非二元のエッセンス

ルパートさんのヨガメディテーションの会 解説

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私たちの意識の源泉、スピリット、気づきへの二通りのアクセスをします。

一つ目は、うちへ向かう道
見たり聞いたり考えたりするいとなみを、すべてゆるめて、
まっさら状態になりこの源泉の中に休む方法

特定のもの(ビデオの中では「客体」と呼ばれます)を
見たり聞いたり考えたりする意識はいつも緊張しています(「注意」(アテンション)と言う言葉の語源は、何かに向かってゴムなどをぴーんと張り詰めると言う意味)
その緊張を逆向きにゆるめて、元来たところに戻り、
リラックスして休もうね・・・というものです。
こちらの瞑想が20分ちょっと

二つ目は、何かをみたり聞いたり考えたりしてる普段の意識のままで、
そのすべてが気づきでできているのを自覚できるようになるための瞑想

こちらの瞑想をガイドする言葉、ちょっと抽象的で、訳しづらかったです。
いきなり見ても、なんのことを言ってるかわからないかもしれません。

あらかじめ、ちょっと、解説をさせてください。

単に考えたり、聞いたり、見たりするのではなく、自覚しながら考えたり、聞いたり、見たりすると、

考えていることを知っている
聞いていることを知っっている
見ていることを知っている

って言えますね。その「知っている」部分に、ぐーっとフォーカスしていくんです。

そのとき、シチューの中に野菜が浮かぶように、
「知っていること」の中に、「考えたり、聞いたり、見たりすること」がすっぽり含まれているのを理解することが、このビデオの瞑想を理解するのに、決定的に重要です。

こんな風に考えるとわかりやすいかもしれません。

あなたは今、目の前にあるものを見ていることを、知っています。
目の前にあるものが消えても、「見ていることを知っていること」は残りますよね。
ではそこからさらに、見ていることをが消えるとどうなるでしょう?
「知っていること」が残ります(これは、一つ目の実験で私たちがその中に安らぐ「純粋な気づき」と同じものです)

では、また最初に戻り、
あなたは今、目の前にあるものを見ていることを、知っている、その状態から、
「知っていること」だけが消えるとどうなるでしょう?
すると、目の前にあるものも、
見ることもすべて消えてします。

ということはつまり、
この「知ること」(気づき)の中に、「見ること」も、「目の前にあるもの」もあった。
それだけでなく、「知ること」(気づき)によって、「見ること」も、「目の前にあるもの」もできてたっていえます!

コースでは、この世界は夢だと言われますが、
「知ること」「気づき」を、この世界、この現実という夢を夢見る意識と考えてもいいと思います。だからその中に全てが含まれてるわけです!

二つ目の瞑想では、考えたり、聞いたり、見たりする私たちの普段の意識から出発しながら、
考えたり、聞いたり、見たりすることは、
それぞれ、
「それを知っていること」、自覚していること、つまり気づきの海に浮かぶ、さまざまな波にすぎない。
みんな同じった一つの海の水のいろんな形に過ぎなかったってことを、明らかにしていきます

瞑想ビデオのリンク

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