アートとしての人生

「わからない」ところに、幸せがある

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メルヘンはいつも、

子供の頃 昔々、あるところに、ある女の子がいました・・・

というふうに始まる。

「ある」ところ、「ある」女の子と言われるだけで、どの時代のどの場所であったことかもわからない。
時間と空間の中に定点を持たない。
ということは、裏を返せば、それはどこでもあり得ること、
ここに出てくる子供も、誰でもありえる、自分だったってこともありえる。

つまり、詳しく書いていない、ぼかしが入ってるわけだけれど、
だからこそ、そのぼうっとした部分に、あらゆるものが入りこめる余地ができる。

ぽっかり開いた無限性への扉。
この広大な感覚、この安らぎを、子供の頃のわたしは、それこそ夢中で、むさぼるように、吸い込んだものだった。

なぜかというと、学校で習うことはといえば、
西暦何年、どこの国のなんという町に、なんという名前の人がいて、その人は、これこれこういう立派なこと、あるいは悪いことをしました・・・といった話ばかり。
つまり、隅から隅まで、ぼかしの入らぬはっきりしたラインで、時間と空間の中の定点に描かれることばかり。
そうやってなんでも、外から眺めた「物」「客体」にして整理するのを学ぶのが学校といっていいかもしれない。

といっても、そこで言われてる数行のことで、その人のことが本当にわかるはずはないのも確かなのだけど。
ただ、わかった気にさせられるだけ。
確かなのは、そこに、大空を見るときのような、広大さや、不思議さ、驚異の念が失われてしまうこと。

私が本当に心の底で求めていたこと、憧れてやまなかったことは、
逆に、誰の中にもこの広大な感覚、謎や、驚異の念を感じ続けることだったんじゃないかなって思う。

だって、それこそ、愛そのもので、
これができるとき、私も自分の中に、同じような無限性を感じることができるのだから。


学校教育をさんざん受けた後も、この感覚をとりもどし、子供の頃の驚異の世界に戻っていく鍵も見つかった!

それは、目の前にいる人、それが誰であれ、その人のことを、自分は全然知らないって心底、思うこと。

初対面の人だけでなく、家族や親しい友達のように、どんなによく知ってる人であれ、
自分がそこで知ってることは、すべてその人の「過去」にまつわること。あるいはその人の「過去」から推測した事柄にすぎない。

今この瞬間のその人について、自分は本当に何にも知らないんだと思って、思う
「わかってるつもり」になって、相手を掴もうとする手、
「客体」化して、決めつけようとする手をどんどん緩めて、
ただただ、無心にその人を見つめると・・・

次第に、そこにとても不思議な、輝かしい、未知の世界が見えてくることがある。
となりのみよちゃんが、実は魔法の国の王女さまだった・・・みたいな発見がある!


もう一つ、画家の友達、としさんから、聞いた印象派絵画誕生のエピソードがあります。

フランス美術の権威である、アカデミーの内部では、神話や宗教説話、歴史のかの有名な「名場面」や「重要人物」が描かれている中、

のちに印象派と呼ばれる人たちが描き始めた絵は、あまりにもふつうの、名もない人々、どこにでもありえる風景を、さりげなくとらえたものばかり。

そこにあるのは、偶然目にしたような「ある風景」「ある女性」・・・ばかりで、特別なもの、絵にして残す価値があるように誰しも思う要素など、どこにもありません。

なぜこんな絵を描こうとしたのか、そこで何を描こうとしているのか、さっぱりわからないと、
最初は批判されたのだそうです。

でも、だからといって、退屈かというと、とんでもない!

たとえばモネの積み藁の絵を見ると、
どこにでもある、名もないもの
まさにそのせいで、私はこれを全然、知らないまま、通り過ぎてきたもの。

この未知のものを、未知なまま、
「私はこれについて、何も知らない」と心底思う、謙虚なまなざしの下で無心に見つめると、
内側から輝き始め、
光の中で、周りの空間に溶け出ていく様子を描きたかったんだって感じます。

と同時に、それを眺める私も、あたり一面に、溶け出ていく。
この幸せといったらありません!


私は、始めは学生として、のちには教員として学校に人生の半分ほどいて、
物を客体化して、正確に捉えている、知っている(と思い上がる)ことは、
すでにも、散々やって来ました。
そういうこともあって、今の私は、
自分がいかに何にも知らないかを、きわめることに興味津々。

自分は何も知らない、わからないと降伏すればするほど、
そこから未知のものが姿を見せ、世界が輝き始めるのだとしたら、
そして、結局のところ、幸せのために私たち、生きているのだとすれば、
もう、そうするしかないでしょう!

幸せのありかは、客体化して、つかもうとする手には、絶対に「わからない」。
でも、心底そう思った瞬間、私たちは幸せの中にいるんです。
自分自身であるものを、私たちはつかめないからです。

でも、その「わからない」感じを大切にしながら歩んでいけば、その軌跡は、
わかろうとして、頑張っていた当のもの、幸せに浸されていきます。


雲をつかむようなふわふわした話ばかりだったので、最後に具体的な話を一つ。

帰省中にたまたま誕生日を迎えることになり、
何でも私の好きな食事を奢ってあげるから、
どこで、何を食べたいかいうようにと、両親が言ってくれました。

でも考えれば考えるほど、何にもアイデアが浮かびません。
もちろん美味しいものが食べれると、嬉しいけれど、それが本当に自分が望んでいるものかというと、どうもそうではない気がするんですね。

自分のその気持ち、わからない気持ちに正直になって、妥協もせず、ただそれを見つめていると、ふと、
「食べ物は何でもいいけれど、眺めがいいところ、静かに話が楽しめるところ」と思いついたので、それを親に言うと、
「その条件を満たすのは、港のそばの、丘の上にあるフレンチ・レストランしかないな」とのこと。

すると、母親が「そのレストラン、有名なのよ、高いけれど」と話し出し、まあ、めったにないことだし、そこに行こうかと父親も承諾。ただ私は何だかしっくりこない感じ。高すぎることもあるし、何となく、ありきたりで、つまらない気がして・・・ そのとき閃いたのが、
「港にどうせいくのなら、船に乗りましょうよ。そこからいける相島に行きましょうよ」と言うアイデア。

そう言うと、郷土史マニアの父親は、相島だったら、元寇のときの遺跡や、敵味方問わず、丁重に葬った墓や、蘊蓄タラタラいくらでも案内できるといいはじめ、
動物好きの母親は、あそこは猫島として有名で、かわいい猫たちがたくさんいる話をしはじめ、
そこにあるレストランの海鮮ちゃんぼんが、二人とも大好きで、そろそろまた食べに行きたいと思ってた話が一気に弾み出しました。
ついでに言えば、私は船に乗るのが大好きなので、このアイデアは大賛成。

他愛もない、日常の一コマだけど、私の誕生日という「特別」な日の、「特別」なごちそうを、「有名」なレストランでするというストーリーが、
関係者全員の無数の小さな幸せという周囲の空間へと「溶け出して」いって、これほど嬉しいことはないな、と思った次第です。

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