奇跡のコース

「今、ここ」を塞ぐ、微妙な「蓋」さまざま

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「今、ここ」をふさぐ、微妙な「蓋」

欠如の信念からくる不安をまぎらわすために、

私たちは、本当にいろんな戦略をつかっているという話をしてきました。

それを、食べ物や嗜好品に投影して、そこについつい手を出してしまう

「わかっちゃいるけどやめられない」、中毒的、逃避的な癖は、中でも、自覚しやすいものです。

でもそうすることで、欠如の信念からの唯一の出口であり、

食べ物や嗜好品などよりもずっと、あなたが一番欲しいと思っていたものの本当のありかである

今ここの、あなたのありのままの状態に蓋をし続けてきたことも!

でも、ここでは、自覚がもっと難しい、微妙な形で隠れている思い癖についてお話ししましょう。

たとえば、「人生は、人は、私は・・・・であるべきだ」という、高い理想をたくさん掲げていると、とても立派に見えます。

でも、そうすると、自分の状態が、全然期待通りではないことに、失望したり、怒ったり、責めたりしたくなることも多くなりますよね。セルフ・ジャッジメントの温床になります。

というわけで、本当にスピリチュアルになりたかったら、自分が今、どんな「~であるべき」を、前提にして、考えたり行動しているかどうかに、警戒してかかったほうがいいと思います。

でも、「~であるべき」の何が一番問題かというと、

この思考癖そのものに、今のあなたのありのままの状態から目を背け、「蓋」をする働きがあるからです。

しかも、ほとんど、本人も気づかないうちに!

たとえば、私の場合。20年以上教職についていたせいで、「先生はこうあるべきだ」という思いが、自分のありのままの気持ちに「蓋」をしているのに、ほとんど気づかないほどになってました。

それで、たとえば、自分こそ助けが必要な時にも、助ける人として振る舞うことがやめられなかったりするんですね。

何より、このありのままの気持ちをしっかり認めて、感じつくした後に見つかる、「本当の私=みんなとつながった私」への扉を閉ざし続けてきたのが、問題でした。

それは私のスピリチュアルな成長を妨げていただけでなく、

本当の意味で、人と心を交わせることを、妨げてきたのですね。

そんなわけで、本当の意味で、お友達と呼べる人も、ほとんどいなかったです。

でも、先生のセルフイメージから来ている「~であるべき」が出てくるたびに、警戒して、

その奥に自分は今、何を隠そうとしているかな? とこの蓋の下にある、不安やおそれ、気まずさなどを、しっかり感じるようにすると、

お友達の数、すごい勢いで、増え始めました。

これはほんの一例ですが、「~であるべき」という思いを、「蓋」として認識して、

この思いが出てきているのに気づくたびに、

その「蓋」の下にある、あなたの、今、ここのありのままを、感じる癖、おすすめです。

心の状態や人間関係、どんどん変わっていくかもしれません!

とはいえ、行動を変える必要はありません! 例えば、実際に今、これから教壇に立って、先生として振る舞わなきゃいけないのに、その役割を降りなきゃいけないと言ってるわけではありません。あるいは、母親として、子供の世話をする必要があるのに、それを放棄すべきだって言ってるわけでもありません。

やるべきなのは、「~であるべき」という思考の奥にあるものを、感じ尽くす、それだけです。それが、あなたの「今、ここ」へのアクセスを遮げ、ひいては、本来のあなたの無限性が自然に発露するのを妨げてきました。

この「蓋」がそうやって、開閉自在になり、

この「蓋」の内側にあるものと、あなたが合流できると、実際には、もっと自由に、生き生きと、柔軟、かつ創造的に、あなたの社会的役柄も演じることができるようになると思います。

人生を「灰色の時間」だらけにしてしまう思い癖

今、ここの、あなたのありのままの状態~

それがどんなにダメに感じられようとも、

その奥しか、あなたが本当に望んでいるものは見つからないわけですが、

それを直視するのを、

微妙な形で回避するための思い癖として、

「~であるべきだ」の例をあげました。

でも、他にもいろいろありますね。

たとえば、私自身、何十年も陥っていた思考方ですが、

今は、どうせ灰色の時間なのだから、嫌だけどしなきゃならないことをするのに費やして、いいタイミングが来るまで待とう。

それまでは、やっつけ仕事、お金のためだけの仕事に使おうという思い癖がついていることもあります。

そうやって、本当にやりたいことをやることを先延ばしにするんですね。気づいてみると、人生ほとんどが、そうした「灰色の時間」として費やされてしまったことに気づかされるかもしれません。

本当にやりたいことをいざやろうとすると、自分のありのままを、直視することに対するおそれ、「ヒキガエル」がうじゃうじゃ思いっきりでてきますものね!

それを何とか避けるために、たとえば「生活のための仕事」を口実として使ってる可能性もあります!

たとえば、いらただしかったり、落ち着かなかったりするとき。

今日はとてもスピリチュアルな気分になれないから、

もっと条件のいい時を待って、スピリチュアルになるためのワークをしよう・・・

そんなふうに思われたことはないですか? 私など、しょっちゅうでした(笑)。

でも、実は、それって、全然、スピリチュアルなことでは、ないのですね。

というのも、まさにこの、いらただしかったり、落ち着かなかったりする、

今のあなたのありのままの状態を直視することの中に、

スピリチュアルになるための本当の鍵が隠れているからです。

ここを避けている限り、どんなワークを重ねても、本当の意味では、先に進めないのです。

というのも、目の前の時間が、灰色の時間に見えるのは、あなたの頭の中に、灰色に見せる色眼鏡があるからだけ。

それを掛けている限り、どこを見ても、そこにあるものよりもないもの、理想状態より不十分さを見てしまう。

そんな、欠如の信念という色眼鏡を通して世界を見ているからです。

これさえ外せば、どんな状況でも、どんな仕事の最中にも、幸せを感じることができるはずです。サングラスの向こう側にあるものに、直に触れてみましょう。重要なのは、そこなんですね。

今は、どうせ灰色の時間。だから、嫌だけどしなきゃならないタイミングが来るまで待とう・・・それまでは、やっつけ仕事、お金のためだけの仕事に使おう・・・

こうした思い癖は曲者で、欠如の信念から目を背けるための強力な蓋として働く。

そんなふうにお話ししてきましたが、生活のための仕事をやめて、本当にやりたいことを始めましょうと提唱しているわけでは、必ずしも、ありません!

まずは、目の前にある仕事、それが何であれ、それに費やす時間が、灰色の時間に映るなら、

灰色に見せている、そのサングラスを突破して、そこに本当にあるもの、リアリティに触れることを、提唱しているのです。

そうすれば、この時間も、本当にやりたいことをしている時間も、同じように、幸せになれることに、気づくでしょう。そのために、この「灰色」、この冴えない感じ、不快感の真っ只中に、降りていく必要があるというわけです。

そうして、このサングラスを突破することができるようになったら、この仕事をしているときも、本当にやりたいことをしているときも、そこには、いつも、同じ幸せがあることに気づくでしょう。

それができるようになるまでは、転職して、本当にやりたいと思っていることを、たとえはじめたとしても、遅かれ早かれ、同じことを繰り返してしまう可能性があります。つまり今度は、新しく始めた仕事そのものが、灰色に見えてきて、また別のことを、本当は自分はこれがやりたいんだって思い始める・・・・目の前のものを灰色に見せるサングラスを外していないからです。

というわけd、このサングラス、欠如の信念こそを、外しましょう。

そうしないと、だいいち、もったいないです。

というのも、それは、習熟しさえすれば、一瞬でできる、とても簡単なことだからです。

全てを灰色に見せている、鬱陶しさ、不快感の中核に飛び込んで、それを余すことなく感じ尽くせばいいのですから。

こんなに簡単に晴れる雲のために、1日、あるいは、一生を暗い思いで過ごし、台無しにするなんて、馬鹿げていると思うようになります。

それに、「今、ここのありのまま」の私は、唯一実在するあなた。

他のあなたは、「いつか、どこか」にいるあなたは、

単なる想像上の存在としてあるだけです。

「今、ここにある、ありのままの私」というこの唯一実在する私より、

「より良い」私が、「いつかどこか」に存在するんだ思うこと自体、

ものすごい自己否定。自己愛や自己肯定の真逆にあることだと思いませんか?

まさにこの癖のせいで、みんなとつながった、大きな私へとつながる唯一の扉が、蔑ろにされ、埃に埋もれて見えなくされてきました。

まさにこの癖こそが、揺るぎない、真の自己肯定感の源泉を、塞いできた張本人なのです。

大きな私、揺るぎない自己肯定感に満たされた私への通路へは、

「今、ここ」のありのままの自分の状態を受け入れるところにしか、開いていません。

心が、「これさえ変化すれば、幸せになれる」「自己肯定感を持てる」と、

未来、いつか実現される理想状態に向くたびに、

今、ここのありのままに立ち戻り、そこにあるものに注意する習慣をつけて、

というわけで、今、現に、自分がいる場所、自分のまわりのものを、丁寧に味わい、受け入れるようにすると、これまでとは全然違う世界がみえてきます。

自分のすぐ、足元にこそ、美しく、芳しい花が咲いているのに、気づくかもしれません。

これまで先を急いでいたから、見落としていたのです。

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