奇跡のコース

自己肯定感の本当の源泉は、「できる」「できない」を超えたところにある

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コースで私が学び、これからお話ししたいと思っている自己肯定感は、

自分ができること、あるいはできるようになればと思っていること
自分が持っているもの、これから持ちたいと思っていること
自分について抱いてるイメージ、あるいは、将来こうなりたいなと思ってるイメージなど
そうしたものの中にはないんですね。

もちろん、それらは、大切です。
でもその大切さは、それらの形(たとえば、「英語がぺらぺらになる」「痩せて、健康になる」「素敵な人と結ばれる」などなど)から来ているというより、
それらの思いが、そこから作られてる素材、
「愛」にあります。

自分について、こうあれたらいいな、こうなりたいなという思い、
「こうすれば、自己肯定感が持てる」と思う、あらゆる思いは、
この「愛」がとる一時的な形にすぎないのです。

本当の自己肯定感は、これらの一時的な形にしがみつくことからではなく、
それらが全て溶けて、素材に戻った先にある
「愛」の海の中に身を浸すことからきます。

実際、そんな場所が、私たち全ての心にあります!

この場所に触れるや、
欲しいものが手に入るだろうか?
うまくいくかな? とドキドキ心が揺れている時に、
この場所に戻ると、
まるで、寒空の下で、あったかい露天風呂に入ったよう。
じ〜んとする痺れと一緒に、
緊張して、すっかり硬くなっていた身体が、じわじわと溶けていく感覚があり、
心がとろけたようになり、いい気持ち。
優しさや安らぎに満たされます。

というわけで、すでに、すっかり満たされてしまい、

さっきまで、ドキドキしながら考えていた
欲しいものが手に入るだろうか?
うまくいくかな? うまくいかなかったらどうしよう?
といった思いは
だんだん背景に遠のいて、

まあ、なるようになるでしょう。
どう転ぼうと、私は大丈夫・・・失敗するのもまた、おもしろいかも・・・

それくらいの余裕のある心の状態になっています。

つまり、本当の自己肯定感は、
何かができたり、手に入ったり、思い通りになることからくるのではなく、
それらの思いの全てが溶けていく
この愛のお風呂が、
いつでもどこでも、自分の中にあることを知っていて、
そこにいつも浸っていることからくるのです。

夢を見たり、人を好きになったりすること自体、悪いことで、諦めなければならないと言っているわけではありません。

その一つ一つが、「愛」のゆたかな表現のヴァリエーションなのですから。

でも本当の自分は、それらが溶けて、「愛」という素材に戻っていく
このあったか〜いお風呂の中で伸び伸びくつろいで、満ち足りて、幸せで、
自己肯定感もすでに十分

そこから、たとえ、一見、大失敗に見えたり、悲惨に見える出来事も含め
自分の人生のドラマをのんびり眺めてる。

たとえ、一時的にドラマにすっかり巻きこまれて、
そこに私のすべてがある。自己肯定感もこれにかかってる・・・って思えても
すぐにこの露天風呂のことを思い出して、そこにとびこむと、
手に汗びっしりで握りしめてきた、不安な思いも、すーっと溶けていきます
寒空の下、緊張してガチガチに硬くなっていた身体も、じわじわとゆるみ、芯からあたたまって、
いい気持ち。

その感覚を忘れずにいたいと思います