非二元のエッセンス

体験の無限性に触れることさえできれば、日常が不思議の国に変容する! 

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日々の日常の暮らしから
すべての願いがかなえられているような
おとぎ話の驚異の世界への道は、思いのほか、すぐそばにあります。

家事をしているときも、子供やペットの世話をしているときも、
他のどんな仕事をしてるときも、
とにかく、その瞬間やっていることに完全に没頭してしまうのです。
と同時に、それをやっていることで味あわれる、今この瞬間の感覚を
深く、深くさぐっていくのです。

うまくいけば、この直接の感覚の中で、
そこにまとわりついてきた思考が、どんどん剥がれ落ちていきます。

まずは「何のために」これをやっているか、
これは「どんな」仕事なのか
この仕事をしてる私は「誰」なのか
みんな意識から消えていきます。

たとえば、「私は台所でやかんを磨いている」という意識は遠のいて、
洗剤に泡立つたっぷりのぬるま湯を含んだ
スチールたわしの少しひんやりとした肌触りと、
やかんにこびりついた汚れのでこぼことした触感、
朝の日の光を受けた、ステンレスの輝きがそこにあるばかり
その肌触り、触感や、輝きの中に
すーっと深く入りこむように、
ただただ、磨き続けると、
そこには、ただ、諸感覚のこのすばらしいオーケストラが奏でる体験の総体、
その未知の、不定形のかたまりがあるばかり。
それを内側から眺めると、そこには境界も、限界も、はじまりも、終わりもありません。
ただ無限性があるばかりです。

そうやって、何をしているときも、
その体験の感覚的な味わいに、浸りこんでは、
そこには境界も、限界も、始まりも、終わりもないことを確かめていきます

生活全体が、無限性で覆われていきます。
その時あなたはおとぎ話の驚異の国にいます。

自分はどこにいるのか、今は何時なのか、いつまでにこれを終わらせなきゃいけないといった
時間空間の感覚は、
うんと事後的に、まるであってもなくてもいい付け足しのように、
一番最後に、ちょこっとやってくるくらいで十分です。
他の人とのコミュニケーションや、実際的な目的を果たすために必要なだけなのですから。

はじめから、時間や空間の感覚を持ちこんで、
あらゆるところから花開く、この無限性の感覚を損なわないようにしましょう。


体験の中にあるこの果てしなさ、無限性の感覚がピンとこない人には、
まずは、こういう実験から始めるのが、おすすめです。

目をつぶって、大好きな音楽を聞きながら、の体験の中に没頭します。
その只中で、次のように自問自答してみてください。

この体験に、境界線はあるだろうか? ここまでが体験で、その先はこの体験の外だって
輪郭を描くことができるかな?

そもそも、音楽はどこにあるのかな? 私はどこにいるのかな?
私と音楽の境界線はどこにあるのかな? 

それとも、たった一つの、境界を知らない、
聴く体験があるだけじゃないかな?

同じことを美味しい食べ物を味わう味覚に集中してやることもできます。

そうやって、直接体験だけを手がかりにしながら、
思考がその上にかぶせるさまざまな切れ目や境界を突き崩していくのです。
触覚については、他の投稿で詳述することもあると思いますが、この実験、やりやすいものの一つです。

視覚は思考と密接に絡み合っているので、ちょっと難関ですが、
訓練次第で、いつも名画を眺めているように、視覚体験そのものを楽しみながら、生きていけるようになります。
実際、見る物全てが美しく感じられるようになってきます!

そうやって、五感の一つずつに集中しながら、そこに無限性を感じることができるようになれば、
それがどう組み合わされても、OK。
というか、それがさまざまに組み合わされることで、
よろこびがまた天井知らずに倍増していくのがわかるでしょう。

何のために? もちろん、幸せになるため、ただ、それだけのためです!
おとぎ話の驚異のただ中に、身をおき続けるためです。

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