奇跡のコース

人生の分岐点に立ったときに、コース流に選択するとは?

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右へ行くべきか、左へ行くべきか、人生の中には、思い切って、大きな決断をしなければならないことが、ありますね。

そんなとき、コース学習者としては、どうやって、決めるべきなのだろうと思われるのは、自然なことですし、
大切なことだと思います。

その際、一つはっきりさせておくべきだと思うのは、
本当の選択肢は、右に行くか左に行くかの間にではなく、
聖霊を選ぶか、エゴを選ぶかの間にしかないというのが、コースの立場だということです。

逆に言えば、それさえ、しっかりやって、聖霊を選んでいると、
形でできたこの世界での選択は、自動的になされていくし、

聖霊さえいつも選んでいれば、
どんなとんでもない選択をしてしまったように見えても、
その体験が、自分の赦しや癒しのためのレッスンとして、しっかり生かされることになるので、
結局それが最善だったってことになる。

つまり、どう転ぼうと、間違いはどこにも存在しないというわけです。
そう考えると安心できますよね。

私自身が何かを選択するときのことを、参考までにお話ししますと、
自分で考えて選択する事は、今はほとんどありません(笑)

たとえば家の場合は、その場所や関係者に触れたときに、
どう感じるか(安らぎや、明るい気持ちが感じられるか)や、シンクロニシティなどで決めてます。

自分では、一切、考えていません(笑)
自分の人生の見物人になった気分です(笑)

冗談はともあれ、
「何が最善か、私は全く知らない、わからない」と思うのが、
実は、一番の決め手じゃないかと思っています。

そして、選択した後、何があっても、そこのところがゆるがないことが、
何より重要な気がしています。

たとえば、どう考えても、悪いことが起こっても、「これには何かわけがあって、長い目でみると必要なことなのだろう」と考える。

つまり、徹底的に聖霊を信頼するわけです!

ベストなチョイスをするために、聖霊の力をちょこっと、借りはするけれど、
それがベストだったかどうか、絶えず自分で、ジャッジメントを下してる
まるでテストするみたいに・・・

それは、自分の聖霊とのつながり具合をテストすることでもあるかもしれないし、
コースの正しさを、テストすることかもしれませんが、
そんな態度だと、多分うまくいかないと思います。

つまり、エゴの思考の中に聖霊に部分的に入ってきてもらって、お手伝いしてもらうことはできないのですね。

聖霊にエゴを一切合切もって行ってもらうことはできるのですが。
聖霊にエゴを一切合切持って行ってもらうとき、完全に信頼する生活がはじまりあす。

テキスト17章1節、5段落目以下、空想を真理に持ち込んで取り消すことはできても、真理を空想の中に持ち込むことはできないと、語られているとある通りです。

5. あなたは、自分には真理を空想の中に持ちこむことができて、錯覚したものの見方によって真理が意味することを学べるとでも思っているのでしょうか。

幻想の中では、真理は何の意味も持ちません。

真理の意味を評価する基準は、真理そのものでなければなりません。

あなたが真理を幻想の中に持ちこもうとするとき、あなたは幻想を本物にしようとしているのであって、自分が幻想を信じていることを正当化することによって、幻想を保ち続けようとしているのです。

これに対して、幻想を真理に渡すことは、幻想が本物ではないと真理が教えることを可能にするので、あなたは幻想から逃れられるようにしてもらえます。

ただのひとつとして想念を真理に渡さないまま残してはなりません。さもなければ、あなたは現実に序列を定めることになり、その序列が必ずあなたを幽閉してしまいます。

現実にはいかなる序列もありません。なぜなら、存在するのは真実だけだからです。

6. それゆえに、あなたが真理の外側に留めていたものすべてを、真理を知る聖霊に喜んで渡しなさい。そうすれば、聖霊の中で、すべてが真理へともたらされます。

このことを達成してもらいたいという自分の意欲を除いては、あなたはほかに何も心配しなくてよいのです。聖霊がこのことを達成してくれるのであって、あなたが達成するわけではありません。

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