非二元のエッセンス

エゴは、パソコンのスクリーンセーバーのようなもの

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いかにもこれはエゴから出てきていると思われる感情に、またもやさいなまれて、

自分はダメだって思ったり、惨めな気持ちになっても、大丈夫です。

問題なのは、この感情そのものではなく、それを自分だと思うこと。

でもこの自己同一視は、それに気づいた時点で、すでに、解除に向かうからです。そしてあなたは、今、現にそれに気づいたわけです! 惨めになるよりも、喜ぶべきことなんですよ。

この辺の様子を理解するには、ルパートさんがエゴについて使うもう一つの比喩、パソコンのスクリーンとスクリーンセーバーの話を使うといいかもしれません。たとえば、邦訳もされている『プレゼンス あらゆる体験の親密さ』の221ページ、「名俳優」の章にでてきます。

私たちはパソコン画面。メールが現れたり、ビデオが現れたり、文書が現れたり、そこではさまざまなことがなされますが、そこに現れる全ては、スクリーンで出来てる。つまり、スクリーンがさまざまに変様しているだけですよね。というわけで、スクリーンは気づきのたとえです。

スクリーンでは、この気づきが変様して、知覚すること、思考すること、感じることの形をとりながら、それがさまざまなコンビネーションを奏でることで、創造的で、愛や探究心に満ち、また実用的でもある活動が繰り広げられています。

ただ、この活動が終わると、スクリーンセーバーが立ち上がって、画面を覆いますね。たとえば、私のマックでは、黒字にいろんな幾何学図形が舞いはじめます。

これがエゴだっていうわけです。画面全体を覆うことで、「これが私だ!」と自己主張しているわけです。そのときこのスクリーンセーバー兼エゴさんは、

「私が画面なのだから、その前に、そこでなされていた活動もすべて、私の活動だ」

とまで、言い張ります! 

全ての活動が、その中から、それとして立ち現れる気づき、全ての体験の本当の素材であるスクリーン自体は、今やこのスクリーンセーバーさんに覆われて、全く見えなくなります。

活動の真っ最中はとても楽しかったのに、活動が終わって画面が静かになった後、スクリーンセーバーのように立ち上がったこのエゴさんのせいで、「本当にうまくいったんだろうか?」と急に疑い始めたり、人の目が気になり始めたり、「それは私に相応しいことだったんだろうか?」、「評判を、落としたんじゃないだろうか?」 などとウジウジ、悩み始めたりするわけです。セルフイメージをめぐるさまざまな葛藤のはじまりです。

といってもこの「セルフ」は、スクリーンセーバーのように、体験と体験の間の隙間を満たすための、詰め物にすぎません。何のイメージも、思考も、感覚もない、客体のない状態が退屈で耐えきれない私たちが、でっちあげたものです。

その証拠に、私たちが、活動している真っ最中、「今、ここ」で、無心な状態でいるときには、この手のセルフのイメージが心に忍び込むことはありませんよね。もしそうなると、パフォーマンスの質が、がたっと落ちてしまいます。自意識過剰な状態では、活動は、滞ってしまいます。セルフイメージの葛藤が始まるのは、まさに、スクリーンセーバーのように、実質的なことは何もしていない、暇な時ですよね(笑)。

でも、パソコンをちょっと調べてみるとわかることですが、

このスクリーンセーバーも、元はと言えば、パソコンの中に保存されているイメージ情報にすぎず、

普段はファイルに入れて、保管してあるものです。

パソコン画面で他のいろんな活動がなされるときに立ち上がっては、活動が終わると、ファイルに戻っておとなしくしている、さまざまなイメージや思考の一つにすぎません。

というわけで、洞察が進むと、スクリーンセーバーが立ち上がった瞬間、「あなたは、画面そのものではない。ファイルの中に戻りなさい」と言える瞬間が来るわけです!

それが、「私はこのウジウジした感情が自分だと思って、悩んでたけど、そうじゃないんだ!」と気づいた瞬間です!

というのもその時、私たちはこの感情に、画面いっぱいに広がるスクリーンセーバーのようにとらわれて、「それを自分だ」と思う必要はなくなるからです。

自己同一化を解かれ、客体化されたエゴの感情は、ディスクトップ上の小さなフオルダに閉じこめられ、

静まった画面には、スクリーンが覆いを解かれ、純粋な気づきの愛と、幸せ、美という、その本来の姿に戻って漲りはじめます。

パソコン内の情報にすぎないエゴを自分だと思う視点から見ると、純粋な気づきは、退屈で何もない状態に見えますが、その自己同一視から解かれた今、その本来のゆたかさや親密さを、あらわにします。これぞ、本当に安らげる、わが家であることも、わかります。

エゴからくる悪感情に悩まされて、惨めな気持ちになった時、

そこからこのわが家に戻り、安らぐまでの道、いろいろあると思うのですが、

画面全体にはびこるスクリーンセーバーを、フォルダに閉じこめるというのは、私のお気に入りのイメージの一つです。

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