘えきっても安全です。サレンダーという方法ですが、これについては、「体験的ACIM学習会」の方で、詳しくシェアさせていただいています。