奇跡のコース

分離とイチジクの葉

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ディヴィッドさんの新著 This Moment is Your Miracle の最初の方に、聖書の失楽園の話になぞらえながら分離を語り、違うところをユーモアたっぷりに説明したりしてるところがあります。笑ってしまったのは、アダムとイブが善悪の木の実を食べた後、恥ずかしい部分を隠したイチジクの葉が、人間が神の前で囲い込んだ、最初の私的な場所private spot。自分がやらかしてしまったことに対する罪悪感と羞恥心を、そこに隠しこもうとしたわけですが、自分で抱え持つには苦しすぎるので、外に投影するようになり、そうしてはじまった全世界は、すべてこのイチジクの葉の中に入ってる。

この巨大イチジクの葉の中になんと、私たちが知覚する全世界が入ってる!可笑しいというより気持ち悪いかな? 何と言っても、あくまでたとえ話なのだけど、分離とプライベートな思考private thoughts と、世界の成立の関係が、コンパクトにまとまっていて、なるほど!と思ってしまいました。

最初、アダムとイヴは、神と、何一つ包み隠さない、完全なコミュニケーション状態にあります。それは、すべての生きとし生けるものと、何一つ包み隠さない、完全なコミュニケーションにあるってことでもある。完全に一体で、何も隠れて、囲い込まれたり、分離しようとしていない状態。それが天国なんですね。

でも人間がそこで、ちょっとした、分離したらどうなるだろうというおかしな出来心tiny mad idea を抱いて、試みようとしたのが、善悪の木の実を食べる話で表されている。

と言っても、コースが聖書とクロスするのはそこまで。

コースは聖書違って、分離の訂正はただちになされ、取り消されているので、アダムもイブも私たちすべても、依然として天国の中にいる。

神はちっとも怒ってないし、常に変わらず、無条件の愛をそそいでくれてる。完全な一体も依然としてそこにある。これが実相、本当の世界。
そちらから見たら、ほんのちょっとしたばかげた思いつきのせいで、「神の子が、笑いを忘れてしまった」くらいにしか見えない。

でも私たちの心はそれをすっごくすっごく、真剣にとってしまうわけです。
大変なことをしでかしてしまったという罪悪感や、
神から罰されるに違いないという怖れに耐えきれず、
なんとか隠れなきゃと思って、
神には見えない(と自分では信じこんでる)秘密の私的領域をつくり(イチジクの葉)、
そこに閉じこもってしまう。
でもその罪悪感、恐怖感はとても耐えれるようなものではないので、
全世界を投影して、そちらに罪をなすりけれるようにしたわけです。

というわけで、目覚めのプロセスは、そこに隠したものをどんどんあらわにし、
秘密を打ち明けて、
完全なコミュニケーションの中へ溶かしこんでいくってことなんですね。
それにつれて、イチジクの葉をどんどん小さくしていく。

ただエゴは、この葉っぱの下にでっち上げた世界の存続に命がけ。
その中で私たちの心が満足できるように、天国にあるものすべての代用品も揃えてる。
たとえば身体の快楽とか、身体の自由とか、身体の美しさとか、その他スペクタクルなもの、もろもろ。

でも、いくらそこで逆立ちしても、
到底、天国、実相の世界の幸福や自由や美や生命にはかないっこないし、
その完成のために、神は手伝ってくれないので(神は分離を知らないので、手伝いようがない)
で、ものすごい怒りが逆巻いてる。

私はコースをやるずっと前から、この怒りに敏感なところがあって、
しばらくものを見ていると、疲れてきて、目をつぶってばかりいました。
建築でも芸術品でも、完成されたものほど、そこに閉塞感を感じてしまって、どうしてこんなことするんだろうって、ずっと思ってました。

でも本当に美しいものには、自分自身を取り消し、ゆるし、楽園の中へと戻ろうとする勢いがありますね。
イチジクの葉の中をますます騒々しく、ぎゅうぎゅう詰めにするためにではなくて、
すっきり縮小するために貢献してる。つい数日前、そんなアーティストさんとの出会いありました💗

話がずれてしまいましたが、プライベートな思考を聖霊に明け渡していくたびに、完全なコミュニケーションからなる天国へと私たちは帰って行っているってことなのですね。というわけで、今日も、思いを聖霊に渡して行く作業に励みたいと思います。

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