本当に実在するのは愛しかない
気づきの海しかないとわかった瞬間、
それが、本当の私だということがわかります。
本当の私は、すべてのものを大海のように浸していて、
その中で私は、全ての意識ある存在と一つです。
コースで「壮大さ」と呼ばれますが、
本当の私を、あらゆるものに気づき、愛しながら、浸す海として見出すのは、
壮大としか名づけようのない体験です。
それが、自己肯定感の新しい、そして揺るぎない拠り所になります。
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それはこれまでと具体的にどう変わっていくのでしょう?
私たちは普通、自分の分離した心身を守り、擁護し、主張するために、自己肯定感を育みます。
例えば、個性的な、素敵な人として、パーソナリティーを演出する努力から、
競争に勝ち抜き、専門家として、権威として、リーダーとしての地位を守ることまで、
「特別な」自分になろうとするあらゆるいとなみは、
全て、自分が他からくっきりと区別される、分離した存在であることを強調しようとするものですね。
そうしながら、この分離した心身、エゴを完成させようとしているわけですね。
他のことは、苦手だけど、スピリチュアルであることに関しては、人には負けない。
そんな「スピリチュアルな私」を他から際立つ能力、個性にしよう、
そしてそれを自己肯定感の拠り所にしようとする場合も、例外ではなりません。
コースではこれらを「尊大さ」と呼んでいます。
分離した心身、エゴを尊く、大きく見せようとするものだからです。
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では、あらゆるものとの一体感、つまり「壮大さ」の方が、自己肯定感の拠り所になると、
どう変わるのでしょう?
分離した心身を完成させることそれ自体には、全く関心がなくなります。
少し前にお話しした、ベルベットのウサギの話で、ぬいぐるみのうさぎが、少年の愛を一身に浴びながら、本物のウサギへの変容が進むにつれ、
いくらボロボロ、ズタズタにされようと、全く気にならなくなったのと全く同じように、
人からどう見られるか、思われようと、間違いを指摘されようと、コキ落とされようと、
気にならなくなってきます。
全関心が、愛へ、一体感の悦びの方へ向かうようになるからです!
それはもう、最愛の恋人に恋い焦がれるとしか喩えようのないほどの
たいへんな吸引力です。
キリスト教神秘主義の中で、合一体験をよくキリストの花嫁の比喩で表しますが、
その理由もわかってきます!
この一体感が、すべてのゴール。それ以外には何もいらない。
というより、それ以外に何も存在しないことがわかるんですね。
「愛の讃歌」の原曲、エディット・ピアフが歌ってたシャンソンの歌詞に、
青い空が崩れ
大地が張り裂けても
平気よ あなたに
愛されていれば
とありますが、
それと全く同じように、
この愛の中でも、世界が実際に消え失せていきます!
といっても、もちろん、滅びるのではなく、原初の状態に戻るからです。
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では何もしなくていいの? というと、イエスであり、ノーですね。
愛しか、つまり気づきの海しか存在しないことが、透明になったこの状態を、
みんなとシェアしながら、保ち続けるための努力がはじまります。
分離した心身は、生き続ける限り、残ります。
その特徴、適性、能力もそのままです。
それを、これまでのように、この分離した心身自体を守ったり、際立てたりするためではなく、
一体性の、愛の、気づきの海以外には何も存在しないことを露わにするために役立てていくのです。
気づいてみると、少なくとも外見は、前と全く同じことをしているのに気づくかもしれません。
分離した心身の特性そのものは、この変容の前も後も変わりませんから。
例えば私も相変わらず、翻訳したり、人に教えたり、ものを書いたりしています。
でも内側からみると、そこには全然違う動機
おそれではなく、愛が働いてることがわかります!
何より、とても楽で、自由になります。
自分の能力や特性は、もはやアイデンティティ、プライド、自己肯定感の拠り所ではなくなり、
道具のようなものになります。
音楽家にとっての楽器のように、手入れを必要とする繊細で大切な道具です。
でも、楽器そのものが音楽であると勘違いしたり、自分自身だと勘違いすることはありませんよね。
一時的な媒体です。
といっても、私の場合、この移行は、ほんの少しずつ、
今も進行中のプロセスです。
たとえば間違いを指摘された場合、
以前だったら、自分の全存在が否定されたように感じられて
恥ずかしさで死にそうだったのですが、
だんだん、
本当に実在するものを露わにするこの共同のプロジェクトに、
貢献してくれてありまがとう、
一緒に歩んでくださって、ありがとうって、
手を合わせることができるようになる・・・
その時は、たとえ辛く感じられても、
一体性の体験の中に戻れば、
それはいつでも、たやすくできるようになることを知ってる
だから安心・・・
そんな具合に、移行が進んでいってます。