内なる助け手、聖霊、イエス、天使、守護霊・・・
心の中に見出される私を超えた私、本当の私を、
みんないろんなシンボルを使って接しています。
それ自体は私と緊密に一体。私そのもの。
なので、自分が中にいる建物の外観がわからないのと同じように、
形ではとらえられない存在。
だけど、それぞれ、リアルに感じられ、聖霊の力へアクセスするための助けになる限り、
さまざまなシンボルを使い続けていいんだと思いますえ。
今の私には、人よりも、自然をイメージする方がしっくりきます。
たとえば、小川のせせらぎ。
水面がきらきら光でかがやき、
しずかなしずかな音をたてていつも流れ続けてる。
だけど、とてもかすかな音で、
心がざわめいているときには、ほとんど、聞き取れなくなってしまう。
じっと、思いを凝らし、注意を凝らして、じーっと耳を澄ますと、
ほら、聞こえてくる。
この音が聞こえてる限り、大丈夫。
今この瞬間にしっかり根をおろした、空っぽの心で、
目の前のことにうちこむことができます。
それが掃除であれ、皿洗いであれ、人と会うことであれ、
このせせらぎの音につつまれて、
できれば、そこを流れる、さわやかな水に全てを浸して、
心新たに蘇るようにして
やる。
本当にそれだけやってます。
そのために、しずかなしずかな音に
いつもいつも聞き耳をたててます。
エゴの取り消しが進むにつれて、
これまでモチベーションにしていたことが失われ、
これまでエネルギー源にしていたものが、実在感を失い、
無気力になりかけたこと、
これから何をして生きていこうって、途方にくれたことも、
正直、ありました。
でもしばらくして、
この「聞き耳をたてる」ことが、
エゴに代わる、新たなエネルギーと気づきの源泉にとり代わってくれました。
チャレンジもまだまだ多い人生ですが、
そのたびに、怖れを感じて防衛的な行動に走って忙しくするより、
いつもよりいっそう、「聞き耳をたてる」ことに没頭して
まずは、「大丈夫、大丈夫」って、安心しきる。
その上で、やるべきだと思われることを、
心配もせず、かといって期待もせず、
ただ淡々とやる。
本当にそれだけやってます。